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「と言うことがあったんだよ」
「へえ」
「は、何、そんだけ?」
「いやだって、じゃあそのイケメン先輩を見てみたい!放課後行く!って言ったらお前何て言うよ」
「来んな」
じゃあ俺の言ってることは正しいわ。
今はお昼時。箸で掴んだおかずを口に運ぶ友人は、それだけ言うとモグモグと咀嚼を始めた。そんな友人を不満げに見ながら俺は机に突っ伏す。
「あー、でもマジであの人何考えてるのか分かんない」
「好きなんじゃねぇの、お前のこと」
「何その冗談。面白くねぇ」
「だって、お前のファンだからーとか、話がしたいーとか、普通そこまで言うか?」
勿論俺は言わない。そんな恥ずかしいこと。でもあの先輩は恥ずかしげもなく真っ直ぐな目で俺を見つめていた。
「好きじゃなかったらなんだ……憧れ、とか?」
「あんな綺麗な先輩が俺に憧れるとか、世も末だな」
「随分自虐的だなオイ」
「んーつか、お前知らない?チサトって名前の先輩。何かゾッとするぐらい美形なんだけど」
友人も男には興味ない人間だから、この学園のイケメンに滅茶苦茶詳しい訳じゃないけど、俺よりは知っていると思う。イベントにはちゃんと参加してるし。けど友人はうーんと唸るだけ唸って、首を横に振った。
「チサトなんて名前のイケメンは知らねぇな」
「そっか」
「でもそんな美形なら絶対有名だろ。おーい、中町」
友人が大きく手を振って呼んだのは、クラスのミーハー男子中町。性別を疑いたくなるぐらい女みたいな顔してるヤツだ。
「なに?」
「お前さ、チサトって名前の先輩知ってるか?スッゲー美形らしいんだけど」
友人の言葉にミーハーの中町が目を輝かせた。やはり美形には目がないらしい。しかし彼を持ってしても、記憶の中にその先輩の名前がないのか、うーんと首を捻っていた。
「チサトで美形の先輩なんて、この学園に居ないよぉ」
「え?マジで」
「マジマジ」
俺と友人は思わず顔を見合わせた。なら、俺の会ったあの人は一体何者だったのか。え、俺二日連続で幽霊とでも会ってたの?そう考えたら少しゾッと来た。
「ねーねー!何でそんな事聞くの?もしかして誰かすっごいイケメンでも居た!?」
「まぁな。けどお前が知らねぇぐらいだから、その教えてもらった名前も嘘かもな」
「えーホント!?詳しく教えて教えて!」
また今度な。と言って詰め寄る中町を軽くあしらう。けど中町には本命の彼が居るそうで、俺の言葉に気を悪くした様子もなく、絶対ね!と言って自分の席へ戻って行った。
「中町でも知らないとなると、本格的に嘘つかれたんじゃね?」
「それっぽいなぁ。マジで冗談とか暇つぶしの類だったのかもな」
いや、それならそれで俺は構わない。けど、あんな真剣な表情でお前と話したいとか言ってた先輩から嘘つかれるとか、俺どんだけ弄ばれてんの。これだからイケメンは嫌なんだよ。
まあ気持ちを切り替えて、明日の当番に当たるか。
*
「遅かったな、翔太郎」
「……はあ、どうも」
一瞬反応が遅れ、妙な間が空いてしまった。だが何とか頭を下げた俺は、指定のカウンターへと足を向ける。すると、先輩が席を立ち俺の所に近寄って来た。
「先輩、何で居るんですか?」
思わず聞きたくなるのも無理はないと思う。だって、昨日冗談だったんだなぁと結論付けた訳だし。まさか本人がまた此処に居るとは思わなかった。
「此処でなら話しかけていいと言ったのは翔太郎だろ?」
そして俺のその言いぐさが悪かったのか、先輩が少しムッとした顔で俺を睨んでくる。しかも何だか拗ねているように見えるのは俺だけか?
「それに、昨日待ってても来ないから……」
「昨日は当番じゃないですから。て言うか本当は此処に当番なんていらないんですけどね」
だから行かなくても別にいいんだけど、折角ならこの空間を楽しみたい。俺本好きだし。しかし、今先輩は昨日も待っていたと言ったな。それじゃあ何だ。
「先輩、俺と話したいって言ったの嘘じゃなかったんですね」
「嘘?どうしてそう思うの?」
怪訝そうな先輩に気圧され、俺はえっと……と言葉を濁した。
「いや、だって、先輩の名前をクラスメイトに聞いたら、皆知らないって言うから」
「だから?」
「え、いやだから、偽名を俺に教えたんだなぁって…」
何故だかご立腹な先輩がドンドン顔を近づけて来て、俺はしどろもどろになりながら考えを述べていく。すると先輩は口をへの字にして、違う、と小さく呟いた。
「へ?」
「翔太郎に教えたのは、俺の本名」
「は、はあ」
「此処ではみんな、俺を違う名前で呼ぶから」
そう言って俺を見つめる先輩の目は、やはり嘘をついている様には見えない。と言うか、皆が呼んでる名前が偽名って、そう言うのアリ?あまり現実的でないから思わず目を白黒させていると、先輩が拗ねた様に言った。
「だから今日、俺の名前呼んでくれないんだ?偽名だと思ってるから」
「え?」
「ちょっと待ってみても全然呼んでくれない」
ムスッと完全にへそを曲げた先輩はそう言ってそっぽを向いてしまう。
え、何、俺どうすればいいの?まあ俺としてはこの先輩の機嫌を損ねてもう此処に来なくなっても気にはしないが、最初に疑いをかけて先輩の気を悪くしたのは俺だ。その点についてはきちんと謝らないといけないだろう。
「あの、先輩」
「……」
「……チサ先輩」
先輩の名前をちゃんと呼ぶと、面白い位勢いよくこっちを見た。先輩と呼んだだけではピクリとも反応しなかったのに、何だこいつ。
「疑ってすいませんでした」
「もう、二度と疑わない?」
「…………はい」
「間が長くない?」
「気のせいです」
先輩にはそう返事したけど、やはり腑に落ちない点はいくつもあるし、きっと疑わずにはいられないだろう。実際、チサトが本名だと言う確証もない訳だし。
「ねえ翔太郎」
「何スか」
「もう一回呼んで。昨日の分」
「――チサ先輩」
昨日の分てなんだよ。俺のせいじゃねぇし。けどまあ、俺の言葉一つで喜色満面な先輩を見るのは、何だか少し面白いと思ってしまったのは、此処だけの秘密にしておこう。