朝から色々大変だった。まだ静かな教室。大きなため息を吐きながら席に着く。走ったせいでまだ心臓がバクバクいってる。いや、嘘だ。これはアイツに抱き締められたせいだ。強く強く抱き締めてくれたお蔭でまだアイツに抱き締められた感覚が残ってる。ああ、くそ。イライラする。でも、さすがに気持ち悪いは言い過ぎたかも。

(アイツのあんな傷付いた顔、初めて見たし…)

 まさか、あんな風に縋り付いてまで別れを拒んでくるなんて思わなかった。「あーうん分かった」ぐらいの軽い感じで受け止めてくれるもんだとばかり思っていたから。それともあれか。俺みたいなヤツに振られるのが許せなかったとか?それはないか。アイツ幼馴染大好き人間だし、俺に振られた位じゃあんなに取り乱さないだろう。寧ろ喜ぶと思う。
 じゃあ、一体何なんだ――?

「おっはよー拓篤くん」
「うぐっ」

 と、そこへ酷く暢気な声で俺の頭に荷物を乗っけてくる友人が登校してきた。志貴と言って、この学校で仲良くなった俺の友達。そこそこイケメンなのが腹立つんだ。

「…はよ」
「あれ?随分テンション下がってんね。また彼氏絡み?」
「まあもう彼氏じゃねーけどな」
「は?マジ?別れたの?」

 コクリと頷くと、結構本気で驚いているのか、マジか…と呟いて志貴は固まった。志貴は、この学校で俺と理央が付き合っているのを知っている唯一の人物でもある。この学校のやつは大抵理央はあの幼馴染と付き合っていると思っているらしい。そりゃ待ち人がいつも幼馴染なんだから勘違いするよな。つか男同士なのに何も言わないのは二人が美男美少年のお似合いカップルに見えるからだと思う。顔の良いヤツはいいねぇ。ホント、お似合いだよ…。
 ああ、そうそう。それで志貴が俺とアイツが付き合ってると知った理由は、至極簡単。志貴が俺の部屋に遊びに来ていた時に、理央が幼馴染の部屋から顔を出して俺を呼んだからである。「拓篤ー!」と嬉しそうに俺に手を振ってくるアイツに、また隣に居るのかよと俺はやるせない気持ちになりながら手を振り返す。そんな俺の微妙な顔を見て不思議に思ったのか、志貴が俺の横からひょこっと顔を出して、「あ。いつも校門前に居るイケメンだ」と指差したのが始まり。そしてそんな志貴を驚いたように見る理央を余所に、俺はじゃあと声を掛け、窓とカーテンを閉め完全に遮断する。そして自分でカミングアウトした。「アレ、俺の彼氏」と。あの時の志貴の顔は中々面白かった。けど、俺の突然の告白に引くこともなく、志貴は俺と理央についてあれこれ聞いてきた。馴れ初めとか、そんなの。けど、手さえ繋いでないんだから特に語る内容も無くて、ただ一緒に遊びまわってた中学時代の話を少ししただけだった。
 ああ、何かその頃が懐かしい。まだ、理央に告られる前。出来る事ならあの時に戻りたい。理央を、好きになる前の自分に、戻りたい。叶わずとも、そう願わずにはいられない。

「にしても、あの彼氏とねー…俺、毎回校門にいるアイツの前通るたびに睨まれてたんだけどなぁ」
「は?なんで」
「そりゃあ俺があの時拓篤の部屋居たからじゃね?拓篤が窓閉める時もめっちゃ俺の事睨んでたし」

 何だそれ。人の友人にガン飛ばすとかあいつ何考えてんだ。つかアイツ人を睨めんのか?いつもニコニコしてる記憶しかないけど。

「何かごめんな。気付かなかった」
「いや、いいよ。つかもう別れたんだろ?拓篤関係ないじゃん?」
「……それもそうだな」

 別れたんだろ?そう言われてすぐに頷き返せなかった自分に腹が立った。どれだけ突き放しても、やっぱりこの想いはそう簡単に消える事は無くて、まだアイツの事が好きだと思う自分が無性にイヤになる。未練がましいだろホント。

「拓篤」
「ん?」
「本当にいいわけ?」

 志貴は結構鋭いと思う。こうして俺の少しの変化にも気付くんだから。俺はゆっくり頷いて、「寂しいけどな」とだけ呟いた。その言葉に、黙って俺の頭を数回叩く志貴。その温かさに、目頭が熱くなって涙が出そうになったのは俺だけの秘密だ。





 今日日直だったのを忘れ、日誌を書くために学校に残る事にした。すると志貴が俺も残ると言ってきたので、二人で遅くまで学校に居る羽目になった。いや、日誌自体は終わったんだけど、どうしてもすぐに帰りたくなかったんだ。今日もしまた校門で幼馴染を待つアイツの姿を見かけたら、俺号泣する自信がある。そんな俺を気遣ってか、志貴は何も言わず俺と一緒に馬鹿みたいに笑ってくれた。朝から急下降していた俺の気分が、志貴のお蔭で少し浮上した。

「結局追い返されたなぁ」
「俺、下校ギリギリまでいたの初めてだわ」
「俺ら帰宅部だしな」
「早く帰れー!って怒鳴ってたせんせーの顔ヤバいウケたわ」
「確かに!!アレは夢に出てくるわ!!」

 そんな他愛のない話をしながら、志貴と一緒に玄関口を出る。もう冬も近いせいか、すでに辺りは真っ暗で風は少し冷たい。

「肉まんでも食べて帰る?奢ってやるよ」
「え!マジで!?拓篤様さいこー!!」
「調子いいなぁお前」

 でも、俺なりの礼のつもり。少し前を歩き、肉まん肉まんと口ずさむ志貴を後ろから眺めながら、俺達は校門を出た。


「た、くま…」


 その瞬間、横から聞き慣れた声が聞こえて来た。そんなの気のせいだと無視すればいいのに、俺の身体は何を思ったか、その声に釣られる様にそちらを向いてしまう。門の横にある花壇の縁に、理央とその幼馴染が腰かけていた。ああ、最悪。何でいんだよ。

「拓篤…」

 馬鹿みたいに俺の名前を繰り返す理央に、幼馴染が「ほら早く!」とその背を押す。最初暗がりでよく顔は見えなかったけど、近くまで理央が寄って来て漸くその表情が窺えた。影のある表情とはこう言うのを指すのかな、と思ってしまう位、いつもの理央の顔とはかけ離れている。生気が抜け落ちてると言ってもいいくらいだ。目元なんか赤く腫れ上がってんぞ、どうしたんだコイツ。

「たくまぁ」

 くしゃりとその表情が崩れ、悲しげに俺を呼ぶ理央が、そのまま俺に手を伸ばしてきた。だが俺はその手を反射的に払い、一歩後退った。手を払われた理央はその手を見て、また悲しげにその表情を歪める。
 何だよ、これじゃあ俺が全部悪いみたいじゃん。

「お前、何だよ。付き合ってた時はこんなしつこく付き纏わなかったのに。いきなり何なの」
「ッ…」

 一瞬、理央の目にまた怯えが見えた。

「いい加減にしろよ。もう堂々…いや、最初から堂々か。そいつと付き合えるんだし、俺を追っ掛け回す暇あんならどっか連れてってやんなよ。なあ?アンタも色んな場所行きたいだろ?」

 俺は大きな声で理央の後ろに居る幼馴染に声を掛ける。彼は少し驚いたように「え…?」と声を漏らしていた。俺はわざとらしく大きく溜息を吐き、そして次には笑顔を浮かべる。それを見て、理央がヒュッと息を呑んだ。

「な、もうお終い。これで俺とお前は終わり。分かった?なら、俺らもう行くから」

 上手く笑えてるかな。例えるなら仮面を被ったかのような張り付けた笑みしか浮かばなかったから。でも、アレだな。理央との恋はたぶん一生忘れられない気がする。それほど、俺はお前の事好きだったよ。お前以上に、ずっと。
 おまたせの意を込めて、俺の後ろで待機してた志貴の背を押す。志貴は少し複雑そうな顔をしていた。けどもう、俺は振り返らない。

「おい拓篤、いいのか?」
「いいんだってもう」
「でもお前…」
「――ぅ、ああああああぁッ!!」

 後ろから突然聞こえて来た泣き声に、思わず志貴と二人で同時に振り返ってしまった。あ、振り返らないと決めたばっかなのに。だが俺も志貴も、目の前に光景に目が離せなかった。理央が、あの理央が声を上げて泣いている。開いた口が塞がらないとはこのことか。いや、つか此処校門前だから。いつ生徒が出て来ても可笑しくない場所だから。そんな場所で人目も気にせず、理央が泣く。

「うっえぇ、だぐ、まぁぁ!」
「お、おい拓篤ッ。アイツ泣いてんぞ!?」
「えええ!?いや、俺!?」
「だってお前呼んでるぞ!」

 アワアワと思わず二人で慌ててしまう。それ位動揺していた。だって、あの理央がまさかこんな大号泣するなんて誰が想像するよ。予期せぬ事態もいいところだ。必要以上に慌てる俺達の耳に、理央の聞き取りにくい嗚咽まじりの声が届く。

「っ、んで、どうし、て…ッ」
「え?」
「ど、して…オレ、じゃダメ、なの…」

 どうして、俺じゃ駄目なの?それはどう言う意味だ。

「っす、から。ぜんぶ、直すからぁ…ぅ」
「……」
「ソイツ、がいいなら、それっ、ぽく、振る舞う、からッ、だから…っ」
「はあ?」

 ソイツとは志貴の事か?俺は志貴が良いだなんて一言でもこいつに言った覚えはない。勿論友達としては一番好きかもしれないけど。

「だか、ら…俺を、そば、にっ置いて…ッ気持ち、悪いって、言わないでっ」
「――!」
「拓篤ぁ、お願い、嫌いに、ならないでッ…たくまっ」

 そう言うとまた、うえぇと泣き出す理央に、俺はどうしていいか分からずその場に立ち尽くす。すぐ傍に駆け寄れば手が届く位置だ。でも、さっき手を振り払ってまで理央に触れたくなかった俺が、自分から行くとか勝手すぎるだろ。大体何でこいつが此処まで泣くのか理解できない。
 だって今の感じだと、まるで俺が好きみたいな言い方だろ。そんなはずないのに。


「あーもう!うるさい!」
「ギャッ」


 と、その時だった。今まで理央の後ろで傍観していた幼馴染が、思い切り理央の背中を蹴った。その拍子に、理央が俺の足元に転がって来た。え、つか、何。


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