親衛隊隊長を代行します | ナノ
17


 こうして、俺と弥一と悠生を取り巻いた、この先二度とないであろう奇妙な物語は終わりを告げた。本当に奇妙で、そう、最早奇跡に近い今回の出来事を、俺は一生涯忘れることはないだろう。
 弥一が漸く泣き止み、俺達の間を温かな空気が流れた。それを見計らった俺は、そっと二人から身体を離す。そんな俺を、二人は不思議そうな顔で見つめる。


「さて……帰るか」
「――!」


 俺の目的は終わった。此処に来て、もう一度悠生に逢えた。これ以上、此処に部外者の俺が留まれば、今度こそ岩槻達が迷惑を被る。それは避けないと。

「そ、そんな……て言うか、お前はそれでいい訳!?」
「……」

 弥一も俺の心情を理解してか、俺以上に必死な顔している。勿論本心なんかじゃねぇよ。でも、これ以上迷惑かける訳にもいかない。チラリと、悠生の顔を窺う。悠生は、何か訴えかける様な目で俺を見ていた。そんな悠生を見て、胸がチクリと痛んだ。何だよ、そんな顔するなって。俺、まだお前に言わなきゃいけないことあるんだ。

「綾太……」
「ゆ、悠生っ、あのさ」
「――悪ぃけど、お前まだ帰れないぞ?」
「え?」

 俺の声と重なって岩槻が口にした言葉に、俺と悠生と弥一の間抜けな声が見事に重なった。

「アンタ、自分が侵入者だってこと忘れてない?そんな人物をやすやすと帰す訳ないじゃん」
「え?いや、だってさっき、岩槻が風紀の案件でって……」
「おう。だから、風紀の案件として、風紀室で詳しく話聞かせてもらう」

 世の中、そんな甘くねぇよ。
 そう言ってまた笑う岩槻は、ホントいい性格してると思う。思わず俺も乾いた笑いを浮かべた。そうだよな。マジで甘くねぇよなそんなに。

「まあ早く帰りてぇだろうし、さっさと行くぞ」
「おう……」
「綾太!」

 屋上を出て行こうとする岩槻に着いて行くと、弥一が俺の背中に向かって叫んだ。俺はゆっくり振り返り、片手を上げる。

「後で連絡する。見送り、ちゃんと来いよ」

 だから、また後で。
 これで終わりじゃないと言う意味を込めて、俺は皆に手を振った。





「いつもこうなの……風紀って」
「何が?」
「どんだけ細かい内容提出するわけその報告書」
「そりゃ学園中を騒がした侵入者様の事件だからな。あんま学園側から突っ込まれないような報告書にしなきゃ二度手間になる」

 何だか少し嫌味に聞こえるが、俺が当事者だから何も言えない。寧ろ俺は感謝しなきゃいけない側だからな。とは言え全身を襲う疲労感に、思わず顔を顰める。

「不満そうだな」
「そりゃこんな真っ暗になるまで掛かるとは思わなかったんだよ」

 空を見上げると、此処に来た時には真上にあった太陽が、今は姿を隠している。代わりにもうお月さんが出てるよ。母さん、怒るかな。連絡しとかないと。

「裏門に車を用意してある」
「え?」
「三鷹が用意したみたいだぜ」

 行きまで送ってもらったのに、帰りまで……。決して近い距離じゃない。それなのに、何から何まで弥一には世話になりっぱなしだ。後でちゃんとお礼言わないとな。

「岩槻も、今日はありがとう」
「なに。体育祭での賭けで勝ったのはお前だ。約束を破る訳にはいかねぇだろ」

 それでも、感謝してるよ。弥一に、お前に、樹に。お前らの助けがなければ、今日悠生には逢えていなかった。だから、心の底からお礼を言いたいんだ。

「ところでお前、マジでこのまま帰んの?」
「なんで?」
「てっきり俺は、会計と一緒にホテルにでも泊まって夜を過ごすのかと……」
「はあ!?」

 岩槻の言葉に、俺は思わず固まる。そしてジワジワと顔が熱くなるのを感じた。

「い、一緒に夜を過ごすって、俺はそんな……!」
「何だよ、付き合ってんだろ?」
「つき……あって、ない……」
「は?」

 小さく呟いた言葉は岩槻の耳には届かなかったらしい。今度は聞こえるよう大きな声で叫んだ。

「だから、付き合ってねぇよ!」
「……なんで?」

 岩槻が心底分かんねぇと言わんばかりの顔をする。俺は、ギュッと拳を握りしめ、そしてゆっくりと深呼吸して、そっと拳の力を抜いた。急に暗い顔をする俺を見て、岩槻が首を傾げる。

「好きだとは言った。悠生も、俺も好きだって言ってくれた」
「……幸せとも言ってただろ」
「うん。けど、それが本当だったのか、今でも実感が湧かない。だって、嘘みたいだろ。あんな格好良くて何でもできるハイスペックな男が、俺を好きだなんて……」

 勿論、悠生の言葉は信じたい。それでも、その後二人で話をする間もなく佐伯が飛び込んで来たから、そう言う話も曖昧に終わっちゃって。結局、俺は悠生に逢えて言葉も伝えられたのに、未来の話を一緒に話すことは出来なかったんだ。

「たぶん、優しいアイツの事だから、見送りには来てくれてる。でも、俺はそこでアイツの言葉を聞くのが怖い。そのまま何もなかったかのように接して来たら、どうしようとか、そんな事ばっか考えちまう」

 ホント駄目だよな俺。これじゃあ悠生を信じていないも同然だ。俺は、アイツの言葉を信じるのが怖いんだ。自分が傷つくのを恐れてる。そんな好きなヤツの言葉も信じきれない自分が本当に嫌になる。
 というか、弱い自分の心中を岩槻にぶつけてどうすんだ。岩槻も困ってんじゃん。ガリガリと頭を掻く岩槻は、少し眉間に皺をよせていた。その様は、言葉を探している様にも見えた。


「――あー、その、難しいことは分かんねぇけど」


 そこまで言った岩槻の言葉が、携帯の着信音で途切れる。どうやらメールの様で、岩槻は徐に携帯を眺める。そしてメールを読み終わったであろう岩槻が、フッと口元を緩ませた。

「悪い。俺戻るわ」
「え?」
「そこの角曲がれば裏門だ。分かるだろ?」

 迷うような場所でもない。俺が小さく首を縦に振れば、岩槻が月明かりの下、また綺麗に笑う。この男もまた、男女ともに好かれそうな顔をしてる。

「大丈夫だと思うけどな」
「え?なにが?」

 そんな事を呆然と思っていると、岩槻は俺に背を向け、今来た道を戻ろうとする。その背中に、慌てて声を掛けた。

「お、おい岩槻」
「俺が見て来たお前らは――」
「え……?」

 そのまま振り返らずに、岩槻は言った。


「いつだって互いを想い合ってる。そう、見えたけどな」
「――!」
「じゃあな香坂。また」


 そう言って歩いて行ってしまった岩槻の背を、今度は静かに見送り、俺はまた歩みを進める。
 想い合っているように見えたと、岩槻は言う。本当に?姿形が違う今の俺でも?分からない。そう、だから自分で確かめるしかない。だから、ちゃんと悠生と話さないと。
 そして角を曲がり、見えた裏門。そこで見た光景に、俺は思わず目を見開く。


「――綾太」
「悠生……」


 裏門に止めてある車、そのすぐ傍に、悠生は一人で立っていた。

「あ、れ?弥一は?」
「居ない。俺一人だけ」

 思わず声が漏れる。なんで悠生だけ?

「俺が、皆に頼んだんだ。最後、どうしても綾太と話したいって」
「――!」

 『最後』っと言う言葉に、俺の身体は跳ね上がる。胸が痛い。怖い。

「たぶん、岩槻のやつにも、三鷹くんから連絡が行ったんだと思う」
「あ、ああ……」

 さっき岩槻がメールを見たのは、もしかしたら弥一からなのか。俺と悠生を二人にする為に。

「ごめん。あんま時間、ないんだよね?」
「え、あ、うん……」
「そっか。それじゃあ、取り敢えずまずこれを……あれ、どこだ?」

 悠生がポケットを漁っている姿を、どこか呆然と見る俺は、本当にこれで終わりなのか?と自分自身に問い掛けていた。最後って、どう言う意味だろう。やっぱ、もうこの先会わない気でいるのかな。俺の事好きって言ったのは、やっぱ勘違い?俺の思い込み?
 ――これで、もうお前と話せないのか?


「あった……綾太、これ受け取って……綾太?」
「え?」
「なんで、泣いてるの?」


 目を丸くして俺の顔を覗き込む悠生は、そう言って俺の目元を軽く擦る。俺は慌てて自分の顔に手をやる。すると昼間あれだけ泣いたにも関わらず、また大粒の涙が出ているではないか。

「ちがっ、悪ぃ……こんな、つもりじゃ……」
「どうしたの?ああ、駄目だって。擦らないで」

 乱暴に目を擦る俺の腕を、悠生がやんわりと掴む。そして俺を落ち着かせようとしてか、俺をギュッと抱きしめてくる。温かい悠生の胸の中。俺の涙腺壊れちゃったのかな。どんどん出てくるわ。

「綾太、どーしたの?泣かないで?」
「ゆーせいッ」
「なに?」
「俺に……俺にっ、連絡先教えて……!」
「え?」
「頼むッ、お願いだから!」

 悠生の胸に顔を埋めながら、俺は叫んだ。苦しい、痛い。けど、俺はやっぱ諦めたくない。此処まで来て、夢で終わらしたくない。だから、俺はこの先もお前と一緒に居たい。
 しかし一向にこない悠生からの返事に、俺は恐怖のあまり顔を上げられなかった。もしかしたら凄く迷惑な顔してるかも。そう思ったら、中々顔を上げられない。嗚咽まじりに泣き喚く俺は、さぞ哀れだろう。どんどん嫌な考えが巡って身体が震え出した瞬間、俺の頬を悠生が両手で包み込み、顔を上に上げさせた。揺らいだ視界一杯に悠生の顔が映る。しかもその顔は少し不満げだ。


「ごめん……ッ、急にこんな事言われても、迷惑、だよな……」
「あのさ綾太」
「え……?」


 俺の名前を呼んだ悠生の声が、若干拗ねた様にも感じられ、俺は内心首を傾げる。

「俺の連絡先を聞いてくれるのは嬉しいけど、どうせなら笑顔で聞いて欲しいな」
「え?」
「て言うか、絶対勘違いしてるよね……」

 そう言って困ったように笑った悠生は、先程俺に手渡そうとしていた紙を、再度俺に手渡してきた。

「これ、俺の連絡先と、あと住所」
「あ、え?」
「車の中ですぐ登録してね。あ、それと今週の土曜日、朝九時に綾太の家行くから、仕度して待っててね」
「はああ!?」

 家の住所は三鷹くんから聞いたから、とサラリと口にした悠生に、俺は驚きのあまり、開いた口が塞がらなかった。お蔭で涙が止まったわ。
 そんな間抜け面な俺を見て、悠生が綺麗に笑った。

「なんで、って顔してるね?」
「そ、そりゃお前……」
「好きって、言ったでしょ?」
「――ッ!」
「それに、諦めないとも言った」

 思わず後退る俺に、構わず詰め寄る悠生は、俺の片腕を優しく掴み、そしてまた自分の胸に引き寄せた。

「信じられないなら、信じてもらえるまで何度でも言う。何度でも逢いに行くよ」
「悠生……」
「綾太が好きだよ」

 だから――。
 そこで言葉を切った悠生は、逃がさないと言わんばかりに強く俺を抱き締めた。


「俺と、付き合って下さい」
「……ッ」
「……良いって言うまで、離さないから」


 何だそれ。それじゃあ俺帰れないじゃん。
 そう思いながらも、俺の口元は緩々と上に上がっていく。ついでに止まった涙がまた俺の視界を揺るがす。声が震えそうだ。でも、頑張れ俺。伝えなきゃ、自分の抱える思いを。


「悠生」
「ん?」
「俺も、好きだよ。お前の事」
「……!」
「でも、お前の言葉を信じきれない自分もいる。怖いんだ。自分に自信がなさすぎて。だから、証明してくれ……」
「証明?」
「この先たくさん、俺のこと愛してくれ。名前、たくさん呼んでくれ」
「綾太……っ」
「そしたらその分、俺もお前に返すから。たくさん、もういらないって言われるぐらいまで」


 グッと涙を堪えて悠生を見上げると、悠生は頬を少し赤く染めて俺を見下ろしていた。

「綾太って、自分の考え抱え込むかと思いきや、ぶちまける時は結構恥ずかしい言葉スラスラ吐くよね」
「え?」
「あーもう、ヤバい……このまま帰すの、マジで拷問に近い……」

 そう言って俺の肩口に顔を埋めた悠生は、そのまま顔を上げると俺の耳元に唇を寄せた。

「土曜日、楽しみにしてて。折角のデートなんだから」
「ッ、デート?」
「そしたら、たくさん笑お?手繋いで、一緒に歩いて、色々見て回ろう。そんで、夜になったらたくさんキスしよ?」
「キ……っ」
「次の日休みだもん。俺、綾太にもっと触りたい」

 今だって、その衝動を抑えてるんだよ?
 そう言った悠生の目は、どこか熱っぽさを孕んでいた。その目を見て、思わずゾクリと身体を震わす。恐ろしさからではない。自分にそう言う感情を抱いてくれている悠生に対して、俺は今確かに嬉しいと感じた。俺でも、悠生にそんな顔をさせられるんだって、思えるから。


「悠生」
「なに?綾――」


 チュッ、と小さく音を立て、俺は悠生の唇にキスをした。まさか俺が唇にしてくると思わなかったんだろう。悠生は顔を赤くさせ、口をハクハクさせていた。俺は俺で自分の行為に段々と恥ずかしさが湧きだしてきて、急いで車のドアに手を掛けた。

「ちょっ、綾太!」
「待ってるから。土曜日」
「――!」
「お休み、悠生!」

 勢いのまま車に乗り込み、俺は扉を閉めた。胸がドキドキしてる。て言うか俺達、車の傍で何やってんだ。運転手さんが温かい目で見てるじゃねぇか。思わず目頭を押さえる。すると今正に出発しそうな車の窓を悠生がコンコンと叩く。
 何か忘れたことでもあったかなと窓を開け、扉の傍に近寄った俺は、伸びて来た腕に後頭部を掴まれ、グッと引き寄せられた。そしてあまりの早さに踏ん張りも利かなかった俺は、窓際まで顔を寄せられ、噛み付く勢いで悠生に口を塞がれた。


「んッ……」
「……またね」


 直ぐに離された唇。呟くように囁かれた言葉を聞いた瞬間、掴まれた頭も解放され、俺は座席に尻もちをついた。息を荒くさせながら窓の外を見やると、悠生が運転手さんに「出して下さい」と笑顔で言っていた。その言葉通り車は発進し、俺は大慌てで窓から顔を出した。


「おいコラ悠生――!!」
「綾太ぁ!また土曜日ねー!」


 クソッ!今すぐに戻してくれ!と運転手に言いたいところだけど、本当に時間が遅いので俺はグッと堪えて座席にドカリと座った。あの「やられっぱなしは嫌なんだよね」みたいなアイツの面がムカつく。
 そう思うのに。


「なんで笑ってんだよ、俺」


 笑顔になっている自分が可笑しくて、俺は車内で一人声を上げて笑った。


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