平和になった世界で暮らしてます | ナノ


3


 そんなノアを連れて行くことになった俺達は、ようやく森の中を歩き出した。森の中は、これと言って変わった様子は見られない。しかし、追手が来た時の為に仕掛けた罠とかがもしかしたらあるかもしれない。周囲の警戒は怠らず、俺達は森の奥深くへと足を進めた。
 それからどの位経っただろう。恐らく半分ぐらいは行ったんじゃないかと言う所で、俺は足を止めた。

「さて、休憩するか」
「なに?」

 俺の言葉に、エイブラムが片方の眉を上げる。何を言っているんだと言わんばかりの顔に、俺は小さく溜息を吐く。

「結構歩いただろ。ほぼ歩きっ放しだし、少し休まないと。森を抜ける前に力尽きるぞ」
「何を呑気な! 盗賊団に追いつけなくなるぞ!」
「此処で倒れたら、追いつくも何もないだろ。それに、あっちも馬鹿じゃないんだ。大勢連れて休みなしに行ける筈ない」
「それは、そうだが……」
「俺が盗賊団の頭なら、確実にそうするね。お前は? お前はヘロヘロになった仲間を引き摺りながら進むのか?」
「いや……」

 エイブラムの声が、段々と尻すぼみになっていく。どうやら、俺の考えが理にかなっていると理解したのだろう。意外にも「すまない」と小さな声で謝って来た。エイブラムも相当疲労が溜まっている筈だ。それなのに、何で俺以上に焦っているのか、少し不思議に思えた。

「とは言え、こっちには馬もないし、長いこと休めないのは確かだ。まあメシでも食って、少し休んで、それで出発すればいい。旅をするにおいて、焦りは不幸しか招かない。これは、旅の先輩でもある俺の教訓だな」
「……!」

 驚いた表情を浮かべるエイブラムに構わず、丁度いい休憩場所を見つけた俺は、そこを指差す。

「あそこにするか」
「おい、貴様。今、旅の先輩と言ったか?」

 突っ掛かるところはそこなのね。
 俺は手頃な枝を集める傍ら、エイブラムの質問に頷いた。

「それが貴様が旅慣れしている理由か」
「おいおい。さっきの話、まだ続いてたのかよ」
「先程は邪魔が入ったからな」

 そう言ってノアを睨むエイブラムだったが、ノアはどこ吹く風だ。黙って俺と同じ様に枝を集めている。何だか俺の後ろをついて回るその姿は雛鳥の様で、やはり対応に困るな。

「その枝……火を熾すのか?」
「え、ああ」
「なら俺がやろう」

 獣も魔物も、やはり火が怖いのか、火にはあまり寄り付かない。まあ元々火を纏っている魔物とかは別だけど。それに、俺良いもん持ってるんだよね。
 集めた枝を空間の真ん中に置き、その枝に向ってエイブラムが片手を突き出す。すると、ポッと小さく火がついた。思わず俺が拍手すると、俺の隣に立っていたノアも、何故か俺を真似て拍手した。

「なんだその拍手は」
「いや、初めてお前が魔術を使ったところ見たから、何となく?」
「俺はアルフがやってたから」
「あ、やっぱり真似なのね」

 そんな俺達の態度が気に障ったのか、エイブラムの表情が見る見る内に険しくなっていき、その目に怒りを滲ませていた。ヤバい、怒ってる。これから起こるであろう事態を考えると、面倒な事この上ないな。

「貴様ら……」
「さぁてメシだ! メシの準備だ!」
「なっ、俺の話はまだ終わってないぞ!」
「それはメシの時にでもいいじゃん」

 でもそれは結局、メシの時にお小言を聞かなきゃならないって事になるよな。それはそれで嫌だな。
 そんな俺の気持ちが表に出たのか、やれやれと溜息をついたエイブラムが呆れた様に、荷物を漁る俺の横に立った。何だろう、この俺が折れてやるか感。

「それで、何を食べるんだ?」
「え?」

 そんな事、聞かなくても分かるだろ。俺は自分の荷物からそれを取り出し、エイブラムの前に突き出した。

「じゃーん。魚の瓶詰めー」
「……ッ、それは!」
「ふふふ、これは俺がもしもの時にとって置いた非常食――」
「いつの瓶詰だ! 明らかに色が変だろうが!」

 俺の言葉を遮って、エイブラムが声を上げた。その顔は心なしか青い。俺は、そんなエイブラムに首を傾げ、何も危ないことはないと証明する為に瓶を開けようとしたのだが、その手をエイブラムが掴んで止めた。

「何だよ!」
「正気か貴様! こんな禍々しい物を口にしたら最後、追えるものも追えなくなるぞ!」
「はあ? たく、これだから城暮らしは……」
「暮らしは関係ない! 可笑しいのは貴様の感性だ!」
「んだとコラ!」

 人が折角持ってきた食料を分けてやると言っているのに、何つー態度だ。生意気にも程がある。

「いいから放せ! 俺はこれを食べんだよ!」
「させん! いいからその腐った魚の瓶詰めから手を放せ!」
「腐ってねぇよ熟成だっつの!」

 瓶詰めにケチつけるエイブラムと押し問答になりながらも、互いに瓶から手を離さない。最早瓶の引っ張り合いになっていた所で、この醜い争いは突如終わりを迎えた。急に感じた強い殺気に、俺もエイブラムもいち早く瓶から手を放し、距離をとった。するとその瞬間、瓶が真っ二つに割れた。

「なっ」
「……これは」

 そのまま瓶の中身は地面にぶちまけられ、真っ二つに切れた瓶も、地面に衝突し音を立てて割れた。しかもその中身が、徐々に黒く腐敗していくではないか。鼻につく臭気に、マジで腐ってたのかと一瞬疑うも、すぐにそうではないと気付く。これは瘴気だ。魔物が持つ特有の力に触れた時出る悪い空気。この力によって、大地が腐敗していったと言っても過言ではない。
 俺達はゆっくりと、殺気がした方向へ顔を向けた。するとそこには、いつの間に採って来たのだろう。たくさんの果物を抱えたノアが、真紅の瞳を鋭く光らせながら佇んでいた。何故だか嫌な汗がまた額に滲む。

「――アルフ」
「あ、はい」
「『そんな物』より、近くに果物があったから。それを食べよう」
「はい、喜んで」

 俺の大事な瓶詰めを『そんな物』呼ばわりしてきた事なんか気にしていられず、俺は思わず敬語で、笑みを湛えるノアに返事をしてしまう。そんな俺に構わず、俺の返事に満足したのか、ノアは採って来た果物を選ぶように言ってきた。何処となく嬉しそうなノアを前に、俺は腐敗していった瓶詰めを横目に見る。
 あれを、コイツがやったのか。

(見た目は人間にしか見えねぇのに……マジで魔物なんだな)

 それに瓶を、あそこまで綺麗に真っ二つに切ったのにも驚いた。何で切ったのかは知らないが、ヒビもいれずに切ってしまうとは、相当腕が立つと思っていいだろう。予想しているよりもずっと、ノアが魔王の血を濃く継いでいるのを実感させられ、俺は人知れず溜息を吐く。
 コイツが、世界を脅かす存在にならないことを祈るばかりだ。
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bkm