千里の道も一歩から | ナノ


15

 ――ホント、敵わないと思った。
 俺は目の前にある後ろ頭を見て、思わず笑みを零す。翔太郎は、優しい。面倒だとか、自分には関係ないと突き放すも、それでも最後は俺に手を差し伸べてくれる。今だって、翔太郎はこうして俺を受け入れてくれてる。あんなに怒ってたのに。俺の醜い嫉妬心が抑えられなかったせいで起こったことなのに。

(でも、嫌だったんだ)

 こんなの初めてだった。電話越しで聞こえる甲斐との会話。同じ班ってだけでも嫌なのに、同じベッドで二人して寝てると分かったらもう頭の中が真っ白で、心の中がドロドロとした感情で渦巻いていた。分かってるんだ、翔太郎がそんな事するはずがないって。なのに、翔太郎を責める様な言い方をしてしまった。
 それに、環希と一緒に行ったのも、別に俺が連れたわけじゃなくて、血相変えて飛び出した俺を心配してついて来てくれただけだった。でも周りが見えず甲斐だけを標的としてた俺は、余計な事をたくさん言った。翔太郎だってかなり引いてたと思う。おまけにその気はないとまで鼻で笑われてしまう始末だ。
 さすがに、あれは傷付いた。自分で言った事だとしても、俺に脈なしだと直接告げられているようなものだから。それなのに、どうして翔太郎はこうも俺を許してくれるのだろう。いっその事突き放してくれれば、俺はこんな情けない姿を晒すことはないだろうに。それでも心が、身体が翔太郎を求めてしまう。全部、初めてなんだ。こんなに切ない気持ちを抱くのも、愛しい気持ちが溢れるのも、全部。翔太郎だけなんだ。


「翔太郎」


 耳元で低く囁く。けど返事はない。ゴソッと身体が一瞬動いたが、すぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。どうやら完全に眠ってしまったようだ。

「試されてるのか、俺……」

 思わず一人ごちるが、当然相手からの返答はない。

「っ……」

 後頭部から少し下へと視線を移すと、そこには剥き出しの項が見える。ゴクリと無意識の内に唾を呑み込む。白くて、綺麗な項だ。けど此処を、甲斐は触ったのか?
 先程の電話越しの会話からして、甲斐は此処を汚した。翔太郎を、俺の大事な翔太郎を汚したんだ。再び胸の奥がキリキリ痛み、ドロドロと嫌な感情が溢れだす。本当は、今すぐにでも手に入れてしまいたい。甲斐が触ったんなら、俺だって触りたい。そんな傲慢で、自分勝手な感情ばかりが俺を苛む。

(駄目だ。落ち着け、俺)

 冷静でいろ。折角翔太郎がくれたチャンスだろ。甲斐は関係ない。俺と翔太郎の関係に、アイツは一切関係ないんだ。
 そう自分に言い聞かせ、俺は指先で翔太郎の項を撫でた。

「ん……」

 擽ったさからか、翔太郎が小さく身じろぐ。俺はそのまま自分の袖で項の後ろを軽く擦る。気休めだけど、消毒の代わり。本当は俺が上乗せしたかったけど、そんな事をしたら歯止めが利かなくなりそうだから。
 よし、これぐらいでいいか。自分の満足のいくまでそれを行い、腕を引っ込めた瞬間だった。突然翔太郎が勢いよく寝返りをうった。それは本当に勢いよく。

「ちょ、翔太ろッ――」

 その名を呼ぼうとして、瞬間息を止めた。目の前に、翔太郎の顔がある。俺の唇に、翔太郎の吐息が掛るくらい近い。状況について行けず動けない俺は、取りあえず自分の心臓が馬鹿みたいに煩いことだけは理解できた。そして馬鹿みたいに顔が熱いのも自覚してる。

(近……っ)

 傍から見れば今の俺は酷く滑稽だろう。それ程までに混乱していた。そして更にそんな俺に追い打ちをかけるかのように、翔太郎が薄く目を開けた。そして至近距離でその瞳と目が合う。寝ぼけ眼な翔太郎は、一人で顔を真っ赤にして狼狽える俺を見て、何を思うだろうか。

「あ、う……」

 何か言わないと。違う、これは翔太郎が寝返ってこんな近いだけで、他意はないと伝えたかったが、中々言葉に出来ない。何してんだ変態とか言われたらどうしようと、半分涙目の俺に、翔太郎は何故か薄く笑った。


「――え」


 チュッと、額に柔らかな感触が押し当てられた。なに、今の。
 状況が把握できずに呆ける俺を余所に、俺の頬を両手で包み込んだ翔太郎は、今度は唇をゆっくり俺の瞼へ寄せていく。そこにも軽く、唇が押し当てられた。


「どうした……寝れないの……?」
「え、あの……」
「早く寝ろって」


 低く掠れた声でそう囁かれ、俺は本気で頭の中がパンクしそうになる。いつもの翔太郎とは思えない程色気を含んだ声に、俺は眩暈さえ覚える。そして翔太郎は、そのまま俺の頭をすっぽりと抱えて、また動かなくなってしまった。

(今の、は……?)

 まだ心臓がバクバク言ってる。言うなれば、翔太郎の胸に抱かれているこの状況も落ち着けるものではない。けど、漸く少しは頭の整理が出来るようになってきた。きっと、今のは寝惚けての行動だろう。でなきゃ、翔太郎が俺にあんなことをする筈がない。あんな、自分からキスするなんて。けど、馬鹿だな俺。


(嬉しいとか思ってる……ホント馬鹿)


 状況はどうあれ、好きな子からこんな風に触られたんだ。男として嬉しくない訳ない。それに、いつもより色気が倍増しになってたから、余計に。


(翔太郎……)


 ギュッと、翔太郎の背中に手を回して、翔太郎の胸に顔を埋めた。
 ドロドロした感情は、一体何処へ行ったんだろう。今はこんなにも愛しい気持ちしか湧いてこない。


「好きだよ」


 早く、この言葉を伝えられたらいいな。
 そう心で呟きながら、俺は静かに目を閉じた。





 朝早く起きた俺は、異様な現場を目撃することとなる。

「……先輩?」

 何故か毛布も掛けず、上半身は床に、下半身(膝から下)だけがベッドに乗っかっている状態のチサ先輩がそこには居た。しかもその状態で寝ているのか、まるで死体の様に動かない先輩に俺は朝から肝が冷えた。


「あ……」


 そう言えば俺、先輩に自分の寝相の事言ってないや。
[ prev | index | next ]

bkm