千里の道も一歩から | ナノ


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 ――いつまでも考え込んでちゃダメだよな。
 そう思い至ったのは、友人に気を遣われてから三日後の事だった。今日もまた、メールを知らせる音が鳴る。俺は「今日も待ってる」と言う内容のメールを見て、放課後に図書室へ行く決心を漸く固めた。俺が図書委員の仕事をサボった所であそこの図書室の利用者などタカが知れているから、まあ問題はなかったのだが、記事の提出も迫っている。何よりいつまでも逃げ回る訳にはいかないと思ったからだ。そもそも逃げ回る理由も、ただ気まずいと言う事だけで大したことではない。
 それでも先輩が生徒会長と言うのは正直驚いたし、これからどう接していいのか戸惑いはする。先輩と過ごす時間が短ければ、此処まで悩まなかったのかも知れないが、俺は知り過ぎた。あの先輩を。だから、どうして黙っていたのか、どう言うつもりで俺に近付いて来たのか、分からないからこそハッキリさせたかった。ファンだと言っていたあの言葉が本当なのか、それとも他に理由があるのか、もう直球で聞くしかない。
 頭を乱暴に掻いた俺は、放課後どうなるか、少しの緊張感を胸に抱えたまま、その日の授業に臨んだ。





 それなのに、だ。
 授業が終わり、報道部へ執筆道具一式を取りに行ったその足で、図書室へと足を運んだ俺は、図書室の扉を開ける前、中から微かに聞こえた話し声に首を傾げた。もう既に誰かいる。しかも話し声が聞こえると言う事は一人ではないのだろう。
 先輩か?それとも別の誰か?
 来るとしても一人でと言う事が多いこの図書室で、ペアで訪れる人が滅多にいない。恐る恐る音をたてない様引き戸を引いた俺は、中の様子をこっそり窺う。少しの隙間からだから見にくい。だけど扉から覗ける範囲に、よく目立つ金髪の後姿が確認できた。

(ああ、なんだ、チサ先輩か)

 メールの通りに図書室に居て良かった。来るの早いなと思いながら、ホッと息を吐く。だがハタと気付く。先輩は、隣に座る誰かに話し掛けていて、そして楽しそうに笑っている様だった。ドクッと、心臓が嫌な音をたてる。どうやら話し声はチサ先輩と、もう一人の誰かのモノらしい。一人で待っていると思っていた俺からすれば寝耳に水だ。いや、無視して散々待たせといてその物言いはないが。親衛隊とかだったら厄介だ。
 ほんの少しだけ、扉を開ける。すると、ハニーブラウンのくせ毛の後姿が確認できた。二人は話に夢中で、扉を背にしている為、俺の存在には勿論気付かない様だ。
 後姿でも分かる。そいつは、俺もよく知っている人物だったから。
 ――何で、転入生が此処に?
 その疑問だけが、頭の中で浮かんだ。

「チサト、元気出せって」
「……ああ」
「でも意外だなぁ。チサトがこんなに奥手とはね」
「なっ」

 チサ先輩は酷く動揺した様で、転入生を凝視したその横顔は赤く染まっていた。そんな先輩を見て、転入生はケラケラ笑っている。先輩は、顔を赤くしたまま口をムッと結び、転入生を小突いた。楽し気なその光景に、俺は目を離せない。

(なんだ、これ――)

 胸の中に、大きく広がるどす黒い感情。胸が痛くて、そしてイライラする。何か胸焼けしそう。
 あんな友人同士で当たり前の様なやり取りを、俺は先輩としたことあっただろうか。いや、ない。まあ先輩後輩だから当たり前だけど、それは転入生だって同じはずだ。それなのにこの違いはなんだ?
 分からなくて、俺は知らなくて、モヤモヤする。

「最初は、少し強引にでも迫ってたんだけど」

 すると、揶揄われて不貞腐れていたチサ先輩が、ポツリと何か呟いた。先程から何を話しているんだろう。よく聞こえない。もう少しだけ、声が拾えるぐらいまで。そう思い、もう少し扉を開ける。何でこんなコソコソと盗み聞きしてるんだろう。そう頭で考えていても、その行動は止められなかった。

「でも、こうして二人で一緒の時間を過ごすだけで、何か満たされてさ」
「ふーん。それで、人気のない図書室を選んだワケ」
「まあ、見つけたのはある意味偶然かな。でも誰にも邪魔されないし。都合いいだろ?俺達だけの時間が増えるし、ね」

 そう言って転入生を見つめる瞳は、酷く優しく、何処か熱っぽい。


「ば……その顔、やめろよ」


 転入生が、その表情を見て顔を赤くした。かく言う先輩は、悪戯が成功した子供みたいに無邪気に笑っていた。その横顔を、眼差しを見て、俺は一歩後退る。フラフラと、一歩、二歩と音もなく。無意識に、笑いが零れ出そうになった。でも、たぶん声には出てないけど口の端は上がっていると思う。口元を押さえ、それと同時に暴れ出しそうな感情を抑え付ける。
 先輩と初めて会った時、先輩は言った。


『俺がお前の記事のファンだから、かな』


 小さな笑みを、柔らかな声を、俺は憶えている。
 その後、どんなに冷たく接しようとも、先輩は諦めず此処へ来た。お前と、ただ話したい――そう不安げに俺を見ていた。面倒に感じながらも、俺はそれを受け入れ、そして今では安らぎさえ感じ始めていた。
 でも、違う。そうじゃない。先輩は、そうじゃなかった。

(ホント、隠し事上手いな)

 思わずクツクツと笑みが出る。俺のファンだと言ったのも、何もかもこの為なんだろう。そう思うだけで笑いが止まらない。
 その思惑に気付かない自分の鈍感さと、馬鹿さ加減に。

「……だっせ」

 悩んで、浮かれて、楽しんで、喜んでた――今までのそんな自分を消し去りたい。惨めでいて、何より恥ずかしい。何で気付かないんだよ、何で分からなかったんだよ。馬鹿すぎだろ、俺。最初から、知っていたのに。
 生徒会長は、転入生を一途に想っている、と。
 それなのに、俺は――。


(ホント、救えねぇ)


 知らない方が良かった。気付かなきゃ良かったんだ、こんな気持ち。
 何で今更気付くんだ、こんな簡単な、単純な自分の想い。


「好きなんだ、本気で」
「うん。俺も」


 顔を上げた先にある扉から、確かに聞こえたその言葉は、ヒビのはいった俺の心を砕くには十分だった。
 




 二日後、異例のスキャンダルが掲示板に張り出される。今まで書いても見向きもされなかった筈の記事は、その日全校生徒の視線を集めた。無論、貼り出される記事を一番楽しみにしていた彼もまた、その異例の記事を目にし、そして呆然と呟く。


「どう、して」


 己と、そして転入生が隣り合って座り、そして笑いあう。その仲睦まじい姿は、誰から見ても互いを想い合っている様に見える。表情が分かる程鮮明に撮られた写真。尾上千里は、その記事を書いたであろう人物の名前から、目を離せなかった。


「――翔太郎」


 浅木翔太郎。
 そう名前が、記されていた。
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bkm