二周年記念 | ナノ


その理由は知らないフリ

「……先輩って、キス上手そうだよね」
「――は?」

 原稿を書く俺の横で、涼しげな顔して本へ視線を落とすチサ先輩。そのキレイな横顔を盗み見た俺は、艶やかでふっくらと柔らかそうな唇を見て思わず呟いた。その呟きを耳で拾った先輩は、目を真ん丸くさせて俺の顔を凝視していた。本当に、結構思わずって感じだったから俺自身も驚いてる。

「な、なに。どうしたの、翔太郎……」
「えっ、あ、いやぁ……アハハ」

 見る見る内に顔を赤くさせていく先輩に、俺まで釣られて赤くなる。あーくそ。何でそんな反応するかな。そんな可愛い顔されたら、堪んなくなる。

「キス、気になるの?」
「え?」
「俺が上手いか気になるなら……」

 俺が先輩にそう言う感情を抱きはじめてからは、先輩の一挙一動が全部今までとは違って見えるようになった。だから、そんな熱の籠った目で見つめられると勘違いしそうになるんだ。先輩が俺の事を好きになるはずないって分かっててもだ。

「してみよっか、キス」
「……っ、しねぇよ」
「翔太郎」

 こんな事言ってくるなんて、からかうにも程がある。そう思って身体を寄せてきた先輩から離れようとすると、それよりも早く先輩が俺の手を掴んだ。
 なんでこう言う時だけ、こんな強引なんだよ。いつもはもっとクールな振りしてどこか間抜けで、どっちかっつーとヘタレ気味なのに。

「はやく」
「な、何で俺がする限定なんだよ」
「翔太郎から誘ったんだから。翔太郎からして」
「誘ってねぇ!」

 そしたら、教えてあげるから。
 耳元で囁く先輩の顔は笑っているが目は本気だ。その顔はどこか恍惚していると言ってもいい。俺は口をつぐみ、先輩のうっすら笑みを作る形のいい唇を見つめた。本気で、そこにキスしろと?そもそも俺がして先輩はそれで言い訳?そんな筈ないだろ。本当は、想い人にして貰いたい筈だ。

「……翔太郎?」

 でも俺も、少しでも先輩の中に入りたい。想い人を想う半分、いや、それ以下でもいいから、先輩の心に入りたい。だから――。

「……ん」
「――っ!」

 唇にはやっぱり出来ないけど、せめて俺の『恋慕』が伝わればと、俺は先輩の腕に唇を寄せた。全く違うところへのキスに、チサ先輩はまた目を丸くさせていた。
 どこかしてやったりな気分になり、俺はそのまま意地の悪い笑みを浮かべる。

「んで?キスしたから教えてくれんだろ?」

 唇に限定しなかった先輩が悪い。俺の言葉に黙りしてしまった先輩に、俺はなるべく明るく声をかけた。

「さ、悪ふざけはこの位にして、そろそろ原稿書くかな。腕、離してよ」

 だが、先輩は俺の腕を掴む手を緩めない。顔が俯いていて表情が読めないから何を考えているのか分からない。もしかして腕にキスもダメだった?確か腕へのキスは恋慕の意味があったと思ったんだけど。
 やっぱり自分の気持ちは先輩にはお荷物にしかならないんだなと少し気分が沈んだ瞬間、俺の腕を掴んでいた手がスルスルと俺の掌の方へと移動していく。そして徐に俺の手に顔を近付けてきた。息が直接肌にかかり擽ったい。

「ちょ、先輩くすぐった……ッ!」

 擽ったさに身を捩り、抗議の声をあげた瞬間、カプッと先輩が俺の手首を甘噛みした。ひぇっと声にならない悲鳴が上がる。

「な、にして……っう」

 今度はそのまま舌を這わせ掌にまで移動してくると、ベロリと俺の掌を舐めた。今度こそ、「ひっ」と悲鳴が上がった。

「チサ、先輩っ」

 止めてくれ。そう言いかけて、口を閉ざす。
 先輩が熱に浮かされたような瞳で俺を見つめるから、何も言えなかった。と言うより、何かを語りかけてくるかのようなその目に、俺は応えられないと思ったから。

「……手、離してよ」
「翔太郎……俺は……」
「原稿書きたいから、離して」

 俺の言葉に、先輩は渋々俺の手を離した。掌が、噛まれた手首が熱い。ジワジワ赤くなる顔を隠すように、俺は原稿へ向かった。その横で、先輩が小さく呟く。

「ズルい……ズルいよ翔太郎」
「何とでも」

 ゴツンと机に突っ伏した先輩。髪から覗く耳は真っ赤だ。そんなに照れるなら早いとこやめれば良かったのに。俺も大概だけど、先輩もだな。俺で試さなくても、先輩相手なら誰でも頷くよ。て言うか、勘違いさせるようなことする先輩の方がなんかズルい。
 なんて、そんな事を考えていた俺には、同じ事を先輩が思っているとは全く知らず、ただ自分の煩いほど鳴ってる鼓動を鎮めていた。


(腕にキスって……期待しちゃうだろ)
(手首とか掌にキスって、ホントなに考えてるんだか)
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bkm