「そ、空っ。ちょ、痛いよ…ッ」
「わざと痛くしたんだよ!てか、理央がいつまでもウジウジメソメソしてるのが悪いんだろ!」

 理央に向ってがなるそいつは、俺が思っていたような大人しそうな少年のイメージではなく、言うなれば鬼。これ以外に例えがない位、今のこいつにはピッタシ。正に鬼の形相だし。と、驚きのあまりその場を動けずにいた俺の足に誰かがしがみ付いてきた。いや、誰かと言うのは愚問か。俺は逃がさないと言わんばかりに縋る理央の頭を見下ろした。
 いつまで地面に張り付いてんだ。汚ねぇだろ。そう思うも声が出ない。こんなボロボロ泣いて俺に縋って、もう訳わかんないよお前。でも、縋り付くその手を蹴り飛ばせない俺はもっと分かんない。

「えっと、拓篤くん、だよね?」
「……どーも」
「いつも悪いね。理央のこと借りちゃってさ」
「別に。もう関係ないんで」

 理央の幼馴染が俺に話しかけてくる。だが今の俺にはそれに笑顔で対応できるほどの冷静さはない。素っ気無く、自分は関係ないと言うと足にしがみ付く理央からまた嗚咽が漏れる。おいおい、まだ泣いてんのか。

「まあまあ、そう言わずに」
「はあ?」
「このどヘタレ…いや、理央と俺が幼馴染なのは知ってるんだよね」

 意味も分からず宥められ思わずイラついた声が出る。何こいつ。

「でもさ、理央が俺と一緒に居るのは全然こいつの意志じゃないから」
「もういいって。後は二人でやってくれよ」
「……あのさ、キミ、嫉妬してるでしょ。俺に」

 そう言って笑う理央の幼馴染の言葉に、息が止まりそうになった。冷静でいろ、悟られるな。音を立てる心臓を押さえながらそう思うのに、俺の頭には血が上っていく。カアッと胸が熱くなる。気付いたら俺は叫んでいた。

「ああ!?だったら何だよ!!」
「――!」
「恋人なんだ。当然嫉妬くらいするわ!大体俺とはキスどころか手も繋がねぇのに、お前とは手繋いで登下校は一緒で部屋にもあがる。んなもん見せつけられりゃ俺に気があるなんて思わねぇだろォが!!」

 最悪だ。俺は一体何を口走ってるのか。理央やその幼馴染だけじゃない。親友もいる前で俺は何叫んでんだ。でも、でも悔しい。本当に、それが悔しかった。

「……離せ」
「や、だ…」
「もう、俺疲れた。お前が傍に居んの、しんどい」
「っ、ぅ…イヤ、だ。た、くまぁ…」

 理央を見ずに、空に向かってポツリとそう呟く。それでもなお離さない。もうどうすればいいのか分からず溜息を吐くと、理央の幼馴染がコホンと咳ばらいを一つして俺に頭を下げて来た。

「あーごめん。俺が煽り過ぎだったね」
「……」
「お願いだから俺の話を聞いてほしい。キミが誤解してるのは俺のせいでもあるし」
「誤解?」

 誤解とはどう言うことなんだろうか。怪訝そうな俺を見て、幼馴染は簡潔に話すね、と笑って言った。

「まず最初に、理央は凄くキミのこと大好きだから」
「ハ…?」
「――ッ、ちょっ、空…!」
「うるせぇ黙れ」

 俺に向けた笑顔を一瞬でまた般若に変えた。俺まで一瞬ビクついた。

「こいつと毎日一緒に登下校するのは、俺の親とこいつの親が煩くてさ。俺が道に慣れるまで一緒に居ろとか言うから一緒に行って帰る羽目になってるわけ。そこに俺らの意志とかないから。……逆らったらこえーし」

 何か今最後の方不穏な感じじゃなかったか?小さくてよく聞こえなかったけど。

「んで、後はなんだ。俺とこいつが手を繋いだって、いつの話?」
「忘れた。けど、俺んちの前で…」
「あー、もしかしてアレか。もー、ホントお前ばっかだなぁ!」

 そう言って理央のケツを蹴っ飛ばす幼馴染に、俺はもう目がまん丸だ。

「あのさ。いつだったかキミの部屋に男がいた時あったでしょ?」
「…男?」

 思い当たる節は幾つもあるぞ。友人を部屋にあげるのは当然だし、一体いつの話をしているのだろう。

「んーと、その人がいた時」
「志貴が?」

 そいつの指差す先には俺の後ろに立つ志貴がいた。確か志貴が家に遊びに来たのはついこの前だ。後ろを振り返り、志貴を見ると俺と同じ様に首を傾げていた。心当たりがあまりないようだ。

「拓篤が俺の部屋から手を振った時、丁度その志貴って人が顔を出したんだよね確か」

 それで分かった。俺が志貴に理央との関係をカミングアウトしたあの時か。思えばその数日後だったか。二人で手を繋いでいたのは。そう思った瞬間、理央の幼馴染が豪快に笑いながら俺に近寄って来た。突然あっはっはと笑いだすから正直ビビった。しかし足元には理央がしがみ付いているから後退れない。俺の前までやって来たそいつは、ポンポンと俺の肩を叩きながら、あれはな、とその時の事を話してくれた。

「嫉妬してただけだよ。コイツ基本キミと仲の良いヤツ片っ端から睨んでいくから」
「……は?」
「ただその人といることが圧倒的に多いから、余計に嫉妬したんだよ。俺はまだ数回しか上げてもらえてないのに何でアイツばっかってさ。毎回キミの部屋覗きながらぼやくからマジウザかったわ」

 そいつの言葉の意味が理解できずに思わず固まる。そしてフと視線を足元に落とすと、髪から覗く真っ赤な耳が目についた。な、なに。どういう事。

「んで馬鹿なコイツはキミにも少しは妬いてもらいたいって俺の手を握って来たんだよね。ああ、安心して。俺帰ってから十回ぐらい手洗ったから」

 いや、それは可哀想だ。

「まあキミは妬くどころか、もう色々限界な所まで来てたからそれ所じゃなかったんだよね」
「……」
「ああ、後。こいつ、今まで放課後…」
「空!」

 その時、足元で理央が叫んだ。何事かと理央を見るが、当の本人は俯いたままだった。ただ幼馴染は何かを感じ取ったのか、大きく溜息を吐いた。

「ま。全部こいつの自業自得だね」
「っ…」
「後は自分でどうにかしなよ。俺もう帰るから」

 それだけ言うと、幼馴染は本当に俺らに背を向けて行ってしまう。え、マジで。この場面で帰っちゃうの?俺の思いとは裏腹に、理央の幼馴染は本当に帰ってしまった。
 俺は後ろを振り返ってもう一度志貴を見た。

「悪い志貴。肉まんはまた今度奢る」
「あ、ああ。別にいつでもいいよ」
「ありがと。悪い、変なところ見せちゃって」
「いや、でも一人で平気――」

 そこで志貴が言葉を切った。何故なら今の今まで俺の足にしがみ付いていた理央が突然立ち上がり、そのまま俺を抱き締めて来た。肩口に、理央の髪が掛かりくすぐったい。強制的に前を向かせられた為、志貴の顔が見えなくなってしまった。先程の様に無理矢理退かすことはせず、俺はポンポンと理央の背を叩いた。

「離せ、理央」
「…っ、たくま」
「ちゃんと話そう。だから離せ」

 俺の言葉に、ゆっくり身体を離す理央。俺は一度理央から離れ、志貴の元へ行く。

「ごめん。大丈夫。また明日な」
「あーうん。何て言うか、大丈夫だよ」
「え?」
「いや、もう今にも噛み付かれそうな雰囲気…ッ、ちょっ、もう行くからそんな睨むなよ」

 志貴が慌てて俺から離れる。どうやら理央に何か言っているようだが、俺が理央の方を振り返ると先程と同じようにポロポロと涙を流していた。何だ一体。
 志貴は呆れたように溜息を吐き、また明日と言って帰って行った。

「話って言っても、もう、何もないよな」

 理央の前に立ちそう言うと、理央が途端に顔を歪める。ああ、いや。そう言う意味じゃない。もう関係ないと言う意味じゃなくて、俺は聞きたいんだ。

「あのさ、つまりは何?お前、俺の事どう思ってたの?」

 理央の口から、ちゃんと聞きたい。俺の真剣さが伝わったのか、理央は涙声ながらも俺への気持ちを教えてくれた。

「っ…拓篤は、俺の恋人で、すっごく大事な人。誰にも渡したくない、ずっと俺の傍で、俺だけを見てて欲しい」
「な…、そこまで言えとは言ってねぇよ」
「拓篤。これ、拓篤に」

 俺の言葉を遮り、俺の手を掴んだ理央は、指に何かを嵌めて来た。しかも薬指。ヒヤリと伝わる金属の感触に、それが何であるかはすぐにわかった。分かったと同時に思わず涙が出そうになった。

「お誕生日おめでと。一日遅れになっちゃったけど、俺からプレゼント」

 そう言って涙で腫らした目尻を下げ、甘く笑う理央に、俺は言葉が出なかった。漸く出て来た言葉は、こんな高そうなのよく買えたな、だった。素直じゃなさすぎるだろ俺。

「うん。半年、バイトしてた」
「え…?」
「空とそのまま家帰る時もあれば、途中で別れて俺だけバイト先に行くパターンもあったんだよ?その代わり放課後全然拓篤と遊べなくなっちゃったけど」

 半年って、高校入ってからすぐ始めたってことか。何の為に?

「大好きな拓篤の誕生日だもん。とにかく何か買いたいけどお金ないから、早いうちからバイトしたの」

 じゃあなにか。俺の為に、働いてくれたの?

「拓篤の喜ぶ顔が見たかった。それだけの為にやってきたのに、なのに、ごめんっ、ごめん…俺、間違えちゃったね…ッ」
「理央…」
「辛い思いさせたかったわけじゃないんだ。勿論、手を繋ぐのだって、キスだってエッチだって全部拓篤としたい!この先、拓篤だけなんだ!」
「――!」
「ごめん、好き、好きなんだっ…お願いだから、俺を見て、俺を好きって言って…ッ」

 そう言って俺を強く抱き締める理央に、俺は応えられなかった。だって、今回の事は完全に俺の勘違いで、しかも俺が理央を信じていないために起こったことだ。そんな俺が、理央の傍に居続けていいのだろうか。そう、そもそも俺には自信が無いんだ。だから、疲れるだなんて言葉が吐ける。全部、理央のせいにすれば自分が楽になるから。醜く曲がり切った自分に、理央は似合わない。いや、理央には似合わない。

「理央、ごめん…俺は…」

 先程理央が嵌めてくれた指輪を取ろうとしたら、その手をとられ思い切り引き寄せられた。チュッと唇を吸われ、理央にキスされたのだと少し経ってから気づく。まさか、初キスがこんな所でとは、何かを思う暇もなかった。必死に、俺を繋ぎとめるキスだったから。唇はすぐに離れ、再び理央が抱き締めてくる。

「とらないで…お願い、だから…」
「理央…」
「たくま、好き。好きだよ。俺のだって、証だから…それ、とらないで、ずっとつけてて…っ」

 理央はきっと分かっているのだろう。俺が、真実を知ってもなお理央と別れようとしているのを。でも、俺はお前みたいな良いヤツの将来を潰したくないよ。怖いよ、先が見えなくて、凄く怖い。今逃げれば、きっと楽なんだ。そう思っているのに、心の奥底から叫んでる。本当の自分が、理央を大好きだと叫ぶ自分が、奥底から這い出てくる。目頭が熱くなった。ああくそ、俺まで泣きそうだ。

「理央」

 でも、決めなくちゃいけない。そう、逃げちゃいけないんだ。
 大好きな人へ伝える、真剣な思いだから。
 そして俺はその名を呼び、ソッと抱き返した。

 ――出来るなら、もう一度お前の笑顔が見たいから。


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