清苑様より頂いたリクエストです。





 ワーンワーンと赤子の泣き声が部屋に響き渡る中、安河内剛は何とか泣き止んでもらおうとその赤子に声をかけ続けていた。

「宗介ー。どうしたー?」
「っ、う、あぁー……」
「腹でも減ったか?あ、分かったぞ。こいつの顔が怖いんだな。よしよし怖くないぞーおじさんがついてるからな!」
「ぶっ飛ばすぞ」

 そう言って剛の背中を蹴っ飛ばすのは、まだ小学生の黒岩凪だ。凪に背中を蹴っ飛ばされ、前のめりに倒れ込んだ剛は非難の目を凪に向ける。

「テメェ!何しやがる!」
「宗介に余計なことを吹き込むな。と言うか話し掛けるな」
「無茶言うなクソガキ」

 自分を見下すこの子供は以前道端で出会った名家の息子だ。血塗れで倒れている所を、宗介の父親である浩幸と共に助け出してから、ほぼ毎日この家に顔を出している。魔力、武術共に剛を上回っている凪は、さぞ優秀な跡継ぎだろう。
 浩幸が以前聞いたことがある。此処に出入りしていて大丈夫なのかと。凪は一瞬だけ軽く目を伏せ、それからいつもと同じ、変わらぬ表情で大丈夫ですと静かな声で呟いた。そしてそれ以上彼が口を開くことはなかった。だから浩幸も剛もそれ以上その話題には触れなかった。いずれ話してくれるのを待とう。そう言って浩幸は笑っていた。

「くそっ、浩幸たちはまだか…」

 ワンワンと泣く赤子を抱えながら、剛は非常に情けない顔をする。如何せんいつも父親か母親が居るのに、今日に限っては凪と二人でお留守番しててと言われ、慣れない子守りに戸惑っていた。

「いつまで泣かせとくんだ」
「うっせ!ならお前がどうにかしろ!浩幸に言われてんだろ!」
「っ……」

 そう言って剛が赤子を差し出すと、凪は一瞬息を詰まらせた。しかし剛は、浩幸と凪の会話をしっかり聞いていた。

『凪、今日は兄さんと二人でお留守番しててね』
『な…』
『兄さんは子守りとか向いてないから、宗介の事、頼んだよ』

 凪としては、浩幸にそこまで言われたら断る事はないだろう。寧ろ使命に燃えて必ず成し遂げる。だが赤子を抱くとなると別だ。下に宗介より一つ上の弟が出来たが、未だに会っていない。だから赤子との触れ合いは宗介が初めてな訳だが…未だに宗介との触れ合いは数える程度だ。凪が戸惑うのも無理ない。
 だが責任感の強い凪は、一瞬戸惑いを見せたもののグッと力強く赤子を抱き寄せた。

「ぅ、あー!」
「そ、宗介、泣くな」
「おい。泣いてんぞ」

 その力強さに驚いたのか、赤子がより一層大きな声で泣き始めた。

「やっぱお前にゃ無理だな。貸しな」
「寝言は寝て言え」
「てめっ!」

 泣き止まない赤子を余所に言い争いを始めた凪と剛だったが、突如部屋の扉が大きな音を立てて開け放たれた。一瞬その音に凪が構えるが、そこに居た人物をみるや、目を丸くした。

「全く、何してるの二人とも」
「浩幸さん!」
「浩幸ッ、てめー遅ぇよ!」
「ごめんごめん」

 剛の怒声もものともせず、笑いながら凪に近寄った浩幸は、凪の腕の中に居る赤子をひょいっと抱きかかえる。

「宗介。ただいま」
「っ、ひっく…」
「お、おおー。泣き止んだ…」

 ポンポンと小さな背を叩くと、先程まで泣き続けていた赤子はピタリと泣き止んだ。思わず剛も凪も感心する。

「二人とも抱き方が悪い」
「う…」
「兄さんは不安定だよね」
「見てたのか!?」
「見なくても分かるよ」

 ハハッと乾いた笑いを漏らすと、今度は凪を見やる。

「凪は力強く抱き過ぎ。そんな簡単に落ちないから大丈夫だよ」
「……はい」
「後もうちょい笑顔でね」

 役目を果たせなかったと思っているのか、凪が少し俯き気味になる。浩幸はその頭をポンと軽く叩くと、凪が少し顔を赤くした。恐らく照れているのだろう。

「ほら、もう一度抱いてごらん」

 そう言って渡された赤子を、今度はソッと優しく抱く。すると、赤ん坊は凪の腕の中でキャッキャと笑う。

「っ…」
「そうそう。その調子。良かったね、凪」
「おい!俺にも抱かせろ!」
「兄さんはいいよ。どうせ下手だし」
「何だと!?」

 二人の喧嘩とまではいかない言い合いを余所に、凪は自分の中で笑う赤子を見て顔を綻ばせていた。

「宗介」
「あー」
「うん。何?」
「あー!」

 特に意味もない会話だが、凪の心は満たされていた。そんな二人をいつの間にか見ていた剛と浩幸は、幸せそうな凪の表情を見て、こっそり微笑んでいた。





「剛さん」
「宗介か」

 パタリとアルバムを閉じた剛は、校長室にやって来た宗介を笑顔で迎える。

「それは?」
「ああ、ちょっとな」

 これを宗介には見せられない。今見せても悪戯に困惑させるだけだ。だがいつかの日の為に、今日までとっておいたものだ。あまりに懐かしくてついつい引っ張り出してしまった。

「あの、俺に何か?」
「ん?ああ。最近はどうだ?困った事とかないか?」

 アルバムをしまい、宗介の傍に立った剛は、すっかり大きくなったあの時の赤ん坊を見る。

「はい、大丈夫です。皆優しくて、すぐに助けてくれるので」
「そうか…」

 そう言って幸せそうに笑う宗介を見て、剛は胸の中がほっこり温かくなった。やはりこいつには笑顔が似合う。そう思いながら、宗介を見下ろしていると、剛の後ろについていた凪が小さく溜息を吐く。

「回りくどいですね。そんな事を言いたい訳じゃないでしょう?」
「う、うっせ。今言うところだ!」
「……?」

 そう言えばこいつも随分大きくなったな、などと考えながら、剛は一つ咳ばらいをすると、宗介に微笑みかけた。

「週末、俺と出掛けよう。宗介」
「え?」
「少し髪も伸びて来たし、またあそこ行って切ってもらおう」
「で、でも…」
「都合が悪いか?」
「い、いえ。でも、良いんですか…?」

 恐らく宗介はお金の事を気にしているのだろう。気にしなくてもいいと言っても、宗介は気にしてしまう。そこが宗介の可愛い所でもあるんだがなぁ。自分に全部寄りかかって来ない宗介に少し歯がゆい思いを抱えながら、剛は宗介の頭を力強く撫でる。

「わっ、つ、剛さん!?」
「俺に気を使う必要はねぇよ。勿論そこの凪にもな」
「ええ。宗介くんの頼みなら喜んで」
「あ、ありがとうございます…」

 二人の言葉に宗介は照れくさそうに俯く。

「凪さんも行くんですよね?」
「…え?」
「いいや!凪は此処でお留守番だな!」

 剛が面白がるように凪にそう言うと、凪は一瞬口元を引きつらせたが、すぐに笑みを戻し、首を振った。

「いえいえ。泣いている子もあやせない駄目な大人だけでは心許ないですからね。俺もお供致します」
「テメッ、凪!」
「……?」

 凪の言っている意味が分からない宗介は首を傾げ、馬鹿にされた剛は目を吊り上げ凪に迫る。

「テメェだって昔はダメダメだったろうが!」
「何の話ですか?」
「宗介抱く時だってビビってたくせに!」
「――」

 剛の言葉に凪はムッと顔を歪ませると、何を思ったのか、ツカツカと宗介に歩み寄っていく。

「おい、凪?お前何して…」
「凪さっ…うわ!」

 宗介が驚きの声を上げる。それもそのはず、凪が宗介を抱き上げたからだ。

「何してんだテメェ!」
「今も昔も、上手く抱くことも出来ない人に言われたくないですね」

 何やら言い争いを始めた二人を、宗介は高い視点から見下ろす。どうすればいいのだろうかとオロオロしていた。

「何言ってやがる!今なら宗介だってちゃんと抱けるっつーの!オラ貸せ!」
「ええ!?剛さん!?」
「嫌に決まっているでしょう。下手くそは黙ってて下さい」

 言い争う内容はどんどんエスカレートして言っているが、二人の雰囲気はギスギスしたものではない。寧ろ何処となく楽しそうに見える。
 そう思うのは自分の気のせいだろうかと、宗介は凪に抱き上げられながら首を傾げていたのだった。



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