千里の道も一歩から | ナノ


13


 まあ、俺には関係ないか。そう思って、いそいそと枕に顔を埋めた瞬間、リビングの方でガタンッ!と大きな音が上がった。

「んー……なんだよもー……」

 今の音で結構意識戻された。俺は頭を乱暴に掻きながら徐にベッドから立ち上がる。つか消灯時間過ぎてんのに何騒いでんだよ。甲斐先輩か?何のために俺が早く寝たと思ってるんだよ。アンタが自分で言ったんだろうが。
 沸々と先輩への怒りを溜めながら、俺は態と大きな音を立てて部屋の扉を開いた。

「あの、マジでうるさいんで静かにしてもらっていいです……か?」

 強い口調で喋り出したにも関わらず、残念なことに俺の声はどんどん窄んでいった。何と言うか、驚き過ぎて目の前の状況が理解出来ない。とにかく呆然と目の前の光景を眺めながら、俺は今一番の疑問を口にした。


「なんでチサ先輩がいんの?」


 眉を顰め、首を傾げる俺を、言い争っていたであろう三人が見る。
 ん?つか、チサ先輩の腕を掴んで抑えてんの、アレじゃね?

「……転入生さんまで、俺らの部屋で何してんスか?」

 そう、噂の転入生だ。それが何故か今チサ先輩と一緒に居る。と言うかチサ先輩の目が血走ってて怖いんだけど。そんな目で俺を睨んでもなんにもならないっての。取り敢えず一番この中で冷静に佇んでいる甲斐先輩に、何があったのか聞こう。

「甲斐先輩、これは一体……」

 そう思い口を開いた瞬間、チサ先輩が目にも留まらぬ速さで甲斐先輩の胸倉を掴んだ。転入生がまたもや「千里!」と叫び、胸倉を掴むチサ先輩の腕に飛びついた。俺もそれを見て、大慌てで三人に駆け寄る。転入生が飛びついたことで緩んだのか、一度胸倉から手が離れた。それを見て俺は何も考えず、二人の間に割って入り、甲斐先輩に背を向け、チサ先輩と向かい合う。

「ちょ、何してんのチサ先輩」
「なんで」
「え?」
「――どうして、甲斐を庇う」

 低く冷めた声。顔は俯かせてしまって分からない。けど、俺が今まで聞いた中でも、一番ゾッとするぐらい抑揚のない声だった。でも俺は、その言葉に身に覚えがない。

「庇う?俺が甲斐先輩を?」

 噂では鬼の様に恐ろしいとまで言われる甲斐先輩を、俺が態々庇う訳ない。そんなの考えればすぐ分かる筈なのに。何を言ってるんだこの人は。そこまで考えて、ハタと気付く。俺は今、甲斐先輩を背に向け、チサ先輩と向かい合っている。つまり、殴りかかろうとしたチサ先輩からすれば、俺が甲斐先輩を庇った様に見えたのかもしれない。

「いやいや、て言うかそれ誤か――」
「二人で寝てたのに、俺、邪魔だった?」
「は?」
「もう、セックスしてたの?」

 予想外の言葉に、俺は思わず面を食らう。待て待て、何か色々な誤解を盛大に受けている気がするのは俺だけか?いや、つか先輩からそんな言葉を聞くとは思わなかったから余計衝撃的と言うかなんか。そう思っているのは俺だけではないのか、チサ先輩の隣に立つ転入生は心配そうに先輩を見てるし、後ろからは甲斐先輩のやれやれと言わんばかりの溜息が聞こる。おいコラ甲斐先輩黙ってないでなんか言えよ。元はと言えばアンタのせいだろ。

「……するかよ。どんな発想だよ。俺が甲斐先輩と?冗談でもやめてくれよ」
「俺は別に構わないが」
「ちょっと黙ってて。つか俺の中の甲斐先輩像が崩れていくから止めて。切実に」

 誰だよ甲斐先輩はマトモだとか何とか、少し好感が持てるとか思ってたヤツ。嘘だろ、完璧ヤバいよこの人。

「仕事とプライベートは分けるタイプなんだ」
「聞いてないからちょっと黙ってて。つか黙ってろ」

 コソコソと後ろの甲斐先輩と会話していると、チサ先輩が顔を上げ、鋭い視線を甲斐先輩に向けながら俺に話し掛ける。

「ベッドの上ですることなんて、一つだけだろ」
「はあ?」

 断言するようなその発言に、俺は苛立ちを隠さずそのまま声を発した。

「だからしてねぇっつってんだろ。何なんだよさっきから責める様な言い方しやがって。そもそも何しに来たんだよ。俺はそれだけが聞きたいんだよ。それなのによく分からねぇことペラペラ言いやがって。あームカつく」

 吐き捨てる様に言うと、今度は目の前の二人が面食らった様な顔をする。

「つかさ、それはチサ先輩自身がそうだから、そうやって言ってくんだろ?」
「――ッ!」

 俺の言葉に、微かにチサ先輩に動揺が走る。

「ベッドの上ですることが一つだなんて、誰が決めたんだよ。少なくとも今日俺は、寝る為だけに使ってました」
「あ……」
「ベッドが雨漏りで一つ駄目になったから、仕方なく甲斐先輩と一緒に寝ることになっただけだから。何ならもう一つの部屋に居る会長の親衛隊隊長さんにも聞いてみろよ。同じ答えが返ってくるから」

 あー、何か言ってて虚しくなってきた。何で俺こんな弁解みたいな真似しなきゃいけないんだ。つか弁解するような事なのか?ただ寝てただけなのに、こんな血相変えてまで責められる様な言い方されるなんて思ってなかったな。
 思わずため息を吐くと、目の前のチサ先輩が先程の怒りが嘘の様に狼狽えだした。

「あ、ごめ……ごめん、翔太郎……俺……」
「チサト……」

 今度は弱々しくなったチサ先輩の傍に寄り添う転入生。そんな二人を見た瞬間、余計にその思いが加速した。何だろう、凄く、虚しく感じる。何か急にどうでも良くなった。

「もういいから、出てけよ」
「翔太郎っ」
「つか、邪魔なの俺達の方でしょ?二人で、早く部屋に帰りなよ」

 やってらんね。もう寝よ寝よ。そう思い再び部屋に向かおうとすると、誰かに腕を掴まれた。痛いぐらいに掴むその人は、何を焦っているのだろう。さっきはあんなに怒ってたのに。意味分かんねぇ。

「痛い」
「違うんだ翔太郎。俺達は――」
「別にいいよ。俺に弁解はいらない。関係ないから」
「――!」

 チサ先輩の顔も見ずにそう告げると、先輩が息を呑んだのを感じた。それに一瞬罪悪感を覚える。ああ、駄目だ。このまま一緒に居ても、たぶん先輩を傷付けることしか言えない。何だかそう言う気分だ。俺は乱暴に頭を掻き、先輩の手を振り払おうとした。


「仕方ない。俺が蒔いた種だ。今日はこれで許してくれ浅木」
「は?うおっ!?」
「――ッ」


 だがその前に甲斐先輩がその呟きと共に、俺とチサ先輩の身体を強く、それはもう強く部屋の方へと押した。バランスを崩しながら縺れる様に部屋に放り込まれた俺達は、非難の目を甲斐先輩に向ける。

「甲斐ッ、お前!」
「今日だけだ。ルール違反に目を瞑るのは。俺は今日、向こうで環希と寝る」
「え?俺?」
「はああ!?」

 おい誰だこの人をマトモだとか何とか、ってこれさっき言ったな。いやいや、つかお前が規則だから寝ようとか言ったんだろうが!何率先して規則破ってんだよこの先輩!

「明日の朝、また戻る。お前も、戻る準備をしておけよ」

 そう言って転入生の肩を抱いて扉を閉めて行ってしまった甲斐先輩。俺は呆然とその閉まった扉を見ていた。ありえない、色々と。何なんだあの人。

「……翔、太郎」
「――ッ」

 バッと勢いよく隣を見ると、不安そうに俺を見つめる先輩と目が合った。そうだった、先輩居たんだった。でもさっきの事もあり、気まずさから思わず目を逸らす。また先輩が、小さく息を呑んだのが分かった。
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bkm