久し振りだ。こんなに高熱で魘されるなんて。身体が熱くて怠くて、もう少しも身体を動かせない。心配そうに親が俺の様子を見に来るも、うつしたら悪いから、大丈夫だからと一声かけて、再び目を閉じた。
 もう目を開けていたくなかった。目を開けて、カレンダーを見ると、どうしても悲しい気持ちが押し寄せてくる。熱があるからってだけじゃない。もう、心が泣きっぱなしだ。

(新妻、ちゃんと送って行けたかな……)

 こんな時にまでそんな事を考えてしまう自分に、思わず自嘲する。俺が気にしたって仕方ないんだ。仕方ないのに、どうしても新妻の顔を、これまで一緒に過ごした新妻の姿を思い浮かべて、また泣いてしまう。そして俺は、新妻の笑顔を思い浮かべたまま、眠りについた。


「ん……」


 次に目が覚めたのは、不意に額に冷たい手が乗っけられた時の事だった。母が様子を見に来たのだろうかと、俺は重い瞼を開けて、その姿を確認する。

「……え」

 信じられなくて、何度か瞬きを繰り返す。驚いた声を上げようにも、声が掠れて思うように出なかった。

「なんで、新妻……」

 俺の額に手を当てたのは、なんと新妻慧本人だった。驚いて固まる俺とは対照的に、新妻は少し寂しそうな表情を浮かべていた。

「久保。辛い?大丈夫?」

 心配そうに俺を覗き込む新妻を見て、俺は理解した。これは夢だ。新妻の事を考えながら寝たから、だからこうして夢にまで出て来てしまうんだ。でも、夢でもまたこうして新妻に会って話が出来るなんて、俺舞い上がりそう。ただでさえ高い熱が余計に上がるよ。
 夢だと分かったからか、俺は新妻にヘラッと笑って答えた。俺が辛い顔を見せれば、きっと優しい新妻はもっと辛い思いをするから。

「大丈夫。寝てれば治るよ」

 だからそんな顔をしないで欲しい。そう思いを込めて笑えば、新妻が少しうっと息を呑んだ。その頬が若干赤いのは、何故だろう。もしかして風邪でもうつしたのだろうか。夢とは言え、新妻には元気で居てもらいたいのに。

「新妻も平気……?風邪、ひいてない?」
「……大丈夫」

 そう聞くと、新妻がゆっくりと俺の方へ顔を近づけて来た。間近で新妻に見つめられ、夢とは言えかなりドキドキする。それに新妻の頬が赤いせいか、何だか細められている目も熱っぽく見えて、何だか余計にドキドキした。

「久保、なんで昨日はあんなことしたの?」
「昨、日?」

 真剣な眼差しに、今度は俺が息を呑む。何だかその顔が何処となく拗ねている様に見えて、俺は目を瞬かせた。

「俺と里香に、傘渡したでしょ」

 里香――呼び捨てで呼んだだけなのに、俺は胸が酷く痛むのを感じた。そして知らず知らずの内に、目から涙が流れてくる。それを見て、新妻がギョッとした顔をした。

「く、久保?どーしたの?苦しいの?」
「ひっ、う」

 夢の中でも、新妻が届かない存在で胸の奥が痛い。夢の中で位、俺だけを見て欲しいのに。

「にーずまっ、俺、今でも、覚えてるよ」
「なにを……?」
「新、妻が、俺を助けてくれた事」

 助けた、その言葉に新妻はどうもピンと来ないようだった。やはり覚えていないんだ。当たり前か。夢の中の新妻なんだから。でも俺は、どうしても言いたかった。夢の中でいい。届かない存在だと分かっているから、もうどんな形でもいい。伝えたいんだ。

「ずっと言えなかったけど、ありがとう」
「それって、いつ……?」
「俺が、廊下で本をぶちまけた時」

 思い返して、思わず笑ってしまう。

「無理矢理当番代えられて、断るのも面倒だからって一人で作業してたけど、大量に本抱えたまんま移動してたら本ばら撒いちゃって……そん時に、当番代わってって言ったヤツが通ったんだけど、そのまんま友達と素通り。おまけにその友人達と俺のこと笑っててさ。その時に思ったんだ。俺何してんだろうって。面倒だからって断らなかった自分も、少しは恩を感じてくれただろうって勝手に期待してた自分にも、その時失望したんだ。凄く、惨めだった」

 惨めで、散らかる本を見て、何だか泣きそうになった俺に、本が差し出された。

「大丈夫?早く拾おうよって、声を掛けてくれたのが、新妻だった」
「……!」

 新妻がテキパキと本を拾うのを呆然と眺めていると、さっきまで素通りしていた人達が一緒になって拾い始めた。皆で拾ったお蔭ですぐに本は俺の元に集まり、そして新妻の周りには人が集まっていた。

「そんな大量の本、一人で持てないだろ。俺も持つよって、新妻が手伝ってくれたんだ」

 そして俺に言ったんだ。イヤなら断りなよって。
 その時の笑顔が忘れられないんだ。新妻みたいな華やかさも、人を惹きつける力も持ってない俺には、それが酷く眩しく感じられて。

「最初は憧れだったんだ。でも、新妻を見ている内に段々と……」

 俺の言葉をジッと黙って聞いている新妻の目を見つめる。その目が、少し潤んで揺れている様に見えた。

「好きになったんだ、すごく」
「久保……」
「これ、言うつもりもなかったんだけど、新妻が罰ゲームで俺に告白して来た時には驚いたよ。しかも嫌いなヤツでって言うのにも」
「なっ」

 なんでそれを知ってるんだ。
 新妻が酷く狼狽えたのが分かった。けど俺は、別に責める為に言ってるんじゃない。

「久保、俺はっ」
「ショックではあったけど、でもそれ以上に嬉しかった」
「え……」
「俺自身の力じゃ絶対に叶えられないから。新妻と恋人になるなんて」

 その言葉に、新妻が目を見開いた。ああ、やっぱり好きだなぁ。新妻の顔を見ると、その想いしか溢れてこない。

「新妻」
「なに……?」
「好き」
「――」

 へへっと笑いながら言うと、目の前の新妻が先程よりも頬を赤くした。もしかして、俺の言葉に照れてくれてるのかな?そうだったら嬉しいな。現実じゃ有り得ないから、夢の中の新妻の反応がとても新鮮だ。
 一人でヘラヘラ笑っていると、突然視界を手の平で隠されて、新妻の顔が見えなくなった。先程まで冷たかった新妻の手が、今は嘘のように熱い。そして俺の耳元に、新妻が低く囁いた。

「そのまま目を閉じてて、聡」
「……!」

 俺の聞き間違いでなければ、新妻が俺の名前を呼んでくれた。夢とは言え、最高の出来事だ。思わず泣きそうになる俺は、そのまま重怠い手を新妻へと伸ばす。その手も、熱い新妻の手にとられ、そして俺の唇に柔らかい何かが押し当てられる。

「んっ……む」

 目の前が覆われていて分からないが、間違いでなければ俺は今新妻とキスしている。何で、俺の妄想が此処まで夢に影響するとは。夢の中とは言え、何だか新妻に申し訳なくて口を離そうとするも、そのままもっと深く口付けられ、逃げようにも逃げられない。
 ただでさえ頭がボーっとするのに、激しい口付けで余計に何も考えられない。夢って、こんなにリアルだったっけ。すごく、気持ちが良いや。

「はっ、ん……にい、ずま……」
「聡。俺のこと、まだ好きで居てくれる……?嫌いになってない?」

 視界を塞いでいた新妻の手が退き、不安そうに俺を見下ろす新妻の表情が目に入る。そんな新妻に、俺は笑って答えた。

「嫌いになんてならない。最初から俺、新妻が好きだから」

 そう言って頬を撫でると、新妻が余計に泣きそうな顔をした。しかしグッと唇を噛み、俺の手をがっしりと掴んだ新妻は、俺の瞼に優しくキスを落としてくれた。瞼だけじゃない、頬や額、手にも唇を付けた。それがとても気持ち良くて、俺は思考が徐々に鈍っていくのを感じた。瞼もとても重い。夢の中なのに、俺は更にその中でも寝ようとしているのか。
 残念だ。こんないい夢、もう見れないだろうに。

「聡。ごめんね……」

 そう言って謝った新妻の声を最後に、俺の意識は完全に途絶えた。


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