雪華様より頂いたリクエストです。
※ネタバレ注意





『――おいで』

 日に日に聞こえる声。
 それは勘違いなどではなく、他でもない、私を呼ぶ声だった。





「行ってきます」

 家の中に向って声を掛けてみても、誰からの返事もない。分かってはいたけど、やっぱり少し寂しい。そんな事を思ってみたって、今更彼らの態度が変わる訳ないので無駄な事なんだけど、それでもね。割り切れない思いってあるんだ。
 小さな溜息を吐きながら、私は家を出た。家族なのに、同じ血が流れているのに、私は一族の落ちこぼれとして生を受けた。それは光を受け継ぐ一族からしたら大変恥な事らしく、全く魔導士の素質がない私は、小さな頃から優秀な兄と比較されていた。兄は魔導士育成において最高峰と言われる冥無学園に行き、そこで完璧な魔導士になる為、日夜努力しているとか。そして私は、自身の素質のなさから冥無から推薦がくることもなく、普通の高校生活を送っている。でも、私にはそれが丁度いいと思っている。背伸びすることもなく、自分の身の丈に合った平穏な生活だ。とても、満足している。けど最近、一つだけ気になる事がある。

『――』
(あ、まただ)

 一瞬聞こえた声。そう、気になるのはこの声だ。分かるのは男の人ってことだけ。それ以外は分からない。しかも私にしか聞こえていないと言う。最初は自分の頭を疑ったが、たぶんそう言う訳ではないと思う。だって、最初はただの音の羅列にしか聞こえなかったそれは、聞こえるにつれて明確な指示に変わってきている。

『私の元へ、おいで』

 そう、私に語り掛けてくるんだ。最初の内は恐ろしかった。自分にしか聞こえない声、そして私を何処かへ誘ってくる内容に、ただただ恐怖しかなかった。けど暫くして落ち着いて考えてみると、それ程この声の主は悪い人ではないんじゃないかと思えて来た。寧ろ人かさえもよく分からないし、本当に呼ばれているのかも確定していない。けどこの優しい声の主は、そうじゃない、自分を蔑んで来たような人達とは違うと、私自身の心が否定している。そう、思いたいだけなのかもしれないけど。

(でも、おいでって、何処へ行けばいいんだろう?)

 考えに耽りながら、曲がり角を曲がった瞬間だった。目の前が真っ暗になった、と思った時には衝撃で地面に尻もちをついていた。一瞬過ぎて何が起きたのか分からず目を真ん丸くさせていると、私の目の前に立つ男の子がスッと手を差し出してきた。
 ああ、そっか。曲がり角でこの子にぶつかったのか。

「すいません。大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
「急いでいたもので、つい……」

 申し訳なさそうな男の子の手をとり、私は立ち上がった。そこでパッと目に映った彼の格好に思わず「え?」と小さく声を漏らしてしまった。だって、この制服は冥無学園の制服だ。兄が着ているのを見たことがある。でも恐らく彼は中学生だ。胸章が中等部の物だし。でも、制服を見て判断しないと分からない程、彼は大人びて見える。だって高校生かと思ったぐらいだし。
 スカートについた土を払っていると、彼は立ち去る訳でもなく、何故か私をジッと見つめていた。何だろう、急いでいたと言うからてっきりそのまま行くと思ったのに。もしかして謝罪が足りないのかな。そう思って慌てて頭を下げる。

「あの、ぶつかってごめんなさい」
「あ、いえ。此方こそ。本当に怪我はないですか?」
「はい。大丈夫です」

 それは良かった。
 そう言ってニコッと爽やかに笑う彼は、さぞ私の高校に居たら注目の的だろうな。それ程綺麗と言うか、整った顔をしている。思わずその笑顔に見惚れていると、彼は再び私を凝視して来た。もしかして顔に何かついてる?私が女だから言いにくいのかな?
 聞くのも何なので、顔をそれとなく擦ってみるが何もついている感触はない。じゃあ何だろう。思わず眉を下げると、彼もそれを見て私の意図に気付いたのだろう、ハッとして頭を下げた。

「すいません、不躾に見つめてしまって。顔に何かついてるわけじゃないので安心して下さい」
「なら良かったです」

 安心した様に笑えば、彼は一瞬目を見開いた後、釣られる様に笑った。こんな道の真ん中で、いくら人通りがないからと言って、初対面の人と朝から笑い合うことになるなんて思ってなかったな。でも、どうして冥無の子が此処に居るんだろう。だって此処から冥無までは相当距離があるのに。

「ああ、もう行かないと」

 その言葉に彼が見つめる先を見ると、もう一人冥無の制服に身を纏った人が、早くしろ!と彼を呼んでいた。それを見て彼は苦笑いすると、再び私に向き直り、頭を下げた。

「すいませんでした。次からは曲がり角に気をつけます」
「此方こそ。私も注意して歩きます」

 私も頭を下げる。そんな私に「夜道には気を付けてください」と一言声を掛け、走り去っていく男の子。さっきから彼を呼んでいた人に怒鳴られながら、彼らの姿は曲がり角に消えた。私はその光景をぼんやり見ながら、今の言葉の意味を考える。
 それは背後から俺が殺るぜって意味?それは怖いな。

(なんて、呑気に考えてる場合じゃないか)

 チラリと時計を見ると、バスに間に合うかギリギリの時間になっていた。思わずその場を駆け出し、私の中では、此処での記憶は忘却の彼方へと忘れ去られる筈――だった。けど、運命とは面白いもので、私が再びあの男の子と出会う日は、そう遠くない未来の話になるのだった。
 でも、その出会いが運命か、それとも仕組まれた物なのか。この先にどんな真実が待っているのかも、この時私には分からなかった。もし、この時少しでも分かっていれば、運命を変えられたのかな?


『――私の元へ、おいで』


 私を呼ぶ声は、まだ止まない。



prev next


back