平和になった世界で暮らしてます | ナノ


5

 何を言う訳でもないその男は、ジッと深く俺を見ていた。闇夜に佇むその男は、正直恐ろしい程美しい顔立ちをしていた。俺は俺で、そんな男から目を逸らさず見つめ返す。随分と雰囲気の変わったヤツだと思ったけど、なるほどね。コイツ、人間じゃない。隠し切れない力が、コイツから溢れ出ていた。
 見た感じ十代後半ぐらいの姿をしているから、他のヤツらが見たところで普通の子供にしか見えないだろうけど。この至近距離じゃ、今更無視する訳にも行かず、俺は溜息混じりに相手に問うた。

「お前、魔王の子供か」
「――」

 俺の問いに男は無言だったが、少し目を見開いたのを見ると、どうやら図星のようだ。あの隊長さんの言った通り、牢を出されたと言うのは本当の事だったらしいな。何故この近辺を彷徨いているのかは知らないが、誰かに見つかって騒ぎになる前に、早く勇者の所へ戻った方がいいだろうに。まあ、俺の知ったことではないが。

「何故、分かった」
「あ? 別に、それだけ魔力を持ってたら誰だって分かるだろ。それに、お前の噂は世界中のヤツらが知ってる。この城に居る事もな」
「……お前」

 男がスッと目を眇める。俺を探る様なその視線が嫌で、俺は仕方なしに立ち上がった。これ以上コイツと同じ空間に居ても意味はないし、部屋に戻るか。そう思い男に背を向けた。だが、俺の足はすぐに立ち止まる事となる。

「……おいおい、この手はなんだ」

 掴まれた右手に、俺は再び溜息を吐く。まさか引き止められるとは思っていなかった。振り返り、男に真意を尋ねようにも、男も自分自身で驚いているのか、目を丸くして俺を掴む己の手を見つめていた。何にせよ、このままじゃ埒が明かない。俺が「放せよ」と冷めた口調で言うと、男はそれに従いゆっくりと手を放した。自分の手をジッと見つめる男の表情はよく読めないが、自分でも理解出来ていない事だけは分かった。

「お前、早く勇者様の所へ帰んな」
「……」
「今は勇者の傍に居るんだろ? なら、早く戻れよ。魔王の息子のお前が彷徨いてたら騒ぎになるだろ」

 結局はこうして忠告する羽目になる。世話が焼けると言うか何と言うか。コイツ本当に魔王の子供かと疑いたくなる程の無頓着ぶりだ。人間との生活に慣れていないのもあるんだろうが、そうじゃなくてコイツはまだ精神面が危うい印象を受ける。見た目は大人びて見えるが、中身が伴ってない、そんな感じ。

「勇者に迷惑が掛かる、それはお前も嫌なんだろ? 勇者に怒られたくないなら、さっさと――」
「勇者は、怒らない」
「は?」

 思わず間抜けな声が出る。勇者は怒らない、そう迷いのない声で言い切る目の前の男に、俺は頭を抱えたくなった。いや、今のは軽い冗談のつもりで言ったんだけど。それ以前の問題だ。この男の思考回路は、大分俺の斜め上を行く。

「お前さ、流石にそれはねぇだろ」
「何が」
「勇者様の事、美化しすぎ」

 コイツの目には、勇者様がどう映っているのだろうか。命を助けてもらったからって、そこまで心酔するものなのか? 俺には、分からない。

「美化なんてしていない。俺は、見たまま感じたままの事を言っているだけだ」
「ふーん」

 俺の言葉に少し表情の変化を見せた男は、眉を吊り上げ、俺を睨み付けた。真紅の瞳が、月明かりに反射してその鋭さを際立たせる。綺麗な目だな、なんてその場の雰囲気に合わない事を心の中で思わず考えてしまう。

「どうせ、お前の様な下賤な人間に、勇者の尊さは理解出来ない。出来る筈がない」
「……尊さ?」

 まさかそんな単語を聞くとは思ってもみなかった。思わず言葉を繰り返してしまう。心酔も心酔、もう盲目レベルだ。魔王の子供なのに、勇者の崇拝者と化している。何がコイツの心をそれ程までに惹き付けたのだろう。俺はただただ首を傾げるしか出来ず、寧ろ引き気味に「そっか」と言うしかなかった。
 折角涼みに来ただけなのに。昼間の隊長さんとのやり取りもあり、疲れが蓄積されたのを感じた。

「まあ、何でもいいわ。取り敢えず、優しい勇者様の為に最後まで尽くせよ」
「言われるまでもない」
「じゃあな。助けてもらった命、大事にしろよ」

 片手を上げ、今度こそ立ち去ろうとする俺は、自分の失言にこの時は気付かなかった。

「折角その目も治ったんだしな」
「……待て、お前、何故それを――」

 男が何かを言いかけたと同時に、俺の耳に遠くで聞こえる騒ぎ声が入って来た。こんな夜中に何の騒ぎだ。まさかこんな夜中から大会おっぱじめる気じゃないだろうな。などと暢気に思っていた俺は、城の廊下を慌ただしく走る兵士たちの様子を見て、この騒ぎが只事じゃない事に気付く。思わず近くの植木の陰に隠れ、その様子を窺う。

「何でこんな時に盗賊が――しかも第一級に相当する凶悪な盗賊団が」
「襲われた村はどうなった?」
「分からない。そこに派遣された兵士たちからも連絡がない」

 そのまま俺は城の大きな柱まで移動し、何やらこの騒ぎについて話している見張りの兵士達の内容を盗み聞く。何故か俺の後ろに魔王の息子がついて来たことは、この際気にしないでおこう。

「シュリングの村なんて、何でそんな村を襲ったんだろうな」
「――!」

 一瞬耳を疑う。後ろに居る子供の存在を忘れ、俺はその兵士達の内容に耳を傾けた。
 俺の聞き間違いであって欲しい。
 しかし、そう願う俺の思いは見事打ち砕かれた。

「分からない。だが盗賊のやることなんて、金銭目的か人身売買……まあ、気の毒としか言えないよな」
「そのシュリングの村に、何か高価な物でもあったのかね」
「――」

 俺はその会話を聞いて走り出した。慌ただしく走る兵士達をすり抜け、長い長い城の廊下を走ると、城の正門前にやって来た。正門前には兵士が整列しており、その前に立つのはあの隊長さんだった。俺はその姿を確認すると、その肩を掴み振り向かせた。いきなりのことで驚く隊長さんは、俺の姿をその目に映すと、途端に眉を顰めた。

「何だ、貴様か」
「村が、シュリングが襲われたってのは本当か」
「どこでそれを……」

 つまりは、これも本当の事だと言う事か。
 欲しかった答えを得られ、俺は隊長さんに背を向けた。

「おい貴様ッ、何処へ行く」
「村へ帰る」
「今は村周辺は人の立ち入りを禁じている! それに貴様には大会が……!」

 俺はそれらの言葉を無視して、人気の少ない場所を探して辺りを見回す。どこか広い場所がいいな。キョロキョロと視線を動かしていると、後ろから俺を追う足音が聞こえてくるが、それも今はどうでもいい。

「まだ話は終わってない! 貴様が今ここを離れて大会を欠場すれば、命を背いた事により罰があると――」
「好きにしろよ」

 酷く冷めた声が出たと俺自身も思う。けど、それを気にする余裕もなく、俺は剣の鞘を抜いた。その切っ先を隊長さんに向けると、隊長さんもすかさず剣の柄に手を掛ける。

「貴様、何を……」
「刑罰でも何でも、後で好きなだけ受けてやる。けど今この場で俺を止めるな」

 帰る姿勢を崩さない俺に、とうとう隊長さんが剣を抜いた。

「今村の周りには関所を設け、人の出入りを禁止している。それに軍の先行部隊も向かっている。どの道帰った所で村には入れないんだぞ!」
「それがどうした。俺には関係ない。それに、村一つ護れない兵士が何人居たって変わりやしねぇよ」
「……っ」

 全身の血が沸き立つ感覚が治まらない。ザワザワと落ち着かない感情のまま、俺は剣を地面に突き刺すと、目を閉じ、静かに息を吸い込んだ。瞬間、俺の足元に魔法陣が浮かび上がる。それを見て、俺のやろうとしている事に気付いたのか、隊長さんが手に持っていた剣を投げ捨て俺に飛び掛かって来た。ガッと勢いよく肩を掴まれるが、隊長さんに引き倒される前に、俺の術はもう完成していた。
 ま、一つ誤算を挙げるなら、これじゃあこの煩いのもついて来るって事だけだな。

「貴様ッ――」

 隊長さんの怒鳴り声は最後まで紡がれる事なく、俺達の身体は『スキープ』の魔術によってシュリングへと飛ばされた。





 ほんの一瞬で景色が城から、村へと変わる。見慣れた筈の村の景色、ただそれは俺の知る村の姿ではなかった。目の前に広がるのは炎に焼かれた家や畑。豊かな緑に囲まれていたその村は原型を留めず、吹き荒れる熱風に微かに混じる血の臭いが鼻についた。思わず拳をキツく握る。

「ごほっ、はっ、一体、何が……」

 俺の足元には、一緒に飛ばされたショックからか、いまいち状況を掴めていない隊長さんが転がっていた。それを横目で一瞥しながら、続いてその横へ更に視線を移す。

「村が、燃えてる」

 ぼんやりと燃え盛る家を見て、そう言葉を漏らすのは何故か魔王の息子。コイツに関してはよく分からない。いつの間に俺の陣の中に入っていたんだろう。陣の中に入っていなければ、一緒に飛ばされることはなかった筈なのに。妙なやつらを連れて来てしまったが、今はそんな事に構っていられない。未だに村人の姿を確認できないことの方が重大な事だ。取り敢えずはこの炎をどうにかしよう。
 剣を天に掲げ、俺は声高々に詠唱する。そんな姿を、俺の後ろに居た二人がどんな顔をして見ていたのかは知らない。それを確認する余裕が、俺にはなかった。

「――我と盟約せし、水の精霊アプサラスよ。燃え盛る炎を消し去る力を我に」

 俺のせいだ。俺が、村を離れたから。だからこんな事になった。
 みんな、どうか無事でいてくれ。

 そして精霊の力を借りた事により、魔の力で燃えていただろう炎は、数分後には鎮火したのだった。
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bkm