17
「環希……」
ザワッ。
チサ先輩が転入生の名前を呼べば、また俺の胸の奥がざわつく。んだこれ、訳分かんねぇ。そのままチサ先輩の傍までやって来た転入生は、チサ先輩の顔色が悪いことに気付いたのか、少し慌てている。
「浅木?大丈夫か?」
その様子をぼんやり見ている内に、甲斐先輩が俺の傍までやって来た。この人に会ったら色々言ってやろうと思ってたけど、今はそれさえもどうでもよく感じてしまう。
「あー……おはようございます、甲斐先輩」
「おはよう。昨日は寝れたか?」
それは夜の出来事を言っているのだろうか。
寝れたかどうかを問われれば、俺は爆睡した。寝不足でもなんでもない。なんの問題もなしだ。
「まあ、よく眠れましたよ」
「アイツも一緒に、か?」
「何々なんの話ー?」
少し意地の悪い笑みを浮かべた甲斐先輩を、思わず睨む。すると俺と甲斐先輩の会話を聞きつけた長谷川まで食い付いてきた。地獄耳め。別に隠す事じゃない。さっきこいつに言った通り俺達はただ寝ていただけだ。それなのに、今この場でそれを言えないのは、何でだ?
俺は無意識の内に、視線をチサ先輩に戻していた。丁度、熱がないか俺がさっきしたように、転入生も先輩の額に手を当て確認している所らしい。
ああ、成る程。それを見て、また一人納得した。
「――先輩。戻ろう」
「え?」
「ちょ、しょーたろー?」
甲斐先輩の腕を掴んで歩き出した俺に、甲斐先輩も長谷川秀樹も驚いている。けど、俺としては一刻も早くこの場を離れたい。その一心で速足でその場から歩き出す。
「っ、翔太郎!?」
チサ先輩がそれに気付くも、俺は足を止めないまま、先輩に背を向けた状態で手を振った。
「その先輩、具合悪いみたいだから。後頼んだわ」
「しょ、翔太郎!待って!さっきのはッ」
「別に気にしてませんよ。先輩、お大事に」
最初のは転入生に。最後のはチサ先輩に向けて言った。
しかし、チサ先輩は速足の俺の後を追おうと勢いよく駆けて来た。具合悪いんだから大人しくしてろよ。バシッと、今度は先輩に腕を掴まれ、俺はそれ以上前に進めなくなった。
「翔太郎!」
「なんですか?」
「……こっち、向いてよ……翔太郎」
先輩にそう言われ、俺は仕方なしに後ろを振り返る。でも振り返った瞬間、先輩が俺の顔を見て目を見開いた。
「早く寝た方がいいですよ。『千里』先輩」
「翔――」
「今日は本当にすいませんでした。行きましょう、甲斐先輩」
「ああ」
ニッコリ笑顔でそう言うと、案外簡単に手が外れた。
俺はそのまま笑顔をはり付けたまんま甲斐先輩の腕を引き、チサ先輩達に背を向け再び歩き出した。先輩がそれ以上追ってくる気配はない。後ろで、甲斐先輩が溜息を吐いた。
「アイツも気の毒だな」
「え?なにか?」
「いや……なんでも」
それにしても、どうして先輩はあんな傷付いたような顔をしたのだろう。
目を見開き俺を見るその表情は、傷付いたと言わんばかりの顔だった。でも、俺としては上出来だと思うんだ。俺、そんなに愛想笑いも得意じゃないし、普段も大声出して笑うタイプじゃないから、いざって時に笑顔を出せるか不安だったけど、意外と俺演技派かも。
「普通の後輩感出てました?」
「そうだな。お前は『普通の後輩』として見れたな」
俺のやろうとしたことが分かってたらしい甲斐先輩の言葉に、俺は少し満足気な顔をする。これならきっと、転入生も俺と先輩の仲を疑ったりしないだろう。昨日の夜も何もなかったと証明できたはずだ。そう、こうするしかなかった。この方法が、一番疑いを晴らすのにいいと思ったから。
「……まあ、アイツはそんな簡単に受け止めきれないだろうけどな」
「何スか?」
「んー、いや。ただ色々拗れて来たなぁと思っただけだ」
甲斐先輩の言っている意味が分からず首を傾げると、先輩は笑みを浮かべて言った。
「お前がアイツらを気遣っての行動をとったつもりでも、相手にはそう伝わらないって話だ」
「え?」
「珍しくお前が焦った末に選んだ道だ。まあ頑張れよ」
「は……焦ってなんかないですよ」
何を言い出すかと思えば、俺が焦る?違うっての。気遣いを焦りと勘違いしてもらっちゃ困る。焦る要素なんか何処にもない。そう、何処にも。
だからきっと、この胸の中のモヤモヤもすぐに晴れる。