千里の道も一歩から | ナノ


22


 ――熱い、苦しい。
 遠ざかっていく背中を追うことが出来なかった俺は、ただただ熱に魘された。


『千里先輩』


 呼ばれたのは俺の名前な筈なのに、呼んでくれたのは大好きな翔太郎なのに。それなのに、『チサ先輩』と呼ばれないだけで、どうしてこんなに苦しいんだ。胸がジクジク痛む。胸を押さえたところでその痛みは無くならない。
 情けなくもその場で心身共に打ちのめされた俺は、環希に抱えられるようにしてロッジに戻された。足に力が入らず、頭が痛い。でも胸の中が一番痛い。消え入りそうな声でそう呟いたらしい俺を見て、環希が慌てて教師を呼びに行ったらしいが、もうそこからの記憶は曖昧だ。すぐに医者を呼びつけたらしく、此処ではまともな治療を受けられないと、医師が判断した事により、俺は熱に浮かされたまま山を下りる事になった。
 そして、熱が少し下がり目を覚ました時には、大分時間も経っていた。窓の外を眺め、少し陽が傾き始めた空を見つめる。すると、サイドテーブルに置かれた携帯が着信を知らせる。重い身体を少し起こし、携帯をとると、環希と画面に映し出されていた。

「……もしもし」
《あ、千里?良かった、目覚ましたんだ。大丈夫?》

 彼には大分迷惑を掛けてしまった。それに、物凄く情けない姿を。あんな姿、他のヤツらに見られたら何を言われるか。あの場に居たのが環希で良かった。

「ああ、大丈夫だ。少し熱、下がったから」
《そっか。あー、その、千里さ》
「……悪かったな。変なところ見せて。昨日から俺、余裕なくて」

 自嘲気味に笑うと、電話越しで環希が苦笑したのが伝わる。けど彼は優しいので、俺に気を遣って「滅多に見れない千里が見られたからいいよ」と言ってくれた。

「どうして、上手く行かないんだろうな」
《千里……》
「自分のせいなのかもしれないけど、正直キツイな」

 熱のせいか、思わず弱気な発言が零れる。どうしてこんなに苦しいんだ。こんなに苦しいなら、止めればいいのに。それでも、こんなになってでも、俺は翔太郎を好きでいる。変わらない気持ちがいくら辛くても、その想いが薄れることはないんだ。

《弱気な千里なんて、らしくないよ》
「環希……」
《それに諦めたら、本当に何もかも終わっちゃう。千里は、諦めるの?》

 諦めて、新しい恋を探すの?
 そう環希に問われ、考える。俺に、そんな事が出来るのか?いや、恐らくは出来ない。女々しいのかな、俺。翔太郎以外の人間と、一緒に歩んで行くビジョンが浮かばないんだ。つまり、翔太郎じゃなきゃダメってことだ。

「……諦めたくないな」
《なら、早く熱下げて頑張んなきゃな》

 環希は、俺が最終日に翔太郎を呼び出したことを知っている。だから、山を下りるとなった時も、どうにかならないかと医者に言ってくれたらしい。結果は駄目だったけど、それでもこうして俺の恋の応援をしてくれる友人が居ると言うのは、正直嬉しいもんだ。

「ああ、絶対戻ってやる。それまで環希、その……」
《うん。隆也の事だよな。任せて》

 恥を忍んでお願いしようとすると、環希は分かっていたのか、快く受けてくれた。アイツ、甲斐は、俺への嫌がらせなんだろうが、この合宿でかなり翔太郎との距離を詰めた様に感じる。それは俺の一方的な嫉妬心がそう見せてるのかもしれないが、それでももう、二人で俺から遠ざかっていく背中を見たくない。遠ざかるなら甲斐一人で行けばいい。翔太郎だけは、譲れないんだ。

「じゃあ、ちょっと寝る」
《ああ。ごめん。じゃあお大――》

 プツッと電話が切れる。ん?何か不自然に切れたな。そう思い画面を見ると、いつの間にか圏外になっていた。まあこの辺田舎だし、向こうも山の上だから仕方ないか。そう軽く考えた俺は、再び深い眠りにつくことになる。





 次に目覚めた時には、もう夜だった。俺が目覚めるのに合わせ、看護師の人達が食事を持ってきてくれた。食欲があまりないが、食べないことにはよくならない。時間は掛かるがゆっくりと食事を進めていると、携帯が光っているのに気付く。どうやら寝ている間に誰かから連絡が来ていたようだ。
 モグモグと租借しながら、何気なく携帯を眺めた俺は、着信の相手を見て、スプーンを落とした。

(翔太郎!)

 名前を見ただけで、ドキドキと胸が高鳴る。しかし今日のやり取りがあるから、すぐにその気持ちが萎んでいった。嬉しい様な、怖い様な、複雑な気持ち。何だろう、翔太郎から電話なんて、初めてじゃないか?
 時間を見てみると、環希と電話したちょっと後くらいに掛かって来ていたようだ。此処、あんま電波良くないから、圏外の時にでも掛って来たのかな。電話の内容が分からなくて少し怖いが、掛け直さないことには進まないと思い、俺は急いで翔太郎へと電話を掛けた。
 しかし、その日いくら掛けても、その電話が翔太郎へと繋がることはなかった。
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bkm