親衛隊隊長を代行します | ナノ
8

「今保健室に運んであげるからっ」

 具合が悪くて倒れていると思ったのだろう、藤島くんが蒼い顔して俺の身体を持ち上げようとする。けど俺はそれを静かに制した。心配してくれている藤島くんには悪いけど、俺は此処に居たい。

「ありがと……でも、今はこのままで」
「何言ってんの。身体に力も入ってないじゃん。それに泣いてるし。いいからこのまま俺に任せて」
「頼む、今だけでいいんだ」
「今だけって……」
「その後は、この身体、保健室に運んでやってよ」
「え?」

 意味が分からず難しそうな顔をする藤島くんに、俺は力なく笑いかける。そんな俺を心配そうに見下ろす藤島くんは、自分のジャージの袖で流れる俺の涙を拭いた。

「三鷹く――」
「ごめん。藤島くん、お願い、してもいいか?」

 ヤバい。意識が三鷹の身体から離れる感覚がする。実はもう口を動かすのもやっとなんだ。それでも、後少しだけだから。時間を下さい、意地悪な神様。

「なに?」
「抱き締めて、くんない?」
「……え?」
「っはは、一つ頼むよ」

 目に見えて狼狽える藤島くんに、思わず笑みが零れる。おいおい、お前はどこの純情少年だ。いつもいつも俺に抱き付いてきてたじゃないか。そんな感じで今抱き締めて欲しいんだ。でも俺から抱きしめて欲しいだなんて、いつもなら絶対言わないからな。そりゃ戸惑うわ。俺だって、こんな状況じゃなきゃ絶対言わない。今だから言うんだ。
 少し頬を赤くさせる藤島くんは、俺の意図が分からず難しい顔をしたままだったが、俺のお願いを聞いてくれた。ギュウッと力強く抱き締められ、藤島くんの存在をより近くに感じられた。ああ、温かいな。

「あの、三鷹くん?一体どう言う……」
「ホントはさ、俺から抱き付きに行きたかったんだけど」
「え?」
「もう、あんま身体、動かねぇんだ」

 だから最後、その前に――。

「それマズいよね!?やっぱ保健室にっ」
「なあ、藤島くん」
「な、なに」
「最後に、もう一つだけ、お願い、聞いてくんねぇかな?」

 慌てる藤島くんを落ち着かせるように、残る力で必死にしがみ付く。

「三鷹く……」
「一度だけ、一度だけでいいんだ」

 最後だからって、図々しい。それぐらいの、勝手なお願い。困惑する藤島くんそっちのけで俺は彼にお願いするだけ。でもこれは、俺が叶えたくても叶えられないお願いだから。
 だから、一度だけでいい。


「俺の名前、呼んで?」
「…………え?」


 三鷹の名前じゃない。他の誰でもない、俺の名前を。


「綾太って、呼んでくれよ」
「――」


 最早懇願に近い。必死に彼に抱き付いて、希う。藤島くんにしたらいい迷惑だろう。いきなり俺に『名前を呼んでほしい』だなんて。でも、誰だって願うことだと思う。好きな人に、自分の名前を呼んでほしいと思うのは。けど俺は、普通にしてたって到底藤島くんには呼んではもらえない。だから、こうして自分からお願いすることしかできない。それは酷くもどかしくて、悲しいことだけど、それでも願わずにはいられないんだ。それは、この時間があと少しで終わりだと知っているから。


「お願い。藤島くん」


 ――どうか、俺の名前を呼んで。

「……」

 俺の言葉をジッと押し黙って聞いていた藤島くん。そんな彼に、俺は諦めを抱いていた。突拍子もない意味不明なお願いを逃げずに聞いてくれただけでも感謝すべきだ。それに、最後に大好きな人に逢えただけでも幸せな事だ。これ以上、望むもんじゃない。だから仕方ない。そう思いたいのに。
 それでも、俺は――。

「――太」
「え?」

 微かに聞こえた呟きに、俺は目を瞠った。
 すぐには信じられず、もう一度聞きたいのに唇が震え言葉に出来ない。そんな俺に藤島くんはもう一度、今度は俺の耳にも届くように、耳元で口にしてくれた。


「綾太」


 俺の、俺の名前だ。
 今度は感動で身体が震えた。折角拭いてくれた涙さえ、また溢れ出し、藤島くんの服を濡らしていく。でも俺は離れられなかった。必死にしがみ付いて、震える声で言葉を紡ぐ。


「もっ、かい」
「綾太」
「ッ、う、もーいっかい」
「綾太」
「もっとっ」
「りょーた」


 一度だけでいいとか言ったくせに、何度も何度も呼んでもらった。どうしよう、凄く、凄く嬉しい。藤島くんが、俺を呼んでくれてる。夢じゃない。何度も俺を呼んでる。どうしよう、すげぇ幸せだ。
 本当は、見っとも無く泣き叫びたい気分だった。でも、それをしないのは、三鷹の時と同じ気持ちがあるから。だから、これ以上は泣かない。最後は笑顔で、別れを告げたいから。
 
「あのさ、今のは……」
「藤島くん」
「え、なに?」

 今にも崩れそうな表情を必死に保ち、俺は藤島くんの肩口に顔を埋めながら、言葉を一つ一つ大事に紡いでいった。俺の思いが届くと信じて。


「三鷹を、宜しく頼むよ」
「え?」
「こいつ、ホントに良いヤツで、ちょー優良物件。マジおすすめ。つかこれ以上とか、ないから」
「な、何言って……」
「だから、幸せにしてやって」
「三、鷹くん?」


 そんな二人を、俺は冷やかしながら上から見てるよ。ま、本当にそんな事が出来たらすげぇ幸せだけどね。そんなしょうもない事を考えながら、俺は笑った。

(……あー……顔、見てーな)

 身体を起こしたいと思って気付いた異変。思わず心の中で笑った。さっきまでの辛さが嘘の様に身体が軽いや。それを良しとして、俺は藤島くんの肩口から顔を上げ、その呆然とする顔を見た。おいおい、随分と間抜け面だな、男前が台無しだぞ。
 込み上げる愛しさからか、俺は端正な顔をソッと撫で、ゆっくりとその頬に唇を押し当てた。まさか俺がそんな事をするとは思わなかったのか、間抜け面から一変、その顔は赤く染まった。


「な、何してっ」
「――悠生」


 本当は、その異変が意味することは分かってる。だってもう、俺自身も感じているよ。
 これは間違いなく"終わり"だ。これで本当に終わり。一刻の猶予も残されていない。だって、こうして感じられるはずのお前の身体の温かさも、もう感じられないんだ。唇をその頬に押し当てた感覚も、もう俺には分からなかった。それはとても怖いことだ。
 でも、だからこそ最後はちゃんと言わないと。もう後悔は出来ないんだ。
 笑って、笑顔で伝えたい。今度は自分の口で、しっかりと。


「大好きだ、悠生」
「――!」
「俺に恋を教えてくれて、ありがとう」


 ニカッと、今自分に出来る最高の笑顔を浮かべ、俺は目を閉じた。その瞬間、訪れた暗闇が俺の意識を引っ張る。でも、もう不思議と恐怖が消えていた。三鷹と藤島くんのお蔭かな。二人に気持ちを伝えて、応えてもらって、だからこんな安らかな気持ちで目が閉じられるんだ。
 だから、もう還ろう。あの闇の中へ。


(バ イ バ イ)


 ――バイバイ、悠生。

 その単語がちゃんと言葉になって伝わったのか、最後まで見届ける事は出来なかった。
 そして俺がその閉じた目を開ける事は二度となかった。


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