千里の道も一歩から | ナノ


4

「おい、翔太郎」
「……」
「翔太郎!!」
「え?あー、何?」

 友人の声に呼ばれ、俺の意識は引き戻された。
 顔を上げると、すぐ傍に立つ友人が呆れた表情で俺を見下ろしていた。

「何じゃねぇよ。何ボーっとしてんだ、移動教室だぞ」
「ああ、悪い」

 俺としたことがついボーっとしてしまった。机の中から教科書を取り出し、俺は席を立った。

「お前大丈夫か?」
「は?何が」
「ここんとこずっと放心してんじゃん。具合でも悪いのか?」
「いや」

 友人がそう言って心配そうにするが、俺としてはあまり自覚がない。そんなに呆けてるかな。違う、と言うかどちらかと言うと考え耽っていると言った方が正しいかもしれない。

「俺さー、何か先輩を怒らしたっぽいんだよね」
「は?」
「でも何で怒ったのか見当もつかなくて」

 それで、此処数日考えているんだ。あの日、俺は何を言ったのだろうかと。だって、あの日以来、チサ先輩はパタリと図書室に姿を見せなくなった。折角謝ろうと思っていたのに。俺と先輩があそこで出会ってから何気に経つが、此処まで姿を見せないのは初めての事だった。
 最初は体調でも悪いのかと思っていたが、そうではなさそうだ。それじゃあ原因は何かと言われたら、あの日の先輩のキレ具合だ。

「え、何お前。もしかして此処のとこずっとボケっとしてたのって、それが原因?」
「ボケっとしたつもりはないけど、まあ考えてはいる。そして答えは出ない」
「……へえ」

 うーんと頭を捻る俺に対し、何やら友人は興味深そうに相槌を打った。

「なに」
「いや、だってお前がそう言うので悩むってあんまないじゃん」
「……そうか?」
「基本お前煽って放置する系じゃん?だから何か意外だなって」
「何だよ煽って放置する系って。只のろくでなしじゃねぇか」

 え、俺ってそんな風に思われてたの。何かショックなんだけど。けど友人は、そっかそっかと何だか子供の成長を見守る親の様な目を俺に向けて来た。ちょっと腹立つから肩パン入れといた。痛いとか言ってるけど俺は気にしない。

「んで?何て言ったんだ?つか、もしかして前言ってた図書室の先輩?」
「ん。特に何も言ってねぇよ。ただ転入生が好きなのかと訊ねたらキレた」
「え?」
「いや、だって名前で呼ぶし。あの転入生の周り、美形だらけじゃん?だから先輩もアイツに惹かれる一人なのかと思って聞いたら、何かキレだして……」
「なんて言ってたんだ?」
「何だっけ。何か転入生だけじゃない的な事言ってたな。名前を呼ぶのは」
「へえ」
「でもなぁ、てっきり俺はそうだと思ったのに、何であそこまで怒るかね」

 確かに俺は時々デリカシーないよねみたいな事言われるけど、特にデリカシー関係ないし、やっぱり何で怒ったのか分からん訳よ。何か次第に馬鹿らしくなってきた。何で俺が此処まで考えないといけないんだ。特に悪い事した訳でもないのに。謝らないととまで思ったぞ。

「まあ、そればっかりは本人に聞かなきゃ分かんねぇだろ」
「もういいけどさ。どの道、もう来ねぇだろ」
「……」

 こんなに悩んでも答えは出ないんだ。これ以上悩んでも仕方ない。それにもし俺が謝ろうにも、皆あの先輩の事を知らない。だからクラスとかも全然分からない。まあ三年の教室覗けばどっかには居るかもしれないけど。そこまでして俺に何のメリットがある。

「ま、よく考えたら最初に戻るだけだわな。また静かな図書室に戻りそうだぜ」
「けどいいのか?」
「だから、もういいって」
「でも、お前がこんなに考えたんだぞ。もういいで済ませられる程、切り捨てられる存在なのかよ」

 友人が足を止める。少し先を言った俺は、ゆっくり振り返った。何だよその真剣な顔は。俺はそんなつもりで相談したんじゃねぇよ。

「……行こうぜ。授業、もう始まる」

 俺がそう促すと、友人は小さく返事をしてまた歩き出した。今度はお互い、教室につくまでの間、会話をしなかった。と言うか、俺が出来なかった。もう俺自身、分からない。だって、元に戻るだけだろ。あの静寂が包む図書室に。嬉しい限りじゃないか。それなのに、どうしてこんなに心は晴れない。どうしてあの人の事ばかり考える。

 ――どうして、あの人が来るのを待っているんだ。

 分からないことだらけ。
 だから今日も俺は、上の空だ。
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bkm