千里の道も一歩から | ナノ


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 ハッキリ言って、もう来ないと思ってた。あれだけ後輩に言われたら嫌な気しかしないだろうって。まあ最後にフォローしたつもりだけど。でもまさか、昨日の今日で俺の前に現れるとは思ってなかった。

「こんにちは」
「……どーも」

 今日の昼に提出したから、この時間はゆっくり本でも読みながらと思ったのだが、どうして先輩は今日も此処に来たのだろう。つか昨日も何で来たんだろ。結局分からずじまいだった。
 俺の無言の視線に気付いたのか、先輩が俺を見て小さく笑みを零す。

「今日は何の用だって顔だ」
「……」
「昨日は原稿忙しそうだったから」

 原稿終わったなら、いいかと思って。
 そう言って笑う先輩に、俺はどう返せばいいか分からず、そうッスかと呟くことしか出来なかった。大体いいかってなんだ。その言い方だとやはり俺に用があるようだ。けど面識のない俺に一体何の用なんだ。分からなくてモヤモヤする。
 そんな俺の微かな苛立ちに気付いたのか、先輩は少しだけ、その整った眉を下げた。

「俺が此処に来るのは迷惑、か?」
「……それを決める権利は、俺にはないですよ」

 だが静かなこの空間が好きだったのは確かだ。生徒会や風紀とは比べ物にならないけど、特別な、俺だけの城って感じで。けど此処は学園。学園の施設は誰もが好きに使用できる権利がある。邪魔だから出てけと言える権利はない。俺だってただの当番だし。

「だから、好きにしたらいいんじゃないですか?」
「それは…此処に来てもいいってこと?」
「俺の話聞いてました?好きにして下さい」

 此処に来ても来なくても俺には関係ないし。そう冷めた様に言えば、先輩は更にその顔を悲しげに歪めた。おいおい、またかよ。

「お前は、俺と話すのが嫌なのか?」
「何故ですか?」
「ずっとしかめっ面だし、それに自分は関係ないって俺との関係を絶とうとするから」

 まあ、流石に分かるよな。こんだけ態度を露わにしてるんだから。俺は先輩の方へ今一度顔を向け、少しだけ笑みを作った。

「嫌だなんてとんでもない!ですが先輩が何の為に俺に話しかけてきているのか理解できません。俺に用があるなら早く言って欲しいし、ないのなら放って置いて頂けたら嬉しいなぁと思っているだけです」

 取り敢えず当たり障りのない言い方をして早いとこ退散してもらおうと考えた俺は、大袈裟に身振り手振りもつけ先輩にそう言った。だが先輩の表情はやはり固い。

「用はない」

 すると徐に開いた先輩の口からは、そんな言葉が発せられた。用はないと。マジでか。なら何で俺にいちいち絡むんだ。

「お前と、ただ話したい」
「は?」
「それじゃあ、駄目か?」

 不安げな顔でそう俺に告げる先輩の顔を、俺はさぞ間抜けな顔で見つめ返しているだろう。

「俺と話しても面白いこと一つもないッスけど……」
「いや、そんなことない」

 そんなことあるから言ってるのに、先輩の真剣な表情は俺に否定をさせてくれない。何か弱いのか強いのかよく分かんない先輩だな。遺志の強そうな目をしているのに、俺の顔色をちょこちょこ窺ってくる様子は何だか動物的だ。何か叱られた犬みたいな感じ。

「……まあ何でもいいですけど、原稿提出する時期は止めて下さいよ」
「それって、話し掛けてもいいってこと?」

 途端に先輩の目がキラキラ光る。正直俺、こう言う頼み方されんのが一番苦手。苦手って、断れないって意味でね。何か縋るような目で見てくるし、俺が此処で拒否したらーとか考えたら尚更。あーあ、俺あんま目立ちそうなイケメンと知り合いたくないんだけどな。

「その代わり、此処でだけにして下さい。外で会っても俺は知りませんよ」
「……分かった」
「そんな不満げな顔されても、これだけは譲れませんから」

 大体この学園がどう言う学園なのか、先輩だって理解しているはず。なら俺の心情を察してくれ。先輩みたいな恐ろしく顔の整った人に話し掛けられたら俺は確実に干される。

「先輩の親衛隊に制裁とか受けたくないですし」
「……俺の親衛隊を知っているのか?」
「どう言う意味ですか?先輩みたいなイケメンに親衛隊がつかないはずないでしょう?」

 え、まさかいないの親衛隊。先輩が驚いたように俺を見るから、もしかして親衛隊がいないのかと思ったが、「ああ、そう言う意味か」と呟いた辺りそうではないらしい。他に何の意味があんだ。

「なあ翔太郎」
「はい?……って、え。何で俺の名前……」
「浅木翔太郎、だろ?呼んじゃダメだった?」

 いや、そうでなくて。何で俺の名前知ってんの?と、よく考えたらこの人は俺の記事を見てくれてるみたいだし、名前を知っているのはそれを見たからかな。あれ、でも先輩よく俺があの記事を書いた浅木翔太郎だと分かったな。あの記事を貼り出すのは俺じゃないのに。

「あの、先輩……」
「チサト」
「え?」
「俺のことはチサトって呼んで、翔太郎」

 グッと顔を近付けニッコリ笑った先輩は、俺が身震いするぐらいその声に色気を持たせていた。おいやめろ。そんな声で俺の名前呼ぶな。でも本人はニコニコしてる辺り自覚はないのだろう。思わず呆れた顔をすると、先輩は不思議そうに首を傾げた。

「翔太郎?どうした?」
「いえ……チサ先輩」
「え?」
「え?何スか」
「チサ、先輩?」

 先輩が面食らったような顔をして俺を見つめる。もしかして今の呼び方が気になったのか?別に名前なんてどう呼ぼうが変わんないだろ。

「チサト先輩って、何か長いので」
「一文字しか違わない……」
「いいじゃないですか。それに可愛いですよ、チサ先輩って呼び名」
「――!」

 俺が少し意地の悪い笑みを浮かべると、なぜか先輩はその頬をほんのり赤く染めた。その反応に今度は俺が面食らう。そしてその照れた表情をそのままに、先輩は口許を緩め、綺麗に笑った。

「翔太郎は、変だ」

 いやいや、俺からしたらあんたの方が百倍変だと思うよ。とは言えず、先輩の綺麗な笑顔に当てられた俺は、「そうッスか……」と呟くしか出来なかった。
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bkm