千里の道も一歩から | ナノ


4

(面白い……)

 読んだ感想はそれしか出てこない。
 そもそも俺達のスクープを撮ろうと躍起になる報道部員の中で、正門の噴水に着目する生徒が居たことに驚いた。去年まであんな記事は無かったから恐らくは後輩だろう。その記事は何ともウィットに富んでいてとても惹き込まれた。途中のトレヴィの泉の話なんか特に面白かったな。一人うんうんと記事の前で頷いていると、いつの間に授業が終わったのだろう。あっと言う間に生徒に囲まれた。マズったと思いつつ、俺は四方から飛んでくる言葉の数々を適当に流し、その場から歩き出す。
 落ち着いて記事も読めない。その事に少し不満を感じながら歩いた時だった。

「あれ、今野休み?」
「ああ。何か風邪だって」
「確実にお前のせいだろ!」
「いやいや。今野は快く噴水の中に飛び込んでくれたぞ」
「お前なぁ、もう十一月だろ。そんな中噴水に飛び込むお人よしなんてアイツぐらいだぞ。もっと敬え」
「ああ、俺は決して忘れない。あの中に百八十二枚のコインが入っていたことを……」
「何か意外と少なくね?」
「全部五百円玉」
「マジか!」

 雑踏の中聞こえて来たその会話に勢いよく後ろを振り返る。だが生徒が周りにわちゃわちゃしていて誰が誰だか分からない。でも、今の会話は確かにあの噴水の話だった。どんな子が書いているのか、あの記事を読んでから凄く気になった。だから見てみたかった。けどその矢先にまさかその子とすれ違うなんて。もっと注意して見とけばよかった。悔やんでも遅いが、顔も知らない相手となると捜すのは大変だ。
 そう、名前はさっき見た。記事の最後にあった名前。


「浅木、翔太郎……」


 それが、あの記事を書いた子の名前だった。





(今回の記事も面白かったな)

 一人ほくほくした気持ちになりながら、俺は周りに群がる生徒達を避けながら廊下を歩く。あれから俺はあの記事が上がる度に掲示板に顔を出す様になった。皆俺が自分の事が書かれた記事を見て怒っていると思っているのか、周りの親衛隊の子達は記事を見て色々言っていた。でたらめだとか嘘だとか。まあ、その記事の内容、七割本当で三割嘘ってところだな、今のところ。俺が節操なく相手をしているのは紛れもない事実だし、盗撮とかなければ別に書かれても問題ない。もう、これは周知の事実だから。
 でも今はそんなのどうでもいい。俺の目的はそれじゃない。掲示板の一番左端。そこに俺が求める物がある。あの日から俺はあの記事のファンになった。下手な小説を読むより面白い。そもそも観点が俺とは違う。だからかな、こんなに関心を惹くのは。
 今日もまた、掲示板の前は記事見たさに集まる生徒で大賑わいだ。俺は朝一で記事を見た。報道部の記事が前の夕方の内に掲示されると知ったからだ。だから今日の朝一人でウキウキと読んだのだ。もう彼の記事を追って半年。もうすぐ俺は最高学年になる。未だ彼を見つけてはいない。このままこの記事だけ見続けられればと最初は思った。けど、彼の記事を見る度、俺は彼が見る世界が知りたくなった。俺達生徒会など目にもくれない、彼が映している世界は一体どのような物なのだろうかと。知りたい、そう思ってからは早かった。
 俺は、彼に会いたい。会って、俺の知らない世界を見据える彼の目に留まりたい。名前しか知らない、顔も知らない彼に想いを馳せながら、俺は生徒溢れる掲示板の前を横切った。


「翔太郎、お前マジで感謝しろよな!」
「分かってるって。ホント助かった。今度食堂で奢る」
「よっしゃ!でも今回はマジ大変だったな。みんなが手伝ってくれたから良かったけど」
「掘り起こせなかったタイムカプセルの話聞いたら何かやりたくなってさ。見つかってよかったよ」
「その代わり泥まみれになったけどな!」
「あはは」
「笑い事か!」


 ピタリと足を止めた。翔太郎、その名前だけが俺の耳に届いた。俺を囲う人だかりの向こう。そう、丁度左端の彼の記事の前に居る二人組。俺はそちらへ顔を向けた。

「さて、次移動だよな。行こうぜー」
「おー。つかすげぇ人だな。あ、成る程。生徒会長だ」
「ふーん」
「ふーんてお前……おい待てよ!置いてくな!」

 俺と目が合ったそいつは、翔太郎!と俺に目もくれず歩き出す生徒にそう叫ぶ。そんな二人の後姿を、廊下の曲がり角に消えるまでずっと見つめていた。と言うより動けなかった。俺は今猛烈に感動しているんだ。

(見つけた。ようやく見つけた。浅木翔太郎)

 胸の中で高鳴る鼓動を感じながら、俺は緩みそうになる表情を引き締めていた。





 浅木翔太郎。
 二年B組一番。血液型はB。誕生日は十二月六日。報道部所属、そして前期は図書委員に入っている。寮の部屋は四階の東側、四〇二号室。教室での席は真ん中の後ろから二番目。
 そこまで頭に浮かべ、はたと気付く。

(これじゃまるでストーカーだな……)

 俺の後をつける報道部員の事を悪く言えたもんじゃない。俺は、独自の調べで此処まで彼の事を知ることが出来た。けど、それだけだ。俺がどれだけ彼の前に現れても、チラリとも此方を見ない。人だかりの中に立つ俺に興味などないのは、彼の記事を見続けたから分かってる。俺に興味があれば、彼もスクープを狙って俺に近付くだろう。
 まあ、彼なら大歓迎なのだが、そうは問屋が卸さない。残念だ。俺は未だに彼の目に留まることなく日々を過ごしている。悔しいが、俺では彼の興味が引けない。それに内心苛立ちながら、俺は特別棟へと足を向ける。早く行かないと、みんな待ってるしな。そう思って校舎を出た俺の前を、颯爽と横切る人が居た。自分で言うのもなんだが俺は人目につく。騒がない生徒も珍しいなと思って、その姿を目で追う。息が止まるかと思った。

(浅木翔太郎……!)

 ドキッと心臓が跳ねた。
 ジワジワと顔まで熱くなっていく。大丈夫か俺、こんなことで一々顔を赤くするなんて今まで無かったのに。ジッとその姿を見ると、どうやら何か考え事をしているのか、手元の資料を見ていて、俺の存在に気付いていないようだ。

「センリ様!さ、さようなら!」
「……ああ」

 俺の後ろで数人に声を掛けられた。それに軽く挨拶を返し、俺の足はつい浅木翔太郎の後を追ってしまう。彼が向かうは何故か東棟。放課後になった今はもう使われることなど殆ど無いはずだ。東棟の方へ消えていく彼の姿を追いながら、俺はハッとする。今確実に俺の後ろには報道部員やら親衛隊やらが誰かしら見ている事だろう。このまま彼の元へ行けば、彼に迷惑が掛かるのは目に見えている。そうなれば彼の関心を惹く所の騒ぎじゃない。
 そこからの俺はかなり頑張ったと思う。久し振りに全力疾走した気がする。とにかく撒くことだけを考えて、走って隠れてを繰り返した。漸く完全に撒けたのは、浅木翔太郎を見掛けてから一時間は経っていた。俺は乱れる息を整えながら東棟へ足を踏み入れた。案の定、東棟には人気がない。今この場には、俺の息遣いしか聞こえない。
 一体、彼は何処にいるのだろう。と言うより、まだ居るのだろうか。追って来たものの、俺はどうしたいのか、様々な思いが胸中を駆け巡る。それでも一番強い想いに従い、歩き出す。俺は、彼に会いたい。一歩一歩、足を進めながら教室を見て回った。居ない、居ない、何処にも居ない。やはり帰ったのだろうか、息も整い冷静な考えが出来るようになった俺を不安が襲う。でも諦めたくないと、捜し続け、そしてとうとう最上階。三階の一番奥、図書室の前に来た。
 どの教室も鍵がかかっていたから、此処も掛かっているかと思った。しかし、少し力を入れて分かった。開いてる。その瞬間、身体がブワッと熱くなった。この先に、彼が居る。そう考えるだけで身体中の細胞が活性化する。

(まずはどうしよう、ああそうだ。ちゃんと記事の話しよう、そんでファンだと打ち明けて……)

 彼との会話を頭の中でシミュレートしながら、俺はどくどくと脈打つ心臓を押さえる。
 こんな気持ちに、今までなった事ない。誰かと会いたいとか、話したいとか、興味を引きたいとか、そんなこと全然考えた事なかったんだ。今まで俺は、気持ちのない行為でいいと自分に群がる彼らを同情もすれば蔑みもした。そんなことをしても意味がないから。それでも自分の興味を引こうとする彼らを理解出来なかった。
 けど、今の自分は彼らと同じだ。そう同じ気持ちなんだ。

(俺はいつの間に、こんなに……)

 顔も知らなかったのに、彼は、あっと言う間に俺の心を鷲掴んだ。

(もっと知りたい、もっと俺を知って欲しい。その瞳に、俺を映してほしい)

 だから、ちゃんと自分から動く。少しでも、彼との距離が縮まると信じて。
 ――蒔かぬ種は生えぬ。
 その言葉を胸に刻み、俺は極力笑顔で話しかけた。


「――まだ、書けてないんだ」

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bkm