千里の道も一歩から | ナノ


6

 扉の前に立って居た人物を見て思わず固まると同時に、胸の奥が微かに温かくなったのを感じる。でもそんな自分の異変を悟られたくなくて、敢えていつも通りに話しかけた。

「先、輩?何してんスか、扉の前で」

 やべ、少しだけ声掠れた。でも先輩は気付いていない様で、何やら顔を赤くさせ慌てふためき、終いには「しょしょしょ翔太郎っ」と盛大にドモっていた。その様子が可笑しくて少しだけ笑うと、先輩がキョトンと俺を見た挙句、そのまま目を輝かせた。何だか今日の先輩はいつも以上に忙しい人だな。主に表情が。

「俺もう帰ろうと思ってたんですけど、先輩此処使いますか?もし使うなら鍵を……」
「ち、違うっ!俺は、翔太郎に逢いに来たんだ!」

 鍵を渡すから終わったら戻してくれと言おうとしたら、そのまま肩を掴まれ、強制的に図書室の中へと押し戻された。この間から思ってたけど、最近の先輩は勢いが凄いな。そんな事をぼんやり思っていると、俺が引いてるとでも思ったのか、先輩が今度は青褪めた顔で「ごめん」と謝って来た。

「は?何で謝るんスか?」
「だって、今日もこの前も、俺突然声上げたりして……別に、翔太郎に怒ってる訳じゃないんだ」
「……」
「でも、どうしても、翔太郎には分かってもらいたくて、俺ッ!」
「チサ先輩」

 必死に言葉を探して俺に何かを伝えようとしている先輩の話を遮って、俺は先輩の手を引いた。手に触れた瞬間、ビクリと先輩が反応したけど敢えて気にせずに、俺はいつも先輩と並んで座るカウンターに向った。

「帰ろうと思ってたけど、やめた」
「え?」
「立ち話も何なんで、座ろうよ。先輩」
「え、あの、翔太郎……?」
「俺も先輩に話したいことあるし」
「――!」

 俺が自分から先輩と話そうと誘ったのは、もしかしたら初めてじゃないか?先輩も俺の言葉に驚いてるし、たぶんそうなんだろう。
 ストンと席に座ると、先輩も少し緊張した様に俺の横に腰掛けた。でも以前より少し距離が遠くて、思わず首を傾げる。

「何か遠くない?」
「あ、いや、ちょっと今自制する自信なくて、ごめん。気にしないで」

 え、何。今度は胸倉掴まれたりすんの?それは怖ぇな。でも俺から見て特別怒っている様には見えない。まあ先輩が何に怒ったのか分からない俺が言うのも何だけど。見る目ないって言うのかな。
 まあ距離はいいや。俺は取り敢えず、先輩と会ったら言うべきことを言おうと思ってただけだし。

「あのさ、チサ先輩」
「何?」
「この間はごめんなさい」
「え?な、何で翔太郎が謝るの……?」

 先輩が困惑した様に俺を見る。本当に心当たりがないと言わんばかりの顔だ。

「て言うかそれ俺の台詞。先輩が謝る必要なくね?ってさっき思った」
「そんな事ない。あれは、八つ当たりみたいなものだったから……翔太郎が謝る必要、ないんだ」
「そうは言うけど、俺結構思った事口に出やすいからさ、先輩に態々聞くことでもないじゃん、ああ言う色恋の話とかさ」
「い、いや、それは……」

 いずれは、二人でごにょごにょごにょと最後の方は小さすぎて聞き取れなかった。まあとにかく、俺があそこで転入生好きなのー?とか聞かなければ先輩の逆鱗に触れることもなかった訳だし。ちょっとした好奇心からこうなった訳だから、俺としては先輩に悪い事をしたなと、あれからよく考えたんだ。

「ホントはさ、最初先輩が此処に来なくなったとき、別にいいかとも思ったんだ」
「……っ」
「俺この静かな空間、結構好きだったから。だから此処で原稿書いてたんだ」

 そして、これは先輩に伝えておきたいと思った事。ホントだから、最初は本当にどうでも良かったんだ。

「でもさ、ある日先輩が突然来てその静かな時間が終わった訳じゃん」
「ご、めん……」
「しかもすっげぇイケメンで無駄に声良いし、そして謎も持ってます!みたいなミステリアスな雰囲気あって何だこいつ腹立つとか思った訳よ」
「……」
「あ、そうだその前に、先輩。これ読みながら聞いて」
「っ、え?」

 顔を俯かせ、俺の話をジッと聞く先輩に、俺は鞄から原稿用紙を取り出した。しゅんとしている先輩は、受け取ったそれを見て、ハッと目を見開いた。

「これは…」
「今週の原稿。これから出しに行こうと思ってたんだけど、先輩が此処に居るから書き直しかな」
「え、それってどう言う……」
「いいから読んでって。んで、俺も話の続きするけどー」

 先輩が慌てて原稿用紙に目を落とす。けど俺の話も聞かないといけないと思ってるらしく、チラチラこっちに顔を向けながら読んでいる。相変わらず行動が面白い。

「えっとそれで?なんだっけ。ああ、そうそう。そう思った訳よ、第一印象は。けどさ」
「……?」
「いつからか分かんないけど、俺、先輩が居ないこの空間がさ」
「――!」
「結構、寂しいって思ったんだよね」

 先輩が来なくなって、居なくなったら前の様に戻るかと思った。けど、違うんだ。前の様な静寂が訪れても、その空間ではもう、俺は安らぐことは出来なくなっていた。扉が開く度に顔を上げ、先輩が入ってくるのを見るのが、もう日課みたいになっていたから。
 そして先輩は、俺の記事と俺の話を両方理解したのか、何やら顔を真っ赤にさせ狼狽えていた。まあ結構恥ずかしい記事書いたよ、自分でもそう思う。因みにこれ友人にも未完成のヤツ見てもらったけど、告白か!と大爆笑していた。因みに言っておくが、断じて告白ではない。俺は先輩から原稿を受け取り、少しだけ熱くなった顔を隠しながら言った。


「どうッスか?俺の、仲直りの仕方の記事。これで仲直り出来そうですかね?」


 ニヤッと笑いながら先輩を見ると、顔を隠したいのか、完全に机に突っ伏してしまった。髪から覗く耳が赤くなっているので、相当照れているらしい。まあ、これ先輩に宛てて書いたようなもんだからね。俺の記事なら見てくれると思って、今回は仲直りをテーマに書いてみた。記事と言うより手紙に近いかもしれない。

「おーい先輩。俺、返事欲しいんだけど」
「……っ」
「やっぱダメ?許してくれない?」

 先輩からの反応があまりになくて、先輩の髪を一房抓みながらそう言うと、先輩が勢いよく顔を上げた。その顔が本当に赤くて、俺は少し心配になった。そして髪を触った俺の手をギュッと握って、俺の前に立った。そうするとさっき自分であけた距離が埋まるけど、自制が利かないとか言ってなかったか?本当に大丈夫か?

「ち、違う!許すも何も、俺は最初から翔太郎に怒ってるわけじゃない!ただ、何も言えない自分に腹が立っただけで……っ」
「何も言えないって?」
「そ、それは…」

 もしかして、それが先輩が此処に来なくなった理由か?

「先輩に言えないことが多いのは、今に始まったことじゃないじゃん。何も気にする必要なくね?」
「え?」
「まあ確かに隠し事って気分のいいもんじゃないけど、俺としては姿が見えなくなることの方が気になる」
「翔太郎…」
「前だったら、そうは思わないかもしれないけど、今ならそう思うよ」
「――」

 そう言って笑うと、先輩は衝動的にかもしれないが、俺に抱き付いてきた。それも、ガバッと、勢いよく。チサ先輩から此処までがっつり抱き付かれるのは初めてなので驚いた。細い様に見えて結構がっしりした身体つきだ。まあ俺の友人は結構抱き付いてくるヤツも多いし、報道部の人達も結構スキンシップ多めだ。だから不快感とかはないけど、先輩がそう言う事をしてくるとは思わなかったな。

「チサ先輩?」
「翔太郎、俺、翔太郎が――」

 俺が?何?
 その言葉の続きを先輩が言おうとした瞬間だった。


<あ、あー、此方生徒会。会長様、会長様。今すぐお戻り下さい。緊急の仕事です。飛び出して行くのはいいですけどタイミングを考えて下さい。いいですか、今すぐにですよ>


 その声を聞いた瞬間、先輩がガバッと起き上がった。そして目を真ん丸くさせていた。今のは誰だろう。凄く声が怒ってるように聞こえた。しかも呼び出し相手が生徒会長って。つか今の理由なに!

「ふ、ははは。ウケる、会長様飛び出してったんだ!何かあったんスかね……って、どうしたんですか?」
「……何が?」
「いや、眉間の皺すっごいスよ」

 今の放送に笑う一方で、先輩は何やら般若の様な顔で凄んでいた。今の一瞬で何があったのか、そんなに腹立つ放送だったのか。まあ先輩の怒り所はよく分からないが、取り敢えず俺の言いたいことは今日全部言ったし、大分スッキリした。

「さて、そろそろ帰りましょうか。先輩も帰――」

 帰ります?と先輩の方へ顔を向けた瞬間、額に柔らかい何かが押し当てられた。そして酷く穏やかで優しい顔をした先輩が、俺の頬を一瞬だけ擦り、そして笑った。


「翔太郎。ありがとう。俺、今死んでもいいって思えるぐらい幸せだ」
「……物騒な事言わんでください」
「うん。まだ死ねないね。だって此処に来ないと。待っててくれる人が居るから」

 行こう。そう言って俺の手をとる先輩に引かれ、俺達は図書室を出る。


「このイケメンめ……」
「え、なに?」
「何でもないッスよ」


 なるべく冷静を装って話したけど、流石にこれは初めてだよ。額にキスって、どこの国の王子様だこの野郎。色々驚いたけど、今のキスに対して不快感がないと言うのに気付いたのは、俺が寮の部屋に戻ってからの事だった。
[ prev | index | next ]

bkm