千里の道も一歩から | ナノ


20

 その後、呆然と立ち尽くす俺は甲斐先輩に促されるまま、リビングのテーブル席についた。そのままテーブルに突っ伏す俺の様子を黙って見ているだけで、甲斐先輩はあれやこれや聞き出そうとはしなかった。きっと、俺が話し出すのを待っているんだろう。くそ、マジで俺だけ余裕ない人じゃん。

「……甲斐先輩」
「ん?」
「俺って、我儘ですか?」

 急に何だと言わんばかりの顔で、俺の前に座る甲斐先輩が目を瞠る。

「……我儘と言うより、マイペースなんじゃないか?まあ良くも悪くも、それを我儘と捉える人もいるだろうがな」

 つまりは、我儘に思う人も居ればそう思わない人も居ると。そう言われるとそれが答えの気がして、何も言えなくなってしまう。それ位、甲斐先輩の回答は正解に近いのかもしれない。

「自分が我儘だと思うのか?」
「つか、自分勝手じゃね?って思う」

 まるで自分じゃないみたいに。
 机に突っ伏した俺がそう言うと、甲斐先輩がフッと小さく笑った。

「大方、アイツの事で悩んでいるんだろう」
「アイツ?」
「あの冷血漢だよ」

 甲斐先輩はチサ先輩を冷血漢と呼ぶが、俺にはとても先輩が冷血漢には見えない。人違いじゃないかと思うが、俺は実際の所先輩をよく知らないことだし、俺に見せていない部分もきっとあるんだろう。先輩、秘密主義だし。

「俺のせいで風邪ひかせたし、昨日長谷川秀樹に言われたこと、確かにその通りかもって考えて謝りに行こうと思ったら、もう山を下りたんだって」
「は?アイツが……?」

 俺の言葉に甲斐先輩が驚いた声を上げた。先輩の下山は甲斐先輩にとっても予想外だったらしい。

「んで、案の定電話したら繋がんない。圏外なのか、電池切れなのか……まあ転入生と話し過ぎて電池切れって線だと思う」
「なるほど。それでそんなに不貞腐れてるのか」
「は?不貞腐れてねぇよ」

 甲斐先輩の言葉に思わず言い返すが、確かにその事実が本当だとしたら相当面白くないと思っている自分が居る。だから、考えてしまうんだ。俺って我儘なのかなって。応援したいと思ってた筈なのに、矛盾する自分の気持ちに辟易する。

「もう一度掛けてみればいい」
「いや、別に。大して用事ないし。大丈夫って、笑って言ってたみたいだし」
「ならその浮かない顔は何なんだ?」

 そんなの、俺が聞きてえよ。
 思わず、思ったまま口に出そうになった時、玄関の扉が開いた。入って来たのは隊長さん。どうやら自由時間は終わったらしいな。でもどう言う訳か、俺達の姿を見るや否や、大きな目を吊り上げて睨んできた。

「ちょっと、アンタ何で戻って来なかった訳?」
「あー、ちょっと甲斐先輩とお話してただけですよ。ねえ先輩?」
「……お前、こう言う時にだけ先輩に甘えるのな」

 ニンマリと笑顔で甲斐先輩に問い掛けると、先輩が呆れた顔で俺を見た。いやいや、使える物は先輩でも使わないと。

「俺が引き留めたんだ。一人寂しく部屋に居ては気が滅入ってな」
「謹慎の身でよく言うよ」
「それはそうと、何でこの部屋に戻って来た。このまま夕食の準備だろう?」

 その言葉にグッと息を呑んだ隊長さんは、顔を真っ赤にしながらいきなり声を上げた。

「べ、別に僕が何処に居ようと勝手でしょ!」
「そんなに怒鳴る程の事を聞いたつもりもないが?」

 解せないと言う先輩の表情にも頷ける。俺にもよく分からん。この人の怒りのポイントはチサ先輩並みに分からん。

「ふん!いつまでも喋ってないで手伝ってよね!」

 そう言って乱暴に扉を閉めて出て行った隊長さんに、俺も甲斐先輩も呆気にとられていた。結局何しに来たんだあの人。首を傾げる俺に対し、甲斐先輩は何かに気付いたのか、ハハッと愉快そうに笑った。

「成る程な。アイツ、お前を捜しに来たんだろ」
「は?俺を?」
「誰にも知らせずに此処に戻って来たんだろう?心配したんじゃないか?」

 甲斐先輩はそう言うけど、俺はいまいちピンと来ない。だって、別に仲良くもないし。向こうにとっては俺も邪魔な存在だろうし、そもそも心配してもらう理由が見当たらない。

「まあ取り敢えず夕食、作りに行けよ」
「あ、ウッス。行ってきます」

 ポンと背中を押され、俺はそのまま歩き出す。

「俺の分もよろしくな」
「了解ッス」

 そしてロッジを出た。忘れて来た携帯の存在を、また忘れて。





 ――翔太郎がロッジを出て以降、ずっと鳴り止まない携帯の音。
 テーブルに置かれたそれをジッと眺めながら、甲斐は少し複雑そうな顔で頭を掻く。


「お前が、そこまで間の悪い男だったとはな」


 きっと電話の向こうで焦っているであろう男の姿を思い浮かべ、甲斐はひっそり溜息を吐いた。
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bkm