「それじゃあ、行ってきます」
とてもいい夢を見た翌日。俺は昨日の怠さや高熱が嘘のように、元気な身体に戻っていた。もう起き上がれないかも位に思っていたのに、自分のタフさには驚かされる。とは言え、足が中々学校に向かないのは、新妻と顔を合わせるのが、まだ怖いからだと思う。
学校へ行って、もしかしたらネタバレを皆の前でされるかもしれない。俺はいい。けど、新妻は、俺なんかと一時、しかも罰ゲームだとは言え付き合ってたなんて知られたくないだろう。何も起きなきゃいいな。そうこうしている内に、学校へ着く。変わってしまってるかもしれないクラスの扉を、俺は意を決して開けた。
「おはよ」
「おはよ!大丈夫か身体」
扉のすぐ傍の席に居る友人に挨拶する。あれ、何か普通だ。キョロキョロと教室を見渡すが、皆いつもと変わらず、親しい友人達と喋っているだけだった。不思議に思い、更に様子を窺うと、新妻が居るグループが少し騒がしかった。此方にまで、その会話が聞こえてくる。
「慧のやつ、今日休みだって」
「えーなんでー」
「風邪ひいたんだってよ」
その言葉に、俺は目を丸くした。新妻が風邪で休み?だから姿が見えないのか。
「マジかよ。この時期風邪ひくヤツなんて居んのかよ」
「居るだろこのクラスにも一人!」
「マヌケだよなー」
恐らくそれは俺のことを言ってるんだろうけど、新妻の体調が気になっている俺には、その言葉を気にしている余裕がない。
「おっ、返信来た。なになにー。好きな子からうつされたってさ!」
「え……」
新妻の友人の言葉に、倉科さんの目が見開かれる。あっ、と辺りが気まずい雰囲気に陥る。さっきまであんなに煩かった教室が、静まり返ってしまった。
「新妻くん、好きな子、居るの……?」
「あ、で、でもそれって里香のことじゃ……!」
「私、風邪ひいてない」
そう暗い声で呟いた倉科さんは、顔を俯かせ、そして両手で顔を隠した。ほどなくして、小さな嗚咽が聞こえてくる。倉科さん、泣いている。
「里香っ」
「ちょっ、新妻くんて里香が好きなんじゃなかったの!?」
「え!?いや、俺達もてっきりそうだと……なあ?」
「お、おう。可愛いし、タイプだって言ってたし……」
しどろもどろになりながらも、新妻の友人達がフォローを入れる。倉科さんは「ホント?」と小さく呟き、涙を流しながらも、少し安心したように笑った。俺は反対に、少し胸が痛んだ。やはり新妻は倉科さんが好きなんだって、決定しちゃったから。直ぐには、新妻への想いは消えないけど、それでもいつかは、笑っておめでとうが言える日が来るといいな。
*
次の日扉を開けると、教室の中が修羅場と化していた。ザワザワと、廊下から他のクラスの子達まで集まって、教室で行われている言い争いを遠巻きに見ていた。
そう、ビックリなことに、その渦中に居るのは新妻と倉科さんだった。新妻の姿を見て一瞬ドキッとするも、新妻に泣きつく倉科さんとのやり取りを見てしまうと、何とも言えない気持ちになる。そんな場面で登校してしまった俺は、自分の席から動くに動けなくなってしまった。しかしそれは俺だけでなく、クラスメイト全員その状態だ。そもそもどう言う経緯でこうなったんだ。俺は、コソッと前の席の友人に話し掛けた。
「あのさ、これは一体……」
「なんか昨日、新妻に好きな子が出来たって話が広まってたんだけど、知ってる?」
「うん」
知ってる。盗み聞きしてたから。
「それで倉科が朝、新妻に告白し始めたんだ」
「えっ」
「けど、新妻がそれを断って、今があんな感じ」
一気に情報量が入って来て、頭が混乱する。
新妻は倉科さんが好きなんだろ?それで告白されたんだろ?なのに断った?一体なんで?
疑問ばかりが浮かび、頭を抱える俺の耳に、「どうしてよ!」と倉科さんの悲痛な叫び声が届く。しかし新妻は、そんな倉科さんの身体をソッと離した。
「ごめん里香。気持ちは嬉しいけど、付き合えない」
「どうしてっ」
「何度も言うように、好きな子が出来たから」
「そんな、私じゃないの……?」
その倉科さんの質問は尤もで、俺も新妻の好きな相手は倉科さんだと思っていた。なのに、新妻は静かに首を横に振ると、その子を想っているのか、少し照れくさそうな笑みを浮かべた。
「最初は、嫌いだったんだ。まるで自分を持たない、流されるままの存在だったから。だから、短い間だけでも利用しようと思ったんだ。」
「え……?」
「でも、そうじゃないって気が付いた。一緒に過ごす内に、自分を持っているのも分かった。そして何より、俺を見る目が……あの子の全部が、俺が好きだって、毎回伝えてくるんだ」
そんだけ愛されたら、流石に俺も骨抜きになるよ。
そう言って参ったように笑う新妻を、皆呆気にとられた表情で見つめる。かく言う俺もその一人だ。新妻が話すその好きな子――それが、とても思い当たる節がある気がするのは、俺の気のせいかな。
「俺のした事は、とても許されないことだけど、それでもその子は、こんな俺を許してくれた」
いや、気のせいなんかじゃない。
俺を真っ直ぐ見つめるその視線が、何よりの証拠だ。
「けど俺は、きっと信用されていないだろうから、今後はその子の信用・信頼の回復に努めたいと思ってる。俺が好きだって言っても、きっとすぐには信じて貰えないだろうからね」
だから、やっぱり里香とは付き合えない。
そうきっぱりと告げた新妻は、倉科さんの横をすり抜け、俺の机の前にやって来た。
「おはよ」
「お、はよ」
今度は一斉に、誰だお前と言わんばかりの視線が集まり、思わず身を震わす。しかし新妻はそんな事に構わず、俺の耳元にグッと顔を近づけ、そして小さく囁いた。
「後で話があるんだ。俺の話、聞いてくれる?」
「う、うん」
「それじゃあ、昼休みに」
小さく頷く俺を見て、新妻が満足そうに笑って、教室から出て行く。その少し後に、倉科さんが新妻とは反対方向に走って行った。慌ててその姿を追う倉科さんの友人達の背を見送り、俺は机に突っ伏した。倉科さんにはとても悪いと思う。思うけど、俺、浮かれてもいいのかな。
顔が赤い。ヤバい、まさか、嘘だろ。
(好きだって、俺は毎回心の中で叫んでた)
つまり、それが表に出てたってことか。恥ずかしい。これは恥ずかしすぎる。でも、さっきの新妻の視線。あれも、俺には何だか――。
『好きだ』
そう言っている様に感じた。
果たしてそれが本当なのかどうか、俺が新妻の本心を知るのは、あともう少し。
――あーあ。昼休みが待ち遠しい。
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