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ああ、くそ。相変わらず足がよく回らない身体だな!
そう悪態をつくも、三十メートルなんてあっと言う間で、俺は運命の瞬間を迎えていた。うえぇ、マジで引きたくねぇ。つか誰だよマジでこの競技でいいなとか言ったクラスメイト。もし変なの引いたら後でぶっ飛ばす。そう心に決め、俺は意を決して箱の中に手を突っ込む。隣のヤツの絶叫が聞こえるけど気にしない!気にしないからな!
「――え」
周りはどんどん紙を引き終わって、目的に向って走り出している。けど、俺は走り出すことが出来なかった。ただ紙を、紙に書かれた内容を呆然と見つめる。頭が上手く回らない。
《おっと三鷹選手!何故かその場から動き出しません!一体どうしたのでしょう!》
実況の声さえ、何処か遠くに感じる。遅れて箱に到着していた者も、みんな走り出してしまったため、このお題を提示される場所から動いていないのは俺だけとなった。でも、俺は動かない。いや、動けないんだ。
(何だよ、このお題)
少しずつ回り始める思考。でも、だからと言って、このお題に素直に従うことが俺には出来なかった。なんか俺、この問題に直面する度に考えさせられる気がすんな。その事に気付き、思わず自嘲してしまう。ずっと考えても出ない答えを、今ここで出せと言われている様なもんだから。そしていつもと同じように、俺は『もしも』の事を考えるんだ。
――もし、もしも俺が、三鷹の姿じゃなくて、自分の姿で藤島くんと会っていたら?
そんなの考えるまでもない。
俺がアイツと出会えたのは、三鷹のお蔭。此処での生活も、三鷹が居たから送ってこれた。文句は多い、口うるさい、意地っ張り、でも凄く優しい。そんな三鷹だから、俺はお前を好きになれた。きっと、藤島くんも同じ気持ちだと思う。
「…………」
でも三鷹。俺、こんな足りない頭で考えたんだ。結局、答えらしい答えも用意できないままだけど、それでも思えるようになったんだ。砂が落ちきるまで、そう遠くはない。時間の猶予もない。だけど、最後に、最後に一つだけ願いが出来た。それは決して許される想いでもなくて、きっと三鷹も許してはくれないと思う。俺はそれが怖かった。お前に許されないのは、とても怖くて言えなかったんだ。
けど、もし、『もしも』――。
(なあ、三鷹。ごめん、俺、一つ言い忘れたことあったんだ)
お前がその『もしも』を許してくれたらって、俺は思ったんだ。勝手だよな。
でもこれが、本当に最後のお願いになるから。
(ずっと、誰にも言わないつもりだったんだ。この思い、抱えたまま墓まで行こうとしてた)
だからごめん、三鷹。
本当に怖いことだけど、俺を嫌いと、裏切り者と罵倒してもいい。醜悪だと、貶めてもいい。
でも、どうか――。
(――俺、藤島くんが好きだ)
どうか、俺を許してくれ。
それだけで、俺は救われる気がするよ。
<……お前は、僕に言ったよね>
(え?)
久し振りに、三鷹の声を聞いた気がする。それもそのはずだ。宣言通り、こいつはあの日から全く俺に反応してくれなくなったから。静かに紡ぎ出される三鷹の声は平坦で、感情は読めない。それに対して俺の心臓はドクドクしっぱなしだ。おいおい、心に決めた筈なのにこいつの反応一つでこれか。相当臆病になってんな俺。
<僕の友達第一号は、お前だって……ッ>
(っ!)
<なら!その大事な友達に言わなきゃいけない事は!?>
泣きそうな三鷹の声に、俺はグッと唇を噛む。そんなまさかと、目の奥が熱くなる。
俺の考えた、望んだ『もしも』が、すぐそこにあるんだ。
<知ってんだよこっちは最初から!!お前が分かってない時からずっと、ずっと僕は知ってた!!>
(……ッ)
<それなのに、それなのに!言うのが遅いんだよバカ綾太ぁ!>
ごめん。その言葉は、込み上げてくる熱い思いと共に呑み込んだ。今は、泣くときじゃない。俺が今しなきゃいけない顔は、そんな顔じゃない。
三鷹が、俺の背を押してくれる三鷹弥一が、そんな泣きっ面する訳にはいかないよな。
<――行けよ!!さっさと走って行ってしまえ!!>
俺は、その強い三鷹の声に弾かれる様に走り出した。今度は迷うことはない。足が止まる事はない。
ただ真っ直ぐ、目的に向って走る。
『答えが出たら、一番に俺の所まで走って来てね』
以前、藤島くんが言った言葉が思い出され、俺の頭の中で響いた。
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bkm