5
『バイバイ、悠生』
あの時、三鷹くんの声に重なって、誰かがそう呟いた声が聞こえた気がするんだ。
気のせいだって思ってた。俺の聞き間違いだって。けど、違うんだ。あの時聞いたのは、間違いなんかじゃない。
「……っ」
あれは、君の声だったんだよね、綾太。
*
朝目が覚めると、一番に襲ってくるのは倦怠感。ここ最近はずっとこうだ。寝ても覚めても、俺の中からどんより濁ったこの蟠りが無くなる事はない。お蔭で食欲もなく、体重は減るばかりだ。それでも俺は生きている。息をして、動いて、そして眠ってまた起きて。そんな当然のことを繰り返し行って、俺は生きているんだ。
ベッドから何とか這い出した俺は、部屋を出てリビングの机の上の食事に目をやる。全く食べずに生徒会室に閉じ籠って以来、親衛隊の子が毎日ご飯を部屋の取っ手に掛けてくれるようになった。本当に皆に心配を掛けたんだと反省する気持ちもあるが、それとは逆に遣る瀬無い気持ちにもなる。だって、どんなに俺が食べずにいたって、結局俺の身体は止まることなく動き続ける。死ぬことは出来ない。それはつまり、彼の後を追うことは出来ないと言う事だ。
「……ッう」
食べないと。その思いから机の上のパンを齧り口に含んだが、次の瞬間には猛烈な吐き気に襲われ急いでトイレに駆け込んだ。せり上がって来る胃液を便器に吐き出す。最近はいつもこれだ。食べようとしても、中々身体が受け付けてくれない。だから体重が減る一方なんだろう。生理的な涙なのか、それとも悔しさ虚しさからくる涙なのか、視界がぼやけて見えない。
「っ、くそ……」
本当は分かってるんだ。死のうと思えば、きっといつでも死ねる。彼の後を追うことは、俺が息を止めるだけでそう難しいことじゃない。今すぐにでも、死のうと思えば死ねる。でも、そんな事出来ない。出来ないんだよ。
「ハハ……ッ」
実は、一度刃を手に取って肌に当てたんだ。けど、それ以上は引けなかった。会いたい、会って話してみたい。今度はちゃんと、その姿のままの君に会いたかった。抱き締めたかった。だけど、フと思ったんだ。死んだら、どうなるんだろうって。君に会える保障もない、この思いを抱えたまま死ねるとも限らない。もしかしたら、この思い全部忘れて無くなってしまうかもしれない。そう思ったら、怖くて死ねなかった。先の見えない結末に、俺は負けてしまったんだ。
『大好きだ、悠生』
ねえ。あの時、どうして君は笑ってられたの?怖くなかったの?
いや、そんな筈ないよね。きっと怖かった筈だ。それなのに、こんな怖い思いをしながらも、最後は笑って消えていった君は、最後何を考えていたのかな。
「っは、ごほッ」
綾太、綾太。
俺は何も出来なかった。俺に沢山の物をくれた君に、俺は何も返せなかった。返せないまま、全てが終わってしまった。
「綾、太っ」
名前なら、いくらでも呼んであげる。もういいって、困ったように笑われても、ずっと呼び続ける。だから、だからお願い――。
「俺を、一人にしないで……」
そして今日も俺は、姿も分からない少年の存在に縋るように泣く。
届かないと分かりながらも、その名前を呼んで。
*
「悠生様は来てないの……?」
「はい……どうやら部屋から出ていないようです」
木村の言葉に、僕は「そっか」と小さな声しか返せず、そのままその場を後にした。
やっぱり、今日は学校にいらしていないんだ。昨日のボロボロの悠生様の姿を思い出し、また涙が出そうになるのを懸命に堪える。
「っ……」
「おいおい。そんな顔で歩くなって言っただろ」
「――!」
ポンッと頭の上に手を置かれ、僕は俯かせていた顔を上げた。
「岩槻、様……」
「お前ってホント、泣きそうな面ばっかだな」
そう言って笑う岩槻様は、僕の手を引いて歩き出した。
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bkm