親衛隊隊長を代行します | ナノ
7

(っ、は、はっ、ぅ……)
<綾太ッ!綾太、しっかりして!>

 三鷹の声も、どこか遠い。おまけに動悸が激しい。苦しくて、視界が眩む。

(み、たか……?)
<うん、うん。僕だよっ。此処に居るよ?>

 突然だよな、ホント。思わず樹を振り切って校舎に来てしまった。結局アイツにお礼、言えなかったな。残念だ。

<綾太っ、何処行くの?大丈夫?>

 たぶん、三鷹の声だけが最後の頼りだ。こいつの声だけは、最後まで聞いていたい。
 俺は三鷹の問いには答えず、フラフラした足取りで階段を上る。途中足がついて行かず転びもしたが、それでも上る足を止めない。そして漸く辿り着いた。俺はその扉をゆっくり押し開いた。

<綾、太?>

 目の前に広がる青空があまりに眩しくて、俺は目を覆いたくなる。でも、それじゃあ意味がない。俺は屋上の真ん中まで来ると、その場に寝転んだ。一面青空。今までこんなに青空をじっくり見たことはなかった。こんな綺麗なら、もっと、ちゃんと見ておけばよかったな。

<綾太ッ?>
「悪い三鷹。最後の最後、俺は此処で生きてたんだって思いたくてさ」

 風を、人の声を、綺麗な空を、全てを身体で感じられる此処に来たかった。

<さ、いご?綾太、何言って……>
「はは、お前も分かってるだろ?」
<っ、え?>
「――もう、砂の音がしない」

 俺の言葉に、三鷹が息を呑んだのが感じられた。

「まあもう少し時間はあるかと思ってたんだけどな」
<な、何諦めてんのさ!まだ分からないでしょ!?>
「……?」

 俺の言葉に三鷹が怒る。でも俺は何故三鷹が怒るのか分からなかった。俺は三鷹を宥める様に努めて明るく話し掛けた。

「おいおい。頼むから最後ぐらい怒らず笑顔で見送ってくれよ」
<ふざけてんのっ?>
「だ、だから、何でそんな怒って……」
<僕が、お前を笑顔で見送れるとか、本当に思ってる訳!?>

 今にも泣き出しそうな三鷹の声に、俺は言葉に詰まる。だって、そう思うだろ。漸く俺がお前の身体を抜ける。そうしたらお前の当初の願いが叶うことになるんだ。早くお前に身体を返せるんだぞ?
 それなのに、何でお前は泣きそうなんだよ。

<お願い、だから>
「三鷹……」
<僕の身体、好きに使っていいよッ。一緒に使えばいいから!>
「――」
<だからッ!>

 三鷹の心からの叫びが、俺の心に響く。三鷹の言わんとしてる事が分かり、俺は涙が零れそうになるのをグッと抑える。お前は本当に俺の予想の斜め上を行くな。て言うか、俺がお前を理解しきれていないのかな。だって、優しすぎるだろ。あんなに早く出て行けと言っていたのに、こんな最後の最後で、俺を引き止める様な言葉を掛けるなんてさ。菩薩か何かかお前は。

「三鷹」
<……え?>
「あんまさ、未練がましいこと言いたくなかったんだけど」

 零れそうな涙は、奥歯をグッと噛むことで抑える。お前に笑顔で見送ってもらうことは叶わなかったけど、俺が最後笑顔でお前に別れを告げる事は出来る。だから泣くな。
 笑って、最後。お前に伝えたい。


「俺の事、忘れないで」
<――っ>
「お前だけだから、俺が、香坂綾太が此処に居たって証明できるのは」


 ――だから、約束な。
 そう言って笑うと、三鷹が息を呑んだ。そして言葉にならないのか、何も言わない。そんな三鷹に最後、俺は言葉を贈る。

「幸せに、な」
<ッ、綾――>

 俺の言葉に、三鷹が何か言おうとした瞬間だった。視界が、意識が、グルリと一回掻き混ぜられる感覚がした。それはどうやら俺だけじゃなく、三鷹も感じたようだ。そして徐々に、すぐ傍に感じていた三鷹の存在が遠くなるのが感じられた。

<ま、って……綾、太……>

 三鷹の声がどんどん小さくなっていく。俺よりも先に、三鷹の意識が薄れていっているようだ。それが良いことなのかどうかは分からない。でも、三鷹の泣き声を聞きながら消えるよりはいいのかもしれない。そして小さく俺を呼ぶのを最後に、三鷹の声はプツリと途絶えた。


(弥一、弥一)


 ありがとう。ありがとう。
 感謝してもしきれない。聞こえているかは分からないが、繰り返し心の中で感謝を述べる。そして俺の頭の中で、まるで走馬灯のように此処に来てからの記憶が駆け巡る。こんなに満たされた気持ちで消えていけるなんて、この前まで沈んでいた俺に言ったらきっと腰を抜かすだろうな。

「ははっ」

 風が、三鷹の柔らかい髪を撫でていく。あー、気持ちいいな。今この場所で生きていることが改めて感じられ、思わず笑みが零れる。けど、空を見上げていた筈の俺の視界は何故かブレブレだ。ユラユラ、まるで水の膜に視界を覆われている様な、そんな感じ。

「あーあ……」

 つか、良かった。あと一歩遅かったら、笑顔でアイツに挨拶出来ないところだった。泣きながらの別れなんて、優しいアイツはきっと後悔してしまうから。ホント格好悪ぃな俺。あんなこと言いながら、満たされた気持ちだと言いながら、最後まで自分の強がりを貫けない。
 本当はずっと、震える心を抑え付けていた。


「――――こえーな」


 ポツリと呟いた声が、大きな音を立てて開いた扉によって掻き消された。その人物を確認しようにも、もう身体の自由があまり利かず、身体をすぐに起こすことが出来ない。でも、何でだろうな。俺、分かっちゃったよ。誰が来たのか。思わず苦笑してしまう。
 もう、逢えないと思ってたのに。神様は何処までも悪戯好きだな。


「三鷹くんッ、どうしたの!?大丈夫!?」


 寝転ぶ俺の身体を支え、俺の視界に映って来たのは、やはり藤島くんだった。


prev next


bkm

top