千里の道も一歩から | ナノ


18

「ちょっと!何規則破ってんの!?」

 甲斐先輩と帰って扉を開けた瞬間に浴びせられた怒声。俺と甲斐先輩は揃って「あ。忘れてた」と声を出した。そういや居たなこんなヤツ。昨日のあの騒ぎでも出て来なかったから忘れてたわ。

「僕にアレだけ言っといて……って、ええ!?なんで!?」
「は?」

 どう弁解しようかと頭を悩ませていると、急に隊長さんが俺達の後ろを指差した。青筋たてて俺達を怒鳴るかと思いきや今度は顔を赤くさせて後ろを指差す。あまりに怒り過ぎて気でも触れたのか?

「どーすんスか。隊長さん、可笑しくなっちゃったじゃん」
「そうか?いつもあんなんだろ」
「……アンタ、ホント適当だよな」
「どーして長谷川様が此処に!?」

 なんて甲斐先輩とコソコソ話してたら、聞き捨てならない台詞が聞こえて来た。思わず甲斐先輩と一緒に振り返る。すると俺達の後ろにいつから居たのだろう。長谷川秀樹が立っていた。そして振り返った俺達に「やっほ」と手を振った。

「なんでアンタが居んだよ」
「んー?向こうも面白そうだったけど、やっぱこっちかなって」
「は?」
「へえ。お前、仲間なのに良いのか?」
「仲間だから、親友の恋は応援したい訳よ」

 そう言いながらもニヤニヤと笑う長谷川は、同じくニヤニヤしている甲斐先輩と何やら話が合う様子。親友の恋とは、まあチサ先輩の事なんだろう。親友には見えないけど。つか、あの二人を二人っきりにするためにこっちに来たって事だよな。一応空気は読めるんだな、こいつ。ホント一応。

「は、長谷川様……」
「ふーん。倉田くんも同じ部屋って、本当なんだ」
「……っ」
「甲斐に見張られてるから、環希に下手な事出来ないね?でも、今回はかいちょーが一緒に居るんだもんねー。そりゃ気が気じゃないよね?ホントは今すぐにでも邪魔しに行きたいよね?」

 ね?ね?としつこく追い詰める様な物言いに、隊長さんの顔が青褪めていく。その姿を見て、長谷川はまるで隊長さんを嘲笑うように口元を上げた。まあ、俺もこの隊長さんの事は、友人から噂程度の事を耳にした位だからよく知らないけど、それでもこう言う風に人を追い詰めるやり方は正直好かない。話し合いにもなってない、こう言う一方的な会話がな。

「……アンタさ、この人を言い負かす為に来た訳?」
「はあ?」
「だったら早く自分の部屋戻ったらどースか?もう気は済んだっしょ」

 つか人の部屋でそう言うギスギスしたこと始めないでくれよ。そう言うのは昨日のだけで十分だから。けど、それで引き下がる様な性格じゃないのは、前に言い合いした時に何となく感じてはいた。長谷川は俺の言葉を受け、今度は俺に向って軽蔑ともとれる視線を向けて来た。

「へえ、翔太郎が庇うんだ。よりによってソイツを」
「庇ってねぇよ別に」
「チサトにとって敵なそいつを、翔太郎が庇うんだ」
「――!」
「え?」
「かわいそー、チサト」

 そう言ってクスクスと笑う長谷川。チサ先輩にとって、この人が敵ってどう言う事だ?訳が分からず思わず睨む俺を、表情を無にした長谷川が見つめ返してきた。

「俺はこー見えて義理堅くてね。チサトの恋は応援してあげたいと思ってるんだ」
「わー全然見えねー」
「ハハハ。ぶん殴りてぇ。でもさ、その上でコイツは絶対邪魔な存在になるよ。断言する」

 チサトにとっても、翔太郎にとってもね。
 そう言って、青い顔して固まる隊長さんを指差す長谷川。チサ先輩の恋の邪魔に、この人がなる?何で断言出来るんだ。断言するぐらいの証拠を、こいつは持っているのか?

「つか、なんで俺の邪魔になるって?」

 先輩の恋路に俺関係ねぇし。そう思った瞬間、先程の転入生と先輩の姿が頭を過り、少し胸の奥がチリッと痛んだ。くそ、イライラする。

「……なんか、今でも十分かわいそーだねチサト」
「あ?」
「て言うか、俺と翔太郎のやってること、何が違うの?」
「……は?」

 そう言う長谷川の声はとても冷たく、その瞳も冷めていた。

「翔太郎はさ、倉田くんが青い顔して言い返さず、一方的に俺の言葉を受けて可哀想に思ったから、倉田くんを庇ったんだよねー」
「だから庇ってなんか……」
「でも今の俺の行為と、さっきのロッジの前での翔太郎の行為は、どう違うの?」
「え?」
「確かに人を傷付けるのは気持ちが良いもんじゃないよね。それは俺も悪いと思った。でも翔太郎は、さっきチサトを傷付けなかったって言えるの?」

 その言葉に声を詰まらす。傷付けてなんかいない。いないのに、先輩の為にやった筈なのに、先輩は酷く傷付いた顔をしていた。それは、形が違っても、長谷川と同じことをしたってことなのか?
 確かに一方的に話を終わらせたし、先輩の言い分なんて何も聞かなかった。先輩の表情を、見ようともしていなかった。俺は、自分が嫌だと思うことを、知らず知らずの内にやってたって事なのか?

「――」

 先程の甲斐先輩の言葉が浮かぶ。『珍しくお前が焦った末に選んだ道だ』って。その時はそんな事ないって思ってたけど、俺、そんな考えにも辿り着けない程、本当は焦ってたのか?
 ならどうして、焦ったんだろう。


「もうその辺でいいだろ」
「……!」


 パンッと、手を叩く音が部屋に響いた。俺を含めた三人は、音のした方――音の発信源である甲斐へと視線を移した。

「俺達が時間外に部屋を出たのは俺に責任がある」
「……」
「んで、それに浅木は巻き込まれただけだ。色んな事がいっぺんに起きて、本人も混乱したと思う。それにアレは、浅木のせいだけじゃないだろ。今ここで何も知らない浅木を責めても何もならない」
「へえ、随分と翔太郎の肩を持つね」
「お前はアイツの肩を持ち過ぎだ。ま、本気でアイツの応援をしてるんだってのは伝わった」

 言うだけ言って、甲斐先輩は徐に扉から出て行こうとする。その背中に、長谷川が声を掛けた。

「ちょっと、何処行くのさー」
「お前も来い。部屋に戻るぞ」
「はあ?まだ話の途中なんだけど」
「応援するのはいいことだが、それで浅木の気が逸れたら元も子もないぞ」
「……それ、お前が言うこと?」
「ハハ、まあ今回は俺が悪かった。アイツとは長い付き合いになるが、ああ言う感情を剥き出しにする様な表情は見たことがなかったからな。面白くてつい揶揄ったんだが、やり過ぎだと昨日環希に釘を刺された」

 頭を掻いて困った顔をする甲斐先輩に、長谷川が呆れた溜息を吐く。

「チサト、なんでこんなヤツを幼馴染に選んだんだろ」
「幼馴染は選ぶもんじゃないだろ。それに、幼馴染で括られるが、特別仲が良い訳ではないからな。俺達は。ただ単に付き合いが長いだけだ」
「食えないヤツ……」
「それは俺の台詞だ」

 二人で何やかんや言いながらロッジから出て行く。俺は、その後姿に何も声を掛けられなかった。言いたいこと全部、間違いな気がして……寧ろ、長谷川の言う事が全部正しい気がしたから。悔しいけど、俺のやり方はチサ先輩を傷付けた。良かれと思ってやったとしても。傷付けたことに変わらない。それなのに、自分はやり方が気に入らないと言って他人を助ける様な真似をする。それが、長谷川にとっては苛立って見えたのかもしれない。チサ先輩を、仲間として思ってるから尚更。


「ねえ」
「……」
「ちょっと!ねえってば!」
「あ?何スか?」


 ボーッと一人、閉まる扉を見つめていたら、横から大きな声で呼ばれ、意識を引き戻された。何かと思ってそちらに目をやると、隊長さんが俺を見上げていた。さっきのような怒気はない、少し落ち込んだような顔だ。

「アンタは、その……」

 フと、隊長さんが握る拳が目に入る。少し震えている。さっきの長谷川との会話をまだ引き摺ってるのかな。

「隊長さんは、長谷川秀樹の言葉に傷付いた?」
「え?」
「震えてるから」

 正直に聞いてみた。すると隊長さんは少し目を伏せて、小さく頷き返した。けど、その後に「でも……」と何かを堪えるように声を絞り出した。

「長谷川様に睨まれる様な事をしたのは事実だし……風紀委員長に目を付けられる様な事をしたのも、事実」
「……」
「どうして、上手く行かないんだろ」

 その声がどんどん小さく、掠れていく。後悔してるんだ、この人。自分のした事に。


「……ただ、好きなだけなのに」


 その小さな呟きが、やけに心に深く沁みた。
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bkm