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黒い何かが木の陰からスッと出て来たのだが、それを見て、俺は思わず叫んでしまった。
「またオメーかよ!」
なんと、その黒い何かとは魔王の息子だった。俺が思わず突っ込んでしまうのも仕方ないことだろう。そう言えば村を出る時姿が見えないと思ったけど、まさか俺達の後をつけて来ていたなんてな。考えもしなかったよ。
「貴様ッ、何故此処に居る!」
「……」
「兵はどうした!」
エイブラムの言葉からするに、村の兵士達にコイツを見ている様にと頼んだのだろう。しかしコイツは、見事兵士の監視を潜り抜け此処に居る。どうやって監視の目を潜って来たのかは知らんが、何でそうまでして俺達について来るんだ。と言うより、俺の後をか? 城で会ってからずっと、俺の後ろをついて回っている気がする。
「おい、聞いているのか!」
「知らない。あんなヤツら、態々相手をする気にもならない」
それだけ言うと、魔王の息子はゆっくりと俺達の方へ歩み始めた。徐々に縮まっていく距離に、エイブラムが制止の声を投げ掛けるも、その足は止まらない。真っ直ぐ、俺を見据えて来ているのがよく分かった。突き刺さる様な強い視線を受け、俺は思わず溜息を吐く。俺はこの魔王の息子の怒りを、知らず知らずの内に買ってしまったのだろうか。何度考えたって、コイツがついてくる理由が思い浮かばない。
そうこう考えている内に、足が止まった。俺の前に立って、ようやく。
「何だよ」
隣に立つエイブラムの気が、えらく立っているのが伝わってくる。場合によってはすぐさま攻撃を仕掛けそうだ。そうなった場合、確実に俺が巻き添えを食うので、何とか急に戦闘とかは避けたい。そう思った俺は、なるべく相手を刺激しない様、平常を心掛けた。
すると俺の予想に反し、目の前の魔王の息子は、俺の顔色を窺うような視線を寄越してきた。なぜその様な視線を送られるのか分からず、俺は思わず眉を顰める。何か裏があるかもしれない。そう思い相手の出方を窺おうとする俺の耳に、信じられない言葉が入って来た。
「俺も」
「なに?」
「俺も、連れてって」
――邪魔には、ならないから。
静かな声で、そう呟いた。俺もエイブラムも、すぐには反応出来ずに、一瞬固まる。そしてお互い顔を見合わせた。エイブラムも予想していなかったのか、目を丸くさせている。連れてって、なんで。意味が分からず答えが返せない中、魔王の息子が寂し気に声を震わした。
「ダメ?」
「いや、ダメって言うか……」
眉を下げて、悲しそうに瞳を揺らすその様は、まるで子供がおねだりしている様子そのものだ。何だか居た堪れない気持ちになる。俺はエイブラムに助け舟を求め、視線を送るが、ヤツは何か考え込むように目を伏せていて俺の視線に気付かない。おいコラ、こっち向け堅物。
「こっち」
「――!」
「そっちじゃない。俺を見て」
すると、スルッと軽く頬を撫でられ、その感触に驚いた俺は顔を前に向けた。少し不満げな表情をしているこの子供の扱いに、俺は困惑するしかない。なに、何なのこの状況。俺もう行きたいんだけど、先行っててもいいかな。
などと、心の中で現実逃避を始めた俺の横で、考え込んでいたエイブラムが漸く顔を上げた。
「いいだろう」
「あ?」
しかし、発せられたその言葉に嫌な予感しかしない。こう言う予感って、結構当たるんだよな。
「連れて行ってやる」
「おいマジか」
案の定だ。この野郎、コイツを上手く帰す言葉とかを考えていたんじゃねぇのかよ。まさかの連れてく発言に突っ掛かろうとする俺に、エイブラムは当の本人を前にして言い放った。
「あそこには陛下や勇者様がいらっしゃる。今のコイツの目的が分からない以上、そのまま城へ帰すよりも、俺の目の届くところへ置いていた方がいいだろう」
「だったらお前、コイツの監視する為に村に戻って――」
「それはしない。俺は盗賊団を捕まえると言う目的は果たす」
頑ななエイブラムに、俺はもうそれ以上何も言えなかった。俺は別に、盗賊団が追えるならそれで良い。良いんだけどさ。その突き刺さる様な視線だけは止めてくれないかと、切実に思う訳でして。
「……あんまこっち見んな」
取り敢えず釘を刺しておく。今後の俺の精神に異常をきたしそうだから。だが聞いてるのか聞いてないのか、何やら口元を小さく上げている魔王の息子は、また別の視線を俺に向けて来た。その視線が少し熱っぽく感じるのはきっと気のせいだろう。
「話しが纏まったなら行くぞ」
「おー」
「――アルフ」
エイブラムに続いて歩き出そうとした足が、中途半端に止まる。俺の名前を魔王の息子が呼んだ。つか何で知ってるんだコイツ。
「村人が呼んでたから。俺も、そう呼んでいい?」
「それ、わざわざ聞くことか?」
「呼んでいいの?」
「別に、好きにすればいいだろ」
思わずつっけんどんな言い方をしてしまうが、正直コイツにどう言う態度をとればいいのか分からない。故にこんな対応になってしまう。出会った時は、ヤツの方が突き放した感じだったのに。この短期間で何がコイツを変えたんだろうか。
「アルフ」
「んだよ。つかお前も早く来いよ」
「俺はノア。だから、そう呼んで」
魔王の息子が――ノアが、柔らかな声で俺の背中にそう投げ掛ける。俺は足を進めながら、ノアを振り返ることなく言った。
「まあ、気が向いたらな」
だから、いつ呼ぶかは分からない。もしかしたら一生呼ばないかもしれない。それなのに、俺の隣にやって来たノアは、何故か満悦そうな表情を浮かべていた。