千里の道も一歩から | ナノ


2

 あの日から、俺の当番の日をしつこく聞いてきたチサ先輩は、悉く俺が当番の日に現れる様になった。しかし本当に俺と話をするためだけに来るのだ、この人は。本当に意味が分からない。

「翔太郎」
「何スか」
「ん、何でもない」
「はあ?」

 本に目を落としていた俺は、カウンターの横に居座るチサ先輩に呼ばれ顔を上げた。しかし返って来た言葉は何でもない。思わず先輩相手にはあ?とか言ってしまった。何、遊ばれてんの俺。

「……先輩って暇ですね」
「そう見える?」
「だって今週俺ずっと当番ですけど、毎日来てるじゃないですか」

 暇人以外有り得ないでしょ。そうは思うが、一つ気になるのは隔週の金曜日にだけは来ないと言うこと。それはつまり、この先輩も何か委員に属しているんではないかと言うことだ。

「先輩は何委員に入ってるんですか?」
「なんで?」

 俺の質問に笑みを浮かべながら聞き返してくる先輩に、質問で返さないで下さいよと呆れた様に言うと、先輩がだって…と綺麗な笑みを浮かべた。やめろその色気半端ない笑み。

「翔太郎が俺のこと聞いてくるのが嬉しくて」
「は?」
「俺に少しは興味を持ってくれてるってことだろ?」

 だから嬉しくって。そう言って笑う先輩を、思わず間抜け面で見てしまう。何でこの人はこう、照れもせずに言うかな。何だよ興味持ってくれてるって。別に興味とかそう言うんじゃなくて、ただ純粋に気になっただけだっつの。あれ、それが興味って言うのか?

「でも、どうして俺が委員会に入ってるって思うの?」
「だって隔週の金曜日来ないって事は、月二である定例会に出てるってことじゃないんですか?」

 俺の推理に先輩が目を瞬かせた。

「凄いね、翔太郎。俺が来ない日だけで分かったんだ」
「別に。偶々です」

 そう、別にいつも来てたのに突然来ない日があると少し気になるって言うか、ただそれだけだし。深い意味は何もない。
 因みに定例会は生徒会、風紀委員長、各委員の委員長で行われる話し合いだ。どう言う活動をするとか、気になった事を話し合うらしい。月二でやることじゃないよなと図書委員長が愚痴っていたのを聞いたことがあるが、今の生徒会長になってから学園の生活の質向上の為に隔週でやることになったと聞いた。凄いねぇ会長さん。流石、生徒の鑑となる人だ。よく知らないけど。

「それで?何委員会ですか?」
「ん?秘密」
「は?」

 あれ、前にもこのやり取りあったぞ。思わず呆然とする俺に、先輩が困ったように笑った。

「ごめん。折角翔太郎が聞いてくれたのに、俺はそれに答えられない」
「何でですか?」
「ごめん」

 しきりに謝罪を口にする先輩に、俺は顔を顰めた。答えられない理由も言えないとか、どう言うことだよ。

「まあ、いいですよ別に。俺には関係ないですし」
「翔太郎……」

 言えないならこれ以上聞かない。そう思って再び本に視線を落とす。すると、俺の横で先輩が弱々しく呟いた。

「きっと、嫌いになる」
「え?」
「俺を傍に置いてくれなくなる」

 ポツリポツリと言葉を吐き出す先輩の表情は、出会った頃の様に悲しく歪められていた。何だよ、何でそんな顔する訳。思わずしかめっ面になると怒っていると勘違いしているのか、先輩が怯えた様に俺を見る。

「だから俺には言わないって?」
「……」
「意味わかんないんですけど」

 そもそも傍に置くとか置かないとか、俺達そんな親しい間柄じゃないし。嫌いも何も、俺は嫌いに成る程先輩をよく知らない。せいぜい知ってるのはチサトと言う名前で、委員会に入ってるかもってことぐらいだ。寧ろ後者は教えれくれないから正解かも分からない。

「つか、秘密にされる方が気分悪いって」
「――!」

 突き放したような言い方をしたせいか、チサ先輩の表情が更に落ち込む。俺はそんな先輩を見ながらその態度にモヤモヤした。何だよ一体、もうホント訳わかんねぇ。

「先輩さ、俺と話したいって言う割に一線引いてるよね」
「……っ」
「なのに傍に居たいとか言う。俺を困惑させて楽しい?」
「そんなつもりじゃない!俺はっ」

 バンッと机を叩き、先輩の言葉を遮った俺は、勢いよく立ち上がった。

「話してくれなきゃ、俺が分かろうと言う気にもならないよ」
「ごめ……」
「――今度、秘密とか言ったらぶっ飛ばしますからね」

 俺を見上げる先輩を見下ろしながらぶっきら棒に言った言葉。その言葉に先輩はえ…と声を漏らした。居た堪れなくなり、俺はさっさと扉に向った。その背に先輩が声を掛けてくる。

「翔太郎?それは、どう言う……」
「っ、そのまんまの意味だよ。それ位察して下さい」

 そう言って扉を出た俺は、静かな廊下を速足で歩く。
 ああ、くそ。俺ホントああ言う顔されんの苦手。あの見捨てないで、みたいな顔。よく友人にも言われたな。変な所で情を持つよなって。まだ先輩と話してもいいって思ったのは、情なんだろうか。
 今度がまたあるなんて思ってなかっただろう先輩の呆然とした顔を思い出し、俺は小さく笑った。あの人でもあんな顔するんだな。してやった感があって、少しだけモヤモヤがとれた。
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bkm