「一人で寝らんねぇなら、俺の部屋で寝るか?」

 泣き疲れて彼の胸にボーっと頭を預けていると、先輩にそんな事を言われた。少し顔を上げれば至近距離で目が合う。その目は何処となく意地悪そうに細められていて、からかわれているのだと俺でも分かった。
 きっと冗談で言っているのだろう。けど、一人此処で蹲っていても碌な思考回路には繋がらない。今は出来るだけ、そう、ズルくてもいい。一人になりたくない。そう思ったら、彼の服をギュッと掴み、コクコクと小さく首を振る。尚親先輩が息を呑んだのが分かった。

「お前、マジで言ってんのか?」
「だめ…ですか?」

 流石に図々しいかも。思わず不安げに尚親先輩を見上げる。

「――生殺し、かよ」

 ポツリと、彼が言葉を漏らす。おまけに溜息まで。何がですか?と聞く間もなく、俺はひょいっと布団ごと肩に担ぎ上げられた。
 え、まさか、このまま行くのか?

「せ、先輩っ」
「……寝るだけだ。別に何もしねぇ」

 言葉の意味が分からず首を傾げるも、そのまま部屋を出て、向かいにある先輩の部屋へと向かう。こんな頼り方されて怒らない先輩は、本当に優しい人だ。どうして俺の周りはこんなにも良い人達ばかりなんだろう。どれだけ俺が恵まれているかを思い知る。
 そして、自分がどれ程身勝手かも。
 思わず先輩の背中をギュッと握りしめると、先輩が小さく笑った。

「さっき言ったろ。俺に預けろって。お前が気にすることねぇよ」

 でも…と、俺が言葉にするのと、尚親先輩がピタリと足を止めるのはほぼ同時の事だった。どうしたんだろう、先輩。何でこんな中途半端な所で立ち止まるんだ?何しろ俺は布団で視界が遮られているから周りがよく見れない。

「先輩?どうしたんですか…?」
「――今すぐ下ろせ。でなきゃ、その首落とす」
「今更何しに来たんだよ、凪」

 尚親先輩の言葉に、俺は固まった。
 凪…?凪さんが居るのか?ど、どうして…。

「下ろせ」
「こいつを不安にさせて散々泣かしといて、今更どの口が言ってんだよ」
「下ろせ」
「つか、瞬間移動で生徒の部屋に入んな」
「さっさと下ろせ」

 ビリッと肌を刺すほどの殺気に中てられ、俺は息苦しさを覚える。凪さん凄く怒ってる、何でだ?しかもさっきから下ろせとしか口にしない。下ろせとは俺の事を言っているのか?
 今、凪さんがどんな表情をしているのか分からない。もしかしたら、またあの無表情かもしれない。そう思ったら恐怖で身体が震えた。堪らなく怖くなって、下りたくないと思った俺は先輩の背中に強くしがみついた。

「宗介…?」
「――もういい」
「あ?」

 その時、凪さんが酷く冷めた声色でそう吐き捨てた。そんな凪さんに、尚親先輩は訝しげる様な声を上げる。もういい、突き放したような言い方に俺はグッと唇を噛む。俺の態度で凪さんは完全に呆れて帰ってしまうのかと思った。しかし、耳に響くバチバチバチッと鳴る音に、その考えはないのだと知る。

「オマエの意志とか、どうでもいい。下ろす気も下りる気もねぇなら、無理やりにでも引き離す。方法はいくらでもあるからな」

 パリンッとガラスが割れる様な音が聞こえ、俺の視界に映っていた僅かな光も消えた。恐らく凪さんの魔導で上の電球が全て割れたのだろう。
 青白い光だけが、時々視界を横切る。

「宗介」
「せ、んぱい…あの」
「このままお前を離さなきゃ、きっと俺にとってはいい結果になる。けど、このままじゃダメだ」

  ――何一つ、お前のためにならねぇよな。
 そう言って俺の背を押すようにポンポンと叩いた尚親先輩は、俺を投げた。急な浮遊感に「うわっ」と小さく声を上げるも、俺の身体は床に打ち付けられることなく誰かにキャッチされた。ギュウッと布団越しに抱き締められれば、俺をキャッチした相手が誰だか容易に想像がつく。というより、元々三人しかいないのだから、俺と尚親先輩を除いたその人だと言うのは直ぐ分かる。
 けど、これは俺のためなんですか先輩。

「凪」

 先輩の話が終わってないにも関わらず、凪さんが俺を担いで彼に背を向けたのが分かった。恐らくその足で向かうは俺の部屋だ。

「簡単に泣かせるようなら、俺も遠慮しねぇからな」
「……次触ったら、殺す」

 それだけ言って、凪さんが乱暴に俺の自室のドアを閉める。そしてそのまま俺の身体をベッドの上に下ろす。自由になった俺は凪さんの表情が見れず、より深く布団を被った。二人きりになった部屋の中、ギシッと俺のベッドが軋む音がする。凪さんが、乗ってきた音だ。

「宗介くん」
「……」
「宗介くん。顔を見せて下さい」

 ソッと、凪さんが布団越しに触れて来た。けど俺はそれから逃げる様に後退ってしまう。逃げたって何も解決しないのに、俺は何をしているんだ。凪さんの手が遠ざかったのを感じる。と、今度はギュウッと布団越しに強く抱き締められる。これじゃ身動きなんか取れない。

「何故黙るんですか?声を聞かせて下さい、宗介くん」

 俺がいつまで経っても反応を示さないことが、彼にとって不安だったのか。珍しく声に不安が混じる。

「宗介くん…お願いだから…」

 縋る様に俺を呼ぶ声が、どんどん小さくなる。何してんだ俺。違う、違うだろ。俺はこんな事をしたいんじゃない。ちゃんと謝って、仲直りして…なのに、何で凪さんを悲しませるような真似をしているんだ。

「俺は、必要ないですか…?」
「――っ!」
「……なあ、いらない…?」

 そんな事、一度も思ったことない。寧ろ欲しいよ、全部欲しい。それを伝えたくて、俺は布団から出ようとするのだけど、逃げようとしていると勘違いしたのか、凪さんが布団の中から出してくれない。
 お願いだから、そんな事言わないでくれ。

「…けど、もう無理だ」
「?」
「お前が尚親を好きになっても、関係ない。俺はアイツらとは違う立場で、宗介を守りたい」

 パサリと呆気なく布団から顔が出せた。と言うか凪さんが出してくれた。俺がもがいて出ようとした意味があまりない。けど、見上げた視線の先には、悲しそうに笑う凪さんの顔が合った。翡翠の瞳が、ユラユラ揺れている。イヤだ、そんな顔で笑わないでくれ。

「恋人として守っていくって決めた日から…俺は、もうお前を手放せない」
「な、ぎさ…」
「お前が俺を必要としなくなっても、それは変わらない」

 ――ただ、お前を守り続けるよ。
 そう言って俺に口付ける凪さんは、何だか泣きそうだ。グッと、唇を噛んだ。凪さんに此処までさせて、俺が黙っているなんて出来ない。
 俺の為にならない……確かに、甘えたまんまは、駄目ですよね。尚親先輩。

「凪さん。ごめんなさい」
「……黙って。謝罪の言葉も、拒絶の言葉も、聞きたくない」

 勘違いしているのだろう。俺のごめんなさいが違う意味で捉えられている。けど俺は凪さんに伝えたい。今度は、俺が凪さんにキスをおくる。目を見開く凪さんが、視界いっぱいに映った。

「もう俺、周りが見えない程、貴方が好きで堪らないんです」

 俺の言葉に、ポカンとする凪さん。その様子が可愛くて、思わず小さく笑う。ああ、ヤバい、自分の気持ちを吐き出すのはこんなにも怖いのか。今にも溢れ出そうな涙を見せまいと、凪さんの胸に顔を押し付けたまま話す。

「本当にごめんなさい。俺、子供っぽくて…今日も、嫉妬したんです。言われて気付きました。久々に会えると思ったのに、知らない子と仲良さそうに話して、終いには抱き合って……頭が真っ白になって、言わなくてもいい事言いました」
「宗介…」
「凪さんに嫌われたと思って、なのに謝ることも出来なくて…優しくしてくれた先輩に甘えました。一人で寝るのが怖くて、一緒に寝てもらおうと思ってました。だから、先輩は全く悪くないです。俺がハッキリ言わない意気地なしのせいです」

 これだけ聞くと俺は本当に我が儘なヤツだと思う。きっと、凪さんにはこんな面倒な根暗じゃなくて、朝の子のような可愛くてハッキリ表現出来る子の方が良いかもしれない。あれ、何だか自分で言って悲しくなってきたな。
 ジワリと目元に涙がたまる。

「……尚親と、寝たのか?」
「っん、ちょ、凪さん…耳元で喋らない、で…ッ」
「答えて、宗介」

 しかし何を思ったのか、凪さんが俯く俺の耳元に唇を寄せ、そのまま息を送り込むように喋る。熱っぽく低く囁かれると、身体が否応無しに反応する。

「ずっと、泣くだけの俺を慰めてくれた、だけで…まだ、一緒に寝るまでは…ッ」
「そうか。なら、良かった」

 そのまま俺の頭を抱え込んだ凪さんは、そう言いながらも何処か嬉しそうな声をしている。

「朝の生徒は、他校の理事のご子息です」
「……へ?」
「彼の指名があって俺は彼の護衛をして、接待してました。向こうに気があるのは分かってましたが、仕事である以上無碍には出来ません」

 それに…と、言葉を切った凪さんは、俺の大好きな笑顔で言った。

「彼には伝えました。俺が愛してやまない人が、死んでも守りたい人が居ることを。彼も納得してくれました」

 凪さんの言葉に、ブワッと塞き止めていた涙が溢れだす。一瞬面を食らったようだったが、小さく笑うと目尻に軽くキスをする。

「宗介、言って。俺が欲しいって」
「うっ、…しい、です…ッ」
「もう一度」
「凪さんが、欲しいですッ。好き、なんです…」
「やるよ、全部。とっくに俺は、宗介のモノだから」

 その後も凪さんは、子供の様に涙を流す俺を、ずっと傍で慰めてくれた。いつの間にか寝てしまったのだろう。泣きすぎて頭が若干痛い俺は、傍で寝ていた筈の凪さんの姿がないことに不安が広がる。いない。何処行ったんだ?
 そしてそこで俺は電源を切った携帯の存在を思い出す。そうだ、これで電話を……そう思って電源を入れた俺は驚いた。そこには夥しい数の着信履歴と新着メールの表示が。此処までの数字を見たことが無かったから逆に不安になる。一体誰からだ?そう思って開くと、その殆どが凪さんからだった。途中那智先輩や大樹達からメールが入っていて、「凪が凄い形相で宗介探してる!今どこ!?」など、内容は半泣きメールが殆どだった。

「宗介くん…?」
「っな、凪さん!」

 いつの間に戻って来たのだろう。珍しく上が白いワイシャツ一枚の彼は、俺が携帯を見て固まっているのに気付き、ああ…と声を漏らした。

「携帯は持ち歩いてこそ意味を為すんですよ?」
「す、すいません。俺、いっぱいいっぱいで…」
「いえ、余裕がないのは俺も一緒でしたから。結局最後は学園長の力を借りて貴方の居場所をつきとめました」

 気恥ずかしそうに笑う凪さんは、そう言ってベッドに座る俺の前に膝を折ると、今度は少しだけ拗ねた様な顔をする。

「まあ、まさか尚親にあんな縋り付いて泣いているなんて思いませんでしたけどね」
「うっ…」
「俺が不安にさせたのが悪いですが、やはり他の男に頼るのは面白くありません」

 え?と間抜けな声を出す俺の手を恭しくとると、凪さんはそこに自らの唇を寄せた。ブワァァと自分の顔が赤くなるのを感じる。そして少し意地の悪い笑みを浮かべ、彼は俺の指先に額を押し付けながら言う。


「嫉妬して、みっともなく怒るのは宗介くんだけではありませんよ」


 アイツの部屋の電球、替えないと…そう言って凪さんは意味が分からないことを呟いた。しかしリビングで会った尚親先輩は、何故か左頬を腫らし、何やらご立腹だ。今にも凪さんに噛み付きそうな雰囲気だったが、俺はそれで悟った。
 淡泊に見えて、意外と彼は独占欲が強い。また一つ、彼を知れた。

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