千里の道も一歩から | ナノ


3

「……翔太郎は」
「え?」
「翔太郎はその話聞いて、どう思った?」

 顔を赤くしたままの先輩が、そんな事を聞いてきた。質問の意味が分からず首を傾げる俺に、先輩が少し気まずそうに目を逸らす。

「どうって、何が?」
「その……環希と生徒会長がデキてるって聞いて……」

 聞いたことを後悔しているのか、徐々に言葉が尻すぼみになっていく。何故そんな後悔しているのか分からないけど、俺としては別に気になるところがある。

「チサ先輩って、もしかして転入生が好きなの?」
「――え?」
「だって、前も思ったけど名前で呼んでんじゃん」

 初めて先輩と会った時も、先輩は環希って転入生を呼んでたよな確か。単なる好奇心から出た疑問だったのだが、先輩の様子が可笑しいのに気付いた俺は、小さく先輩を呼び掛けた。しかし反応はない。俯かせた顔からは表情も窺うことが出来ない。
 けど一つ分かるのは、先輩の雰囲気がガラリと変わった事だけだ。

「先輩?」
「なんで」
「え?何ですか?」

 もう一度先輩を呼ぶと、小さく何かを呟いた。あまりに小さいそれを聞き取る事が出来ず、思わず聞き返す。すると先輩は、何かを堪える様に声を絞り出した。

「翔太郎だって、名前で呼んでる……っ」
「え、あ、まあ」
「心だって、雨音だって、秀樹だって名前で呼んでる!」

 どんどん声を大きく荒げさせていく先輩に、流石に俺も驚いてたじろぐ。
 つか誰だよ心とか雨音って。

「なのにっ、どうして俺が環希を好きだって事になるんだ!!」
「せ、先輩、ちょっと落ち着いて……ッ」

 勢いよく席を立ち、先輩は俺の肩を掴んで揺さぶる。突然の先輩の荒ぶりようについて行けない俺はただ先輩を宥めるしか出来ないのだが、先輩の必死な顔を見て声を詰まらせた。何つー顔してんだよ。その蒼い瞳の力強さに、俺は言葉が出なかった。

「俺が、俺が好きなのは――」

 そして先輩が続けて何かを言おうとした瞬間だった。
 突如、室内に携帯の着信音が響いた。これは、俺の携帯だ。
 そこからは早かった。俺は鞄を掴むなり、先輩を押し退けて一目散に扉に走った。

「翔太郎!?」

 先輩が慌てて俺を呼び止めるが、俺は振り返るどころか返事もせずに廊下に飛び出した。ドクドクと脈打つ心臓が煩い。

(――何。何だよ、一体)

 掴まれた時の力強さも、俺を真剣に見つめる眼差しも、いつも見ていたあの先輩とはあまりにかけ離れていて、正直ビビった。震えが走るほど。あの瞬間、何故だかあれ以上先輩の話を聞いてはいけないと、そう直感が告げた。あの先を聞いたらきっと戻れなくなる。そう感じたから。

(あれ、けど、逃げる必要なくね?)

 そう思って校舎を出た時に後ろを振り返るが、先輩が追ってくる気配はない。整わない息をそのままに、俺は鞄から携帯を取り出す。友人からの着信で、メールが届いていた。内容はくだらないことで、『カリカリ君売り切れてたー』とかだった。
 途端に遣る瀬無くなった俺は、ただ頭をグシャグシャとかき回して、図書室に残してきた先輩の姿を思い浮かべていた。

(明日、謝ろ)

 先輩の豹変ぶりに驚いて飛び出しちゃったけど、たぶんあの先輩がああ言う風に声を荒げると言うことは、俺が何か先輩の逆鱗に触れてしまったのかもしれない。それが何かは分からないが、謝りもせずにそのまま飛び出したのは頂けなかったかもしれない。そう、明日だ明日。今戻っても気まずいし、明日謝ろう。
 そう思った俺が馬鹿だったのかもしれない。


 ――次の日、先輩は来なかった。
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bkm