親衛隊隊長を代行します | ナノ
7


――ピンポーン

 突然鳴り響いた呼び鈴の音で、俺の意識は引き戻された。
 重怠い身体をゆっくり起こし窓の外を見ると、いつの間にか空がオレンジに染まっていた。またやってしまった。泣き疲れて、最近はこうして眠ってしまうことが多くなってしまったから、また学校へ行けなかった。

(きっと、心配してる……よね)

 フと浮かんだ自身の親衛隊隊長の顔。大好きで、ずっと傍に居たいと思っていた。それなのに、今はその顔を見るだけで苦しいなんて。ホント、笑うしかないよな。

(ああ、そうだ。誰か、来たのか)

 そんな事を思っていたら、またもや鳴り響く呼び鈴。この様子じゃ、俺が出るまでずっと鳴らし続けてそうだな。ソファーから起ち上がり、腫れあがった目を擦りながら扉に向かう。また、呼び鈴が鳴る。
 そして扉の前に立ち、鍵を開けようと手を伸ばした。


「――悠生」
「……!」


 ビクリと、身体が震えた。俺は伸ばした手を引っ込め、扉から後退る。俺が扉の傍に居るのが分かっているのか、外の声の主はもう一度俺の名前を呼んだ。

「話があるんだ。此処開けてくれよ」
「俺にはない……悪いけど、帰って」

 リョータだ。最近よく来るけど、俺としては今は会いたくない。彼の明るさは、今の俺には苦痛でしかない。そして何より、綾太と同じ名前だから……呼ぶのが、辛いんだ。だからいつも扉を開けず、帰ってもらうんだけど、今日は様子が違う。
 いつもは扉をドンドン叩いて俺を呼ぶのに。嫌な予感からか、冷や汗が滲む。

「なあ、悠生」
「なに……」

 しかし尚も扉越しに話しかけてくるリョータは、次の瞬間、信じられない言葉を口にした。


「香坂綾太の話、聞きたくない?」
「――!!」


 反射的だった。頭では分かっているはずなのに、身体が勝手に扉を開けてしまった。呆然とする俺を余所に、俺の目の前に立つリョータは薄ら笑みを浮かべていた。ゾクリと嫌な感覚が、背筋を駆け抜ける。

「ありがとな」

 サッと俺の横を抜け部屋に上がるリョータの背を、俺は慌てて追う。

「ちょ、勝手に上がらないでくれる」
「悠生が入れたんだろ?」
「今のは、その……」
「アハッ。そんなに聞きたいんだな。香坂綾太の話」
「――ッ」

 カッと頭に血が昇り、俺はリョータの胸倉を掴むとそのままソファーへ押し倒した。息が詰まったのかリョータが苦し気に咳き込むが、それでも俺は怒りが収まらない。俺は、こんなに怒りっぽかったかな。

「その名前を呼ぶなっ」
「ッ、ごほ……何で?聞きたいんだろ?俺、知ってるよ。香坂綾太を」
「気安く呼ぶな!」

 それでも尚俺を刺激するかのように綾太の名前を呼ぶリョータに、俺は不気味ささえ感じていた。何かが可笑しい。どうして、何でそんなに笑っているんだ。こんなにされても、どうして笑っていられる?

「そう、知ってる。香坂綾太をもう一度此処に呼び戻す方法を」
「な、に言って……」

 何を言っているんだ、こいつ。呼び戻す方法?綾太を?そんな方法、ある筈がない。だって、綾太は死んでいるんだ。死んだ人間を此処に戻すなんて、そんな事出来る筈がない。それに、さっきから疑問だった。

「なんで、綾太を知ってるんだ……」

 綾太の存在は、三鷹くんと俺しか知らない筈だ。それなのに、どうして。
 けどリョータは俺の質問には答えず、ただ笑みを深めるだけ、そして胸倉を掴む俺の手に、スルッと自分の白い手を重ねてきた。ビクッと肩が跳ねるも、俺はその手を離すことが出来なかった。リョータの目が、この手を離すなと、そう言っている様な気がしたから。

「いい子だな、悠生は!自分の立場がよく分かってる!」
「っ……」

 明るく言ったリョータは、そのまま俺を自分の方へ引き寄せた。押し倒したリョータの上に被さる様に、俺は倒れ込む。間近にリョータの顔があり、俺は慌てて身体を起こそうとするも、それより早くリョータが俺の首に腕を巻き付けて来た。

「リョータ、何して……!」
「ダメだろ?俺から離れたら、香坂綾太の話、聞けないよ?」
「――ッ」

 やっぱり、そうだと思った。さっきの目、そう言う意味だろうと思ってた。だから手を離せなかった。その話が本当か嘘かも分からないのに、今の俺は、まともな判断も出来ないくらいあの子を求めている。もう一度、会いたい。その強い想いだけが、俺を突き動かすんだ。
 俺は、震える唇で懸命に言葉を紡いだ。

「ほん、とうに……元に、戻せるの?」
「ああ。本当だ」
「本当に、俺の所に、戻ってきてくれるの?」
「ああ……」

 やめろ、聞くな。聞くだけ無駄なんだ。俺が一番わかってるはずだ。もう、どうしようもないって。なのに、何でだよ。涙が止まらない。気持ちが止められない。

「俺。会いたい。どうしても会って、言いたいことがあるんだ……」

 好きだって、俺も好きだよって言いたいんだ。たったそれだけの言葉を、俺は綾太自身に言ってあげられなかったから。静かに涙を流す俺の頬を、リョータが静かに撫でた。「可哀想に」と、そう言葉を漏らして。


「悠生。俺と取引しよう」
「取、引……」
「うん。簡単な取引だ」


 それを守れたら、教えてやるよ。香坂綾太を戻す方法を。
 そう言って笑うリョータは、やはりいつもと違う。その笑い方はまるで、悪魔のようだった。そう、まさにこれは悪魔の囁き。だから信じちゃいけない。嘘だって、分かっている筈なのに……。


「分かった」


 俺は、その囁きに耳を傾けてしまうんだ。嘘に縋る事でしか、もう自分を保てない。例え、それが悪魔との契約だと分かっていてもだ。
 俺の返事に嬉しそうに笑うリョータ。俺はその姿を遮る様に静かに目を閉じた。そしてその時、一瞬浮かんできたのは、自身の身を案じる親衛隊隊長の姿だった。


(ごめん、三鷹くん……)


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