――何でお前が此処にいるんだ。

 その言葉が口から発せられることはなく、俺はそのまま陽二に腕を引っ張られ立たされる。顔がよく見えないから陽二がどんな顔をしているか分からないが、雰囲気と声色で何となく機嫌が悪いのだけは分かった。何でお前が怒ってんだよ。

「陽二ぃ?何で此処にいるのぉ?」
「どーでもいいじゃん」
「てゆーか、何?今の」

 状況について行けず固まる俺を余所に、陽二と小林が何かを言い合ってる。今の?そう言えばこいつは何て言った?

「ねえ」
「へ?お、俺?」
「そ。お前。郁人酔っぱらって具合悪いから帰るね」
「え、あ、でも」
「……ね?」

 突っかかる小林を無視し、陽二が俺の友人に声を掛ける。それも俺にとって凄く理不尽な事を言っている気がする。友人も気圧されたのか、「わ、分かった」と返事をする。思わずぶっきら棒に「おい」と声を掛けるも、陽二はそれさえも無視して俺の荷物を持ち、その場を離れようとする。

「おいっ、ちょ、眼鏡がまだ…」
「眼鏡?」
「これよ。鳥見くんの眼鏡。いらないの?」
「……そいつに渡しといて」

 そいつと言うのはまさかと思うけど俺の友人のことか。なんとなく友人が戸惑っているのが伝わって来た。と言うか他のメンバーが置いてけぼりを食らってかなり空気と化してる。置いてけぼりなのは俺も一緒か。つか、この距離なんだから取りに行かせろよ。そう思うも、強く引っ張られれば俺の身体は陽二に簡単について行ってしまう。
 ホント悪りぃ。ぼやける視界の中、友人が居るであろう方向に片手で謝り、俺は店を後にした。



「おい。いい加減離せよ」

 店を出てからタクシーを捕まえるまで、陽二はずっと俺の腕を握ったままだ。その力強さがまるで逃がさないと言うかの様で、俺はそれ以上抵抗が出来ずにいた。
 くそ、何だってこいつはあそこに現れたんだ?確かに今日は飲みに行くとメールを入れといた。どーせ陽二も夜まで俺の前には現れないと思っていたから、勝手にしてくれと言う意味も込めて。けど居場所までは知らせてなかったのに。ハア…と思わず出て来た溜め息に、俺の腕を掴んでいた陽二の手がピクリと反応した。どうしたんだ突然。

「――ごめん」
「は?」

 車を走らす音しか聞こえない車内。陽二から何に対するものか分からない謝罪をされた。その声に釣られ陽二の顔を見るも、だめだ。やっぱよく見えない。眼鏡も置いてきたし、最悪だ。

「それは俺の邪魔をしたことか?それとも無理やり連れだしたこと?いや、昨日のことか?」
「……全部、かな」

 陽二の言葉に頭がカッとなる。何だよそれ。謝ればいいとでも思ってんのかこいつ。つか謝るぐらいなら最初からすんな。俺が聞きたかったのは、そんな言葉じゃない。謝罪の言葉なんていらない。

「俺さ、もう分かんないの」
「何が」
「最初は、ただ一緒に居てくれるだけでいいと思ってた」

 ギュっと、俺の腕をスルスル伝い、そのまま手を握る陽二。その声色は、先程の冷たいものでも落ち込んだものでなく、酷く穏やかで優しい。

「離れたくなかった。だから一緒に住もうって誘った時、頷いてくれて本当に嬉しかったんだ」

 そう言って陽二は話し始める。何だ、一体何の話をしてるんだこいつ。そして同時に思う。俺はこの話を最後まで聞いていいのか?

「幸せだった。家に帰ればすぐ傍に居る。俺を、待っていてくれる」
「陽二…」
「けど、それは錯覚だ。こいつは俺のモノじゃない、こんな幸せは長く続かないって。だから色んな子で紛らわすんだ。俺の想いの何もかも」

 一体それは誰の話だ?そう思った瞬間、キキッと言うブレーキ音と共に運転手に着きましたよと声を掛けられる。いつの間にかアパートの前に着いていた。運転手の声に反応した陽二が手早く料金を払い、俺の手を引いてタクシーを降りる。ドアが閉まり、発進する車をぼんやりと見送った。家の前の道は暗いから、余計にこいつの表情が見えない。今こいつは何を思って俺に話しているのだろう。

「でも、駄目なんだ。みんなに同じ理由で振られる。私を見てくれないって」
「小林も言ってた。違う誰かを見てるって」
「…うん。そしたらね、無性に悲しくなって寂しくなる。胸が空っぽになったみたいで、とても苦しい。俺のやってる事って結局何なんだろうって、凄く虚しくなる。だから、郁人に縋るんだ。一番、やってはいけない方法で」

 ホントは分かってる。どれだけ穏やかな声をしていようが、辺りが暗かろうが、今のこいつがどんな表情をしているのか、この震える手が物語っているような気がするから。きっと酷く泣きそうな顔をしているに違いない。

「でもね。やめられないんだ。他に依存することをやめたら、きっと俺は郁人の傍にいられない」
「どうして、そう思う。分からないだろ」
「……分かるよ。だって、郁人が抵抗しないのをいいことに、それにつけ込んで無理やり抱いて喜んでる位だから」

 その言葉にギョッとした俺を見て、陽二が小さく笑った気がした。

「でもいつも後悔する。優しい郁人にいつまでこんな事させるんだって。そんでもって起きていきなり拒絶されたらどうしようって。だから、俺はいつも逃げる様に家を出るんだ」
「朝起きていないのはそのせいな訳か」
「臆病者なんだよ、俺は」

 ――こうして、今も素直に言葉にすることが出来ない。
 一番、言いたい言葉を。

 そう言って陽二が俺の手を放す。急に他人の体温を失って、手が冷えてくのを感じる。ああ、もう。こいつは本当に俺を振り回す天才だな。言いたいことだけ言って、俺の都合は無視か。ホント最悪なヤツだ。

「郁人。俺は――」
「却下だ」
「え、まだ何も言ってないよ!」

 陽二の言葉を一刀両断した俺は、今度は自分から陽二の手を掴む。うっ、とすぐ傍で息を呑む音が聞こえた。

「ちょ、郁人?」
「お前の話、分かり辛くてその上長い」
「ダメ出し!?」

 俺の言ったことに傷付いた!と涙目になって訴える陽二だが、その間にも俺が掴んだ手を外そうとする。まるで逃げるように。それにイラッときた俺は掴む手に素知らぬ顔で力を入れる。ベキッと骨が鳴る変な感触が伝わってきた。突然の痛みに陽二が悲鳴を上げるが知らぬ存ぜぬだ。

「いだだだだ!痛いよ郁人!これマジで!」
「陽二」
「えっ、この状態で話すの!?」

 嘘でしょ!?と今度は本気で泣きそうな陽二に構わず、俺は大きく息を吸った。一度しか言わないからよく聞いとけバカ。

「ちょっ、郁――」

 俺の名前を呼びきる前に、俺は陽二の口に静かに口づけた。触れ合うだけの唇はすぐに離れ、俺は至近距離で陽二の顔を見つめる。この距離になってようやく見える。こいつの酷く間抜けな面が。ポカンと口を開け俺をみる陽二に、今度は深く口付ける。「んむっ」と色気のない声が相手から漏れるが気にしない。短いようで長いキス。最初こそは俺を離そうとしていた陽二だったが、今は俺の舌に自身の舌を絡めるぐらい俺からのキスを黙って受けている。

「はぁ…はぁ…い、郁人?ど、どしたの?」

 漸く唇を離した時、訳が分からないと言う目で俺を見る陽二だが、その瞳は熱を帯びていた。くそ、期待した目で見てきやがって。乱れた息を整えながら、俺は自身の心臓を鷲掴みたい衝動に駆られる。大体、今から俺が言おうとしていることは正直おかしい。自分でおかしいと分かっているのだから、周りが聞けば皆口を揃えて言うだろう。何をやってるんだと。

「俺はな、もうイヤなんだよ」
「……俺が、傍に居るのが?」

 俺の言葉に、陽二が弱弱しく呟く。ちげぇよ馬鹿。どうしてこの流れでそうなる。吐き捨てたくなる暴言をおし込め、俺は続ける。

「正直答えは出せない」
「郁人?」
「お前が俺に言えないように、俺もお前に言えない事がある」

 今はまだ。その言葉は呑みこんだ。

「けど、一つ確かな事がある」
「…何?」
「お前が傍に居ないのは、イヤなんだ」

 俺の淀みない言葉に、陽二が目を見開く。まるで信じられないと言うようなその顔に、思わず小さく笑った。

 俺は、いつからこんな臆病者になったのか。言いたいことは今まで隠さず口に出せていた筈なのに。お蔭で冷たい印象もついたしな。けど、こいつに対しては言えないことだらけだ。今日の出来事だってそう。あの場に陽二が現れて、元カノでも、他の者でもない、俺の所に来てくれたことが凄く嬉しかった。俺を選んでくれたって、思えたから。
 お前がどう言うつもりで俺の傍に居るのか、たぶん俺はその答えが分かる。と言うか、今分かった。そんでもって、俺自身の気持ちも漸く。何もかも虚しく感じていたのは、こいつが俺以外の誰かの傍に行くから。隣に、居ないから。けど、こんな事、こいつには言ってやらない。つか言えない。とてもじゃないが、そんな小っ恥ずかしい事は言えないだろ。

「郁、人…それって、どう言う…」
「ま、だから取り敢えず――」

 困惑しっぱなしの陽二の襟元を掴んで引き寄せた俺は、そのまま耳元で囁く。

「今日はお前が慰めろ。俺を」

 お前が与えた寂しさは、お前が埋めろ。

 そうぶっきら棒に言い切った俺に、陽二は恍惚とした表情を浮かべ、「うん」と力強く頷いた。今度は陽二から俺にキスしようと顔をグッと近づけて来たのを跳ね除け、俺は部屋へと足を向ける。後ろから「待ってよ郁人〜」と先程まで落ち込んでいたヤツとは思えない程嬉しそうな声をするあいつが追い掛けてくる。つか家の前で何してんだ俺。ご近所で噂になったらどうしてくれる。
 そんな事を思いながらも、俺は湧き上がる気持ちを抑えられない。

 今はまだ、このままでいい。
 けどいつの日か、言える日が来たのなら。
 お前に伝えるよ。
 この想い、全部。



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