親衛隊隊長を代行します | ナノ
9

(バイバイ、弥一)


 そう言って、穏やかな表情で手を振る少年を、弥一は知っている。
 そして、手を伸ばしても、どんなに声を掛けても、もうその少年には届かないと言う事も。
 それでも、諦められず手を伸ばすのだ。
 待って、行かないで!


 ――綾太ッ!!





 勢いよく飛び起きた僕は、目の前に広がる光景に呆然とする。確かに自分は屋上に居た筈。それなのに、今自分が居る場所は、間違いなく保健室だ。

「何で此処に……」
「良かった、起きた」

 その声の主を見て、僕は全てを悟った。
 ああ、この人が此処まで運んでくれたんだって。

「――悠生様」
「目を閉じたまま起きないから心配したよ。待ってても全然起きないしさ。もう体育祭終わっちゃったよ」

 三鷹くんに見てもらいたかったな、リレー。
 そう言って残念そうに笑う悠生様に、僕はかける言葉が見つからず、思わず顔を俯かせた。

「うそうそ、冗談だよ。はい、お水」

 沈んだ僕を見て、慌てて悠生様がフォローしてくれるが、僕は違うんですと静かに首を振る。そうじゃない、そうじゃなくて。

「何が違うの?」
「……自分の身体を、自分で動かせるのが、こんなに辛いことだなんて……っ」
「え?」

 ボロボロと涙を零し泣き出す僕を見て、悠生様が慌ててハンドタオルを差し出してきた。でも僕はそれを受け取らず、膝を抱えて毛布に顔を押し付けた。

「もう、声もしない。存在も感じないっ」
「……」
「どこにも、いないんだッ」

 自分の身体が自分で動かせる。そして、もうその人の存在を感じられない。
 それが意味することをこんなにもこの身に思い知らされ、僕は歯を食いしばる。

「どうすれば、良かったの!?」

 どうすれば、お前が消えずに済んだ?あんなに時間があったのに、僕は消えると言うその意味をちゃんと理解していなかった。もっとその意味を考えて行動しておけば、アイツが傷つくことも無かった筈だ。


「そしたら最後、あんな無理して笑うことなかったのにッ」


 きっと僕に心配や後悔をさせないようにとか、そう言う考えだっただろう。馬鹿なアイツが考えそうなことだ。最後の最後まで人のことばっか。それなのにあんな顔で笑って……お蔭で僕は後悔の思いで胸が一杯だ馬鹿野郎ッ。

「三鷹、くん?大丈夫?」

 一人取り乱す僕を見て、悠生様は僕の様子を窺うように声を掛けて来た。

「悠生、様……」
「な、何だか懐かしいね、その呼び方」

 この間もそう呼んでたっけ。
 ね?と僕に同意を求めてくる悠生様に、僕は小さく首を縦に振る。

「はい。僕は、貴方をそう呼びますから……」
「……」
「一つ、聞いていいですか?」

 何?と返ってきた言葉は震えていた。
 悠生様は聡いお方だ。だからもう、何でそんなに自分が震えているのか分かっているかもしれない。そして今から僕が言おうとしていることは、きっと悠生様にとってはとても酷な事だ。でも、このままではいけない。このまま何もなかったかのように生きてなんて行けない。僕も悠生様も、そこまで強くないよ。だから、ごめん綾太。


「僕の、何処が好きですか?」


 僕の真剣さに釣られ、悠生様まで顔が真顔になる。そしていつも綺麗なその目が不安で揺れた様に感じた。でもそれもほんの一瞬のことで、すぐにその真顔を崩し、悠生様は困ったように笑った。


「馬鹿みたいに、真っ直ぐなところかなぁ」
「……はい」
「それに、凄く言葉に力があるんだ。いつもそれに背中を押される。だから一緒に居て楽しいし、凄く心が温かくなる」
「……」
「見てて飽きないんだ。だから、かな?こんなに惹かれてやまないのは」
「……そうですか」


 分かっていた。けど、やっぱり本人の口から聞くと更に虚しい気持ちになる。この人の心に、自分は全く存在していないのだから。
 でも、今の僕にはその答えだけで十分だ。嘆いている暇はない。


「何で、そんな事聞くの?」


 悠生様が問い掛けてくる。笑ってはいるが、その目は確かに不安げに揺れていた。
 僕は、今一度その不安に揺れる瞳をジッと見つめ返し、そして静かに話し出す。


「突拍子もない話をしてもいいですか?」
「え?」
「僕と、後もう一人」


 これは、貴方が知らなくてはいけない事だから。
 だから、僕が辛くても、貴方が辛くても、話します。


「馬鹿みたいに真っ直ぐな少年」


 僕が知る、全てのことを。


「"香坂綾太"との、不思議な共同生活の話を――」


 貴方に伝えます。



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