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「浅木ー!」
「ちわっす部長」
一人廊下を歩いていると、後ろから部長に呼び止められた。走り寄って来る部長の顔は、興奮を隠しきれておらず、目が血走っていた。思わず苦笑してしまう。
「お前っ、何だよあの記事!」
「ああ、アレですか?よく撮れてるっしょ」
「ああ!凄いじゃないか!今廊下はお前の記事見たさにごった返してるぞ!」
「ははは」
興奮して俺に詰め寄る部長を、どこか冷静に見つめる自分。制服のポケットに入れてある携帯が、先程からうるさい位震えてる。
「でもお前、スキャンダル嫌いなんじゃ……」
「いいんですよ、もう」
「え?」
ポカンとする部長に、俺は笑みを深めて言った。
「スキャンダルを撮ってこその報道部、でしょ?」
その言葉に、部長はポカンと口を開け呆ける。俺はそんな部長に軽く一礼し、その場を後にした。部長の言いたいことは分かってる。けど、もう後には引けない。だから今更言葉に出すことはしない。
*
「翔太郎、何だよあの記事」
とは言え、今までの俺の記事の傾向を知り尽くしている友人からすると、到底見過ごせない記事内容だったのだろう。自分の席から窓の外を見つめる俺の元に、心配そうな友人が何人か集まって来た。
「んーまあ、ちょっとな」
「ちょっとってお前、今まであんな記事書いた事ないだろ?それに写真も、隠し撮りなんて……」
俺と一緒であまりスキャンダルを好まない友人達は、みんな揃って神妙な顔をしている。揃いも揃って、何でそんな顔するんだ。思わず吹き出す俺を見て、友人達は目を丸くした。
「心配してんの?」
「そりゃあ、なあ?」
「ああも傾向が変われば流石に心配するだろ」
ハハハ、と何てことない様に笑えば、友人達も気になりはするが、それ以上踏み込んだことは聞いて来なかった。「心配させんなよ」と、肩を叩かれる。
ただ一人を除いて。
「翔太郎」
「ん?」
「本当に、それでいいのか」
そいつはあの合宿でチサ先輩と一緒の班だったヤツだ。俺が先輩と一緒に居る所見たただ一人の友人でもある。眉間に皺を寄せ、一人笑い飛ばしもしないそいつに、俺は笑った。
「何が?」
何事もなかったように、この数日悩んでいたのを、コイツに見られているにも関わらず。
「いや……何でもない」
その瞬間、予鈴が鳴る。
席に戻って行く友人達に続き、俺を未だ心配そうな目で見る友人も何処か納得いかない様な顔をしながらも戻って行った。そんな後ろ姿を見送った俺は、浮かべていた笑みを消し、そっと溜息をついた。
*
「お前、やったな」
「何がッスか」
と言うか、校内で話しかけないで欲しい。切実に。
そんな俺の思いが伝わったのか、甲斐先輩は「だから態々一人でいる所を狙ったんだろ」とどこ吹く風だ。一人でいる所を拉致られたと言い直した方がいいと思う。
「アレはさすがに、尾上が気の毒だな」
「……話しがそれだけなら、俺行きますから」
どいつもこいつも、俺の記事以外の話をしようと言う気はないのか。
「あの記事も、今と同じ様に逃げた結果か?」
「あ?」
聞き捨てならない言葉が聞こえて、思わず先輩相手に凄む。相手は風紀委員長、普通に考えたら歯向かって敵う相手じゃないのは分かっているのに、どうしても今の言葉は冷静に受け流す事が出来なかった。
「尾上からの連絡を、全て無視しているだろ」
「さあね」
「環希が言っていた。会いに行こうにも、あの記事で上手く動けない様だしな」
「あっそ」
「今お前に直接会いに行けば事が大きくなる。そう考えた、アイツなりの気遣いだぞ」
その言葉に、俺は「へぇ」と相槌を打つだけに留めた。それを俺に言って、どうするんだ。急激に頭が冷えていく。カッとなった頭も、もう冷静さを取り戻した。
はあ、と大袈裟に溜息を吐く。これだけ面倒だと言う態度を隠さず見せても、甲斐先輩には全く効果がない。どんな神経してるんだこの人。
「親衛隊、動いてないだろ。先輩の仕事も増えてないし、別に被害ないでしょ」
「被害はないが、迷惑はしてる」
「はあ?」
あれで、何で甲斐先輩が迷惑を?
意味が分からない。
「あの記事で、公認の仲になっただろ。アイツら」
「……そうですね」
「あんな顔の冷血漢、見た事ないからな。あの顔見たら、誰だって惚れ込んでるのが分かる」
ああ、そうだな。俺は、その顔を、あの日あの図書室で撮ったのだから。執筆道具一式を持っていたお蔭で、俺はあの瞬間をカメラに収めることが出来た。我ながら、いい写真が撮れた。合宿で撮ったあの蛍の写真に引けをとらない位。
ホント、腹が立つほどに。
「だが、環希を巻き込んだのは頂けない」
「……」
「俺が迷惑と言っているのはその点についてだ」
そう言って、甲斐先輩は口元に笑みを浮かべるが、言葉の端々に怒りを滲ませている。そう言えばこの人も、転入生を囲む人達の内の一人だったっけ。だとしたら、この状況を面白く思わないのも当然か。
「そっか。先輩も、そう言う感情あるんだ」
「どう言う意味だ?」
先輩が怪訝な顔をする。
俺は、アンタはもっと薄情かと思ってたよ。恋愛に関して、特に。だからこそ、そこまで転入生に思い入れがあるとは思ってなかった。俺のしている事は、そう言う人達の想いを全て踏みにじる行為だ。それでも、もう遅い。
「悪いことしたッスね。でも、諦めてくれよ」
――転入生のことは。
そう、笑う俺を見て、甲斐先輩が目を瞠った。
「お前……そんな顔するくらいなら、もっと方法考えろよ」
怒りを感じさせない、寧ろ何処か呆れた様な先輩の声に、俺はハハッと笑いを零す。変な所で情を見せる人だよな。怒って、殴られても文句言えないような事言った自信あるのに。
それ以上何も言わなくなった先輩の横をすり抜け、俺は背を向け歩き出した。
「もう、今更ですよ」
ポツリと呟いたその言葉が、甲斐先輩に届いたのかは分からない。
俺が自分の気持ちに気付けなかった時点で、もう終わっていた。そもそも始まった時には終わっていたんだ。だから、今更、もう遅い。
それでも、こんな事をして、怒っている。きっと許してくれないだろう。でもそれでいい、自分で決めた事だから。
そう腹を括っていても、嫌われたくない。そう思ってしまう自分の浅ましさに、笑いが止まらなかった。あの人に嫌われたくないなんて、一体どの口が言うんだろうな。