俺と新妻が罰ゲームで付き合い始めて今日が三日目。昨日の帰りの新妻がいつもと違う気がしてて心配だったけど、今日の朝会った時、新妻はいつも通りだった。いや、厳密には少し違う気がする。

「じゃあ俺買ってくる」
「あ、待って」
「ん?他に何か買う物ある?」

 そう尋ねてみるが、新妻は静かに横に首を振り、そして徐に立ち上がる。

「新妻?」
「俺も行くよ」
「え?」

 まさかの申し出に面を食らう。そんな俺に構わず、行こうと歩き出した新妻の背中を、俺は慌てて追った。

「あ、そうだ」
「どうしたの?」
「これ。昨日の分のお昼代」

 手を差し出してきたから何かと思ったら、新妻は千円札を握っていた。俺は勢いよく首を振り、受け取れないと申し出た。

「そんなっ、俺は気にしてないし、それにそんな千円も要らないし……!」

 だが俺の申し出は却下され、俺は新妻にその千円札を無理矢理握らされた。返そうとしても受け取らないの一点張り。そんな頑なな新妻に、俺は狼狽えた。しかし新妻は、何故だかそんな俺を見て可笑しそうに笑った。

(何だか今日は、新妻の笑顔がたくさん見れる気がする)

 それも作った様な笑いではなく、本当に心から笑ってくれてる。そんな感じがしてならない。そう、昨日とは打って変わって、何故だか今日の新妻は凄く優しい。いやいや、元々新妻は優しいんだけど、俺に対しての目が、昨日とは違うような気がする。
 気がするばかりで何だけど、俺は凄く嬉しい。この先、恋人って言う関係にはなれなくても、新妻とまるで友人同士になれたような、そんな気持ちにさせるから。

「久保、早く」
「うん!」

 この優しさが今日だけだとしても、俺は今日この瞬間を忘れない。俺に優しい新妻なんて珍しいし、一生の思い出だ。嬉しくてヘラヘラ笑う俺の顔を見て、新妻がまた声を上げて笑った。





 だが俺の予想に反し、新妻の優しさは次の日も、その次の日も続いた。そして俺と新妻が付き合って今日で六日目の朝。ああ、明日で終わりかぁなんて、どんよりした雲を見上げながら思っていると、後ろから肩を叩かれた。

「おはよ、久保」
「おはよう新妻」

 どんよりした雲に似合わない爽やかな笑顔に、俺は顔を綻ばした。朝から目の保養だ。最初の頃は考えもしなかった。こうして朝の挨拶をしてくれることだってなかったのに。教室に居たって、声を掛けてくれるようになった。俺はとても嬉しい。だけど新妻の友人達はそうは思っていない様で、新妻が俺に話し掛ける度に此方を睨んでくる。以前ニヤニヤしながら此方を見ていた顔は今は見られない。それは新妻の態度が変わったからだと思う。
 俺のせいで、今後の新妻の生活に影響が出るのは避けたかった。だから俺は、なるべく教室では接し過ぎないようにしている。会話も一言二言に済ませて終える。いいんだ、お昼に屋上でたくさん話しできるし、一緒に下校だってしてくれるし。新妻の優しさに、甘え過ぎちゃいけないんだ。

(でも、それも明日で終わりか)

 本当に優しいよ新妻は。たくさんの思い出を俺にくれた。ああ、早く屋上に行きたいけど、今日は無理かな。今にも雨が降り出しそうな空に、俺はひっそりと溜息を吐いた。
 そして、俺の予想は見事的中し、お昼前には大粒の雨が降り出してきた。思わず窓から恨めしげに空を睨んでしまう。己雨め、俺の夢の時間を奪いやがって。

「久保」
「に、新妻!」

 そんな俺の傍に、新妻が大きいお弁当を片手にやって来た。俺は珍しいその姿に目を丸くした。

「それ、どうしたの?」
「え?ああ、その、こないだ話したじゃん?」

 何処か照れくさそうな新妻に、俺は「ああ!」と手を叩く。
 いつもお昼購買の新妻に、お弁当は作ってもらわないのかと聞いたんだっけ。そしたら、母親の弁当がデコ弁で恥ずかしいから、自分で作ってたんだけど、朝面倒になってやめたと言ってたんだ。俺は新妻がお弁当を自分で作ってたことに、酷く驚きと興奮を覚えたんだが、まさかそれを持ってるってことは……。

「これ、今日作ったんだ」
「そうなんだ!凄いな新妻!」

 いーな新妻のお弁当。俺も食べたい。今日屋上に行けたなら一緒に食べられて、一口くらいもらえたのになぁ。

「それで、よければ今日……」
「おーい!慧!こっちで食べようぜ!」

 大きな声で新妻が呼ばれ、俺達はそちらに顔を向けた。机をくっつけ集団で固まるのは、新妻の友人達だ。それに、今日は何故だか女子の集団も一緒に居た。手を振って、新妻を呼んでいる。残念だけど、俺がいつまでも引き止めるのは申し訳ないな。

「あー俺今日は――」
「じゃあ新妻、俺行くね」
「えっ、ちょ、久保!」

 新妻が俺を引き止める声が聞こえた気がするが、俺は財布片手に教室を飛び出した。新妻の手作り弁当かぁ、きっと今日は新妻の友人達はそれについて言及するんだろうな。女子の集団も居たし、料理が出来るっていうのは高ポイントだろう。しかもその中には新妻が好きだと噂が広まっている、二年で可愛いと評判の倉科さんが居た。一時期デキてるとまで言われてた二人だ。新妻が作った弁当なんて話題があったら、きっと盛り上がるだろうな。

「……いいなぁ」

 羨ましく思う自分が嫌になる。俺は、新妻と少しでも思い出が作れただけで喜ぶべきなのに。新妻が優しくしてくれるようになってから、欲深くなってしまった。もっとその笑顔を、俺にくれだなんて、思うようになってしまった。
 でも、それも明日で全てが終わる。こうして傍で新妻を見ることがなくなるのは悲しいが、それでも新妻が幸せになるなら、俺はそれでいいんだ。そう思うのに、何だか胸の中が苦しい。まるで自分の心を映すかのように、空は泣いている。
 しかし、俺達の終わりはすぐ傍まで迫っていたことを、俺は知らない。





 実はと言うと、俺達は帰る約束をしている訳ではない。いつも新妻が教室で声を掛けてくれて、そして一緒に帰るのが常だった。しかし今日は違っていた。放課後教室を見ると、そこにはすでに新妻の姿は無かった。明日で終わりだから、今日帰りくらいは一緒に居たかったのに。まあこんな雨の日にまで、俺を相手にしたくないか。この時は自虐的に、しょんぼりしながらそんな事を考えていた。また呼び出されたらしい友人の制止を振り切って、とぼとぼと昇降口に向かう。そして靴を履き替え、傘を持って出ようとした俺の足はピタリと止まる。目の前の光景から目を離せない。
 昇降口を少し出たところに、新妻と、倉科さんが立っていた。二人とも、何故か屋根がある場所から動こうとしない。仲睦まじく話していた。俺はそんな二人を後ろから呆然と見つめながら、朝会った新妻の姿をフと思い出した。そう言えば新妻、傘持ってなかったな。もしかして、二人して傘がないから此処に居るのかな。新妻は、倉科さんの傘に入れて貰う為に、早めに教室を出たのかな。
 新妻は、彼女の事が好きなのかな?

(……健気なだなぁ、新妻)

 俺、本当に新妻は優しいって思ってるよ。嫌いなヤツと一週間付き合う罰ゲームなんて、受けなくてもいいのに。受けたところで無視して、それこそ最初の時のようにずっとパシリにして終わらせてしまえば良かったのに、新妻はそれをしなかった。それどころか、帰りまで誘ってくれたりしてさ。
 俺、好きすぎて頭可笑しいのかな。新妻の為なら、何だってしてあげたいって思っちゃうぐらいだし。だから、これが俺に出来る最後の役目だ。

「新妻!」
「っ、久保?」

 俺は大きな声で新妻の背中に声を掛けた。瞬間振り返る新妻は、酷く驚いた顔をしていた。ごめん、邪魔して。そう心の中で謝りながら、俺は二人に駆け寄り、そして倉科さんに俺が持つ傘を無理矢理渡した。

「え?」
「それ、二人で使って!新妻、ちゃんと送ってやれよ!」
「は、久保、ちょっと……」

 いまいち状況が掴めていない二人に構わず、俺は土砂降りの中に飛び込んだ。泥を跳ねながら走る俺の背中に、新妻が何か叫んでいるのが聞こえるが、あまりに雨が凄いから聞こえない。これでいい、これでいいんだ。
 行き交う人々が傘もささず走る俺を不思議そうに見るが、それに構っている余裕などなかった。こんなびしょびしょだと、電車にも乗れないな。なら家までこのまま走るか。俺にそんなに体力があるとは思えないけど、今の自分にはこれ位が丁度いいんだ。こんな、涙と鼻水で濡れてる顔、誰にも見せられないから。


(大好きだ、新妻。ずっと、好きだったよ)


 願わくば、俺の大好きなあの笑顔が曇らないことを。
 そして俺は、そのまま全身ずぶ濡れで帰宅し、次の日当然の如く熱を出して学校を休んだ。何とも呆気ない最後。そう、今日で七日目。こうして俺と新妻の一週間は終わりを迎えた。


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