親衛隊隊長を代行します | ナノ
3

「――さあ、上がってよ!」


 そう言って僕の手を引き、笑顔で室内へ招く悠生様に、僕は恐る恐る声を掛けた。

「あ、あの、悠生さ……」
「三鷹くんがこの部屋に来たのは久し振りだよねぇ。あの日以来かな」

 だがその声は遮られ、悠生様の言葉が被せられる。いつもと調子が変わらない声、けど、僕の手を引いている悠生様の顔は今僕からは見えない。それが余計に不安を煽る。だって、僕はこの部屋に入ってからずっと嫌な予感しかしないんだ。

「あ、あの日って……」
「ハハッ。嫌だなぁ、忘れちゃった?」

 悠生様が愉快そうに笑っている。
 分かっています、忘れてなんていない。それでも頭の中で警鐘が鳴っている限り、僕は問わなければならない。貴方の言葉を、本心を聞きたいから。危険と分かっていても、返ってくる言葉が分かっていたとしても。


「俺が三鷹くんに告白した日。んで、この寝室に入るのは俺と三鷹くんが最後にエッチした、『あの時』以来だね」


 僕の手を引いていた悠生様が、その言葉と共に漸く足を止めた場所は、あの日、悠生様に抱かれた寝室だった。あの時に、綾太が僕の中に入ったんだ。暗い部屋の中にポツンと置かれたダブルベッドを目の前に、僕は息を呑む。そして反射的に悠生様に掴まれている手を外そうとした。だが、それよりも早く、悠生様が僕をベッドの方に引っ張っていく。

「悠生様ッ!」

 思わずその名を叫ぶが、反応はなく、僕はそのままベッドに押し倒された。すぐに起きようとするも、僕に覆いかぶさって来た悠生様に両手を掴まれ、身動きが取れなくなった。そしてそこで視界に映った悠生様の表情に、僕は言葉を失くした。


「ね、三鷹くん。俺ともう一度エッチしよ?『あの時』みたいにさ……」


 顔には確かに笑みを浮かべている。けど、そう呟く悠生様の目は、虚ろだった。僕を見ている筈なのに、その目に僕は全く映っていない。まるで光を感じさせない、ゾッとする目をしていた。

「『あの時』は、どんな感じだったっけ?ああ、そうそう。確かお仕置きしてたんだよねぇ」
「い、いやだっ」

 頻りに『あの時』と言う言葉を繰り返す悠生様。それで漸く分かった。悠生様のやろうとしている事が。けどそれはあまりにも僕にとっては残酷な事だ。急に怖くなり、上に被さる悠生様を退かそうと暴れる。けど僕の力じゃとてもじゃないけど悠生様に敵う筈もなく、悠生様はそんな僕を静かに見下ろしていた。

「どーしたの?そんなに震えちゃって」
「や、めて下さい……お願いします……」

 相手は悠生様なのに、まるで別の人が僕の目の前にいるような感じがして震えが止まらない。でも止めて欲しかった。これは、僕にとっては勿論、悠生様にとっても残酷な結果にしかならない。

「なんで……?」
「お願いですっ、悠生様!」
「っ、その名前で呼ばないでよ……」
「悠生様!!」
「――そんな風に俺を呼ぶな!!」

 僕がもう一度悠生様の名前を叫んだ瞬間、悠生様が怒鳴り声を上げた。初めて向けられる激しい怒り。僕が佐伯亮太に制裁を行った時に怒っていた雰囲気とはまるで違う。自分に向けられたその感情に、僕はとうとう溢れ出る恐怖心が抑え切れず、同時に涙が零れた。
 そんな僕を見た悠生様は、ハッと我に返ったのか、怯えて涙を流す僕の上から退いた。

「あっ、ごめ……三鷹、くん……違う、違うんだ」

 ボロボロと涙を流す僕を見て、今度は悠生様が怯えた様に頭を抱えて首を振る。顔を俯かせ、歯を食いしばる悠生様は、今にも泣き出しそうな声で呟いた。

「もう、分からないよ」
「え……」
「ねえ、どうしたらいい?俺、もう、どうにかなりそうなんだ」

 そう言って笑う悠生様の顔は、眉は下がり、目には薄ら涙を浮かべ、口元だけが辛うじて上がっているだけだった。そんな顔で笑う悠生様が、あまりに小さく見え、僕は無意識のうちに手を伸ばす。その手を、悠生様が掴んで引き寄せた。そのままきつく抱き締められ、僕の肩口に悠生様が顔を埋める。


「お願い……呼んでよ。俺を、"いつも"みたいに……」


 綾太。僕は、どうすればいいの?
 どうすれば、この人の幸せを見つけてあげられる?


「三鷹くん……お願い……」


 僕に縋るこの人を、どうしたら悲しみから救ってあげられる?
 心の中で、居る筈のない人に問い続ける。でも、そんなの、聞くまでもない。答えは分かり切っているんだ。悠生様を救う方法なんて一つしかないし、それがどんなに滑稽な事かは、たぶん悠生様も理解している。理解しているけど、それに縋る事でしかもう自分を保てないんだ。
 一時的な安らぎでも、それでもいいなら、僕もそれに付き合おう。だって僕は、悠生様の親衛隊隊長なんだから。悠生様が僕に助けを求めているなら、それに応えるまでだ。例え、方法が間違っていても、だ。


「――藤島くん」


 こうする事でしか、応えることが出来ない僕を、お前は笑うかな。でも、ほら。見てよ。こうしてお前がいつも呼んでいたみたいに、僕もそっくりに呼べば、こんなにも悠生様が嬉しそうに笑って下さる。
 だから、これでいい。


「三鷹くん」


 ゆっくり近付く唇も、避けることはせず目を瞑って受け入れよう。だから、どうか笑ってください。でないと、貴方が笑顔で生きていくのを夢見て還って行ったアイツがきっと悲しむ。
 僕は自分から流れ出る涙を、見て見ぬふりをした。どんなに心が泣いても、僕は悠生様を護りたい。だってそれが、綾太の想いを受け継ぐことにもなるから。
 だから、僕は何度だって応えよう。二人の為にも。

 そう、決めたのに――。















「――綾太」


 どんなに自分を偽った所で、もう遅いのだと気付かされる。
 近付いた唇は重なることなく、消え入りそうな声で想い人の名を呟く悠生様が、目の前で泣いていた。悠生様が泣いているのは、初めて見た。シーツが、悠生様の涙で濡れていくのを見て、僕もただその場で一緒に涙を流す。
 それしか、出来なかった。

 もう遅い。自分を偽るのも、彼を救うことも、もう何もかも遅すぎた。
 ――僕には無理みたいだ、綾太。


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