千里の道も一歩から | ナノ


14


「追い掛けなくていいのかよ……」

 咄嗟に口から出た言葉は、より雰囲気を悪くするものでしかなく、俺は一瞬自分を殴りたくなった。こんな時にそれ言わなくても良かっただろ俺。そう後悔するも、先輩からは「ち、が……」と言葉になっていない返答が返って来た。んだよ、否定するならビシッと否定しろよ。ハッキリしない先輩の返答に苛立ち、俺は態と大きく溜息を吐いた。ああもう、面倒臭い。

「まあ、もういいや。先輩そこのベッド使いなよ」
「え?」
「俺、リビングで寝るから」

 じゃあ。と手を上げ部屋から出ようとした俺の腕を、又しても先輩が掴む。

「だから痛いって」
「な、何で翔太郎が外で寝るの?」
「は?んなの、ベッドが一つしかないんだ。仕方なくね?」

 先輩育ちとか良さそうだし、椅子とかじゃ寝れねぇだろ。今日一日我慢すればいいだけだし、俺は机に突っ伏して寝る。けど先輩は納得しない様で、焦った顔で俺に詰め寄る。

「ならベッドで二人寝れば……」
「は?ベッドですることは一つだけなんだろ?俺、その気ねぇし」
「――!」

 ハハッと笑った俺の言葉に、チサ先輩がサッと顔を蒼くさせた。これは先輩が自分で言った言葉だ。なのに、何でそっちがそんなショック受けてんだよ。俺の腕を掴んでいた先輩の手がスルリと外れた。先輩の表情は、すっかり俯いてしまっていて分からない。けど、心なしか身体が震え、拳が強く握られている。
 あーもう、どうしてそんなリアクションとるかな。これじゃあ完全に俺が悪者みたいじゃん。今回俺何もしてなくね?ただ寝ようとしてただけだよね?

「チッ」

 思わず舌を打つ。それにさえ、先輩の肩はビクッと跳ね上がる。
 まあ、正直キツイこと言ってるのは自覚ある。だから先輩もこんな委縮してんだろうし。ガシガシガシと、今日何度目か分からないが頭を乱暴に掻く。そして俺はゆっくり深呼吸をした。落ち着け、少し冷静になれ俺。自分に言い聞かせ、心を落ち着かせた俺は、今度は逆に先輩の腕を掴んだ。


「……っ」


 瞬間先輩が息を詰めた。しかし俺はそれに構わず、わざとらしく「あー眠」と口にして先輩の腕を引っ張った。それもベッドの方に。先輩が戸惑ったのを感じた。

「え……?」
「早く寝てよ。俺の気が変わらない内にさ」

 そう言って俺は先輩の腕を離し、いそいそと先程まで自分が眠っていた布団に潜り込む。まだ少し温かいな。

「何してんの」
「あ、でも……」

 ベッドの傍で突っ立ってるチサ先輩は、俺の顔を見て眉を下げていた。俺はもう一度「早く寝てよ」と声を掛け、自ら布団を捲って先輩が入れるスペースを空けた。先輩が目を見開く。けど、それだけで中々入って来ない。


「言っとくけど、もう俺此処退かねぇから。此処で寝るのが嫌ならリビングで寝てよ」


 俺はフンッと先輩に背を向け、毛布を被った。くそっ、俺が折れたのにいつまでもウジウジしやがって。心の中でそう悪態をつき目を閉じた俺の背後で、人が動いた気配を感じた。そして、自分の被る毛布が、少し捲られた。
 遅いんだよ、まったく。


「――翔太郎」
「っ……なに」


 そのまま毛布に身体を滑り込ませた先輩は、ギュウッと背後から俺を抱き締めた。耳元で先輩の声が囁かれ、俺は思わず身体を震わせる。おいコラ耳元で喋んな。

「ごめん……ありがと……」
「どっちだよそれ」
「どっちも」

 何か俺、先輩に甘いのかな。こうして先輩から言われたら、仕方ないなって許してしまう気分になる。

「言っとくけど、次訳分かんない諍いしてても俺知らないから」
「うん」
「それと……ちょっと言い過ぎた。ごめん」

 あー何かこの状況で謝るって、なんか恥ずかしいな。先輩は背後に居てどんな顔してんのかも分からねぇし。けど、少しだけ俺を抱き締める力が強くなった気がした。

「翔太郎……」
「ん?」
「ううん。何でもない」
「何だよそれ」

 なら呼ぶなよと笑い混じりに言うと、先輩も小さく笑った。

「翔太郎」
「もう返事しないから」
「うん。最終日、迎えに行くから」

 最終日?
 一瞬何だっけと頭にハテナが浮かんだが、そう言えば先輩と約束してたな。


「そしたら全部、伝えるよ」
「何を?」
「……秘密」


 図書室で言ってた時と同じだ。秘密と言って先輩は全部隠してきた。けど、今の感じは何処か違う。何だか一瞬、ドキッとしてしまった。ピッタリと背中には先輩がくっついてる。バレなきゃいいけど。この少し早くなった心臓の音が、先輩に。


「ま、気長に待ってる」


 敢えて平常心を装い、俺は再び目を閉じた。
 甲斐先輩の時とは違い、少しだけ背後を意識してしまって直ぐには寝れなかったが、いつの間にか俺は眠りの世界へと意識を沈ませていったのだった。

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bkm