親衛隊隊長を代行します | ナノ
5

 認めてしまえば、それが真実だと認識してしまえば、俺は一体どうなってしまうんだろう。答えは、分からない。だからこそ俺は今まで逃げ続けたのだと思う。本当はずっと分かっていたのに、それでも今居るこの場所を失いたくないとさえ思ってしまった。でも、現実は現実だ。俺は三鷹弥一じゃない。俺は香坂綾太。
 もう、この世にいない存在なんだ。

「――ッ!」
「三鷹くん!!」

 藤島くんと目が合った瞬間、俺は居た堪れなくなってその場から走り出した。見られたのかもしれない、あの醜態を。みっともなく三鷹の存在に縋り付く俺の姿を。でも走って逃げて、それでどうするんだろう。きっと樹も藤島くんも唖然としている。樹に至っては醜態の一部始終を見せてしまった。
 どうして俺は、あそこまで取り乱してしまったんだろう。樹が確信を持って言ってるとしても、別にいいとまで言ってくれていたのに、それでも俺は否定したかった。俺が三鷹弥一なんだと、言いたかった。それが無駄な足掻きだと分かっているのに。

<香坂ッ、香坂聞いてる!?返事してよ!>

 先程からずっと三鷹が心配の声をかけてくれているが、俺はそれに応えない。いや、応えられないよ。だって、三鷹の前であんな……きっと、俺を許してはくれない。俺の浅ましい気持ちを知ったら、きっと。だから俺は、伝わらないと分かっていても心の中でずっと謝り続けていた。


(ごめん……三鷹、ごめん……)


 そしてただひたすら走り続けた俺は、いつの間にか寮の前まで来ていた。
 ポタポタと垂れる汗も気にせず、俺はそのまま寮の裏手に回る。脈打つ心臓が中々鎮まらない。くそ、何してんだよ俺。気持ちを少しでも落ち着かせたくて寮の裏へと来たのだが、俺はそこで思わぬ人物と出くわした。

「あ、三鷹じゃん」
「……岩、槻」

 裏庭のベンチに腰掛け、ボーっと空を見ていたのはなんと岩槻だった。誰も居ないと思っていた俺は、予想外の人物と会った事で思わず呆然としてしまう。何で岩槻が此処に。

「珍しいな、お前が此処に来るなんて。会計の所にでも居るのかと思ってた」
「別に、ただ、ちょっと……」

 生憎とベンチはこれしかない。今更他の場所に移動するのもなんか悪い気させちゃうし、仕方なしに俺は岩槻が座るベンチに近寄った。だがそこで岩槻の表情がパッと変わったのに気付き、思わず首を傾げる。

「……隣、駄目だった?」
「いや、そうじゃなくて」

 心底驚いたように俺を見る岩槻が不意にこちらに手を伸ばしてきた。そしてそのまま、俺の頬を擦る。

「なんで泣いてんの、お前」
「――え?」

 そう言われ目元に手を当てると、ボタボタと涙が零れていた。いやに地面に垂れるなとは思ったけど、汗じゃなくて涙だったんだこれ。あまりの事態にまた固まる俺の手を、岩槻が静かに引いた。

「座れよ」
「……いや、俺」
「いいから。そんな捨て犬の様な顔したお前野放しにしたら、絶対ヤバい」

 そう言われ一瞬考えるが、そりゃそうだった。三鷹の顔だもんな。泣いてる姿もさぞ可愛い事だろう。俺は治まる気配のない涙を袖で拭きながら、岩槻の隣に座った。

「会計絡み?」
「え?」
「なんかそんな顔してる」

 そう言って笑う岩槻に、俺は黙り込んでしまう。どんな顔だよ、それ。

「半分、当たってる」
「半分?」
「うん。もう半分は自分自身の事」

 三鷹と、俺の問題だ。
 でもそれを岩槻に言うことは出来ない。俺と三鷹の問題は、あくまで当人同士でしか言えない。でも俺は、そんな三鷹までをも欺いている。分かってる、いつまでもこのままじゃいられないのは。でも、それでも――。

「三鷹さ」
「ああ……ん?」
「体育祭、俺と勝負しようよ」
「……はい?」

 思わず涙が止まるほどの急展開で、俺は一瞬固まった。なに、どう言う事。今結構なシリアスな場面でお前も俺の相談に乗ってやろう的な感じだったじゃん。なんで突然体育祭の話!?

「お前借り物競争だろ?俺出ないけど、お前が借り物競争で一位になったら、俺が何でも一つ言うこと聞いてやるよ」
「あのなぁ…」
「その代わりお前がそれ以下だったら、俺の言うこと一つ聞いてもらう。どうだ、悪い話じゃないだろ?」
「いや、つか急過ぎんだろ」
「でもお蔭で涙は引っ込んだろ」

 そう言われて確かにと納得してしまった。
 いやだって、あまりのマイペース振りについ流されちゃったし。あれ、もしかして岩槻、その為に態と話を変えたのか?

「岩槻、お前…」
「あんま抱え込むなよ。一人だけの問題じゃねぇんだろ」
「――!」
「おっと、やっと来たか」

 まるで俺の悩みなど分かっているかのような口振りに、思わず岩槻を凝視する。しかし当の本人は俺の後ろを見てニヤニヤと笑うだけ。どう言う事だ、もしかして岩槻も――。


「つかまえた」
「ッ、え?」


 岩槻に気をとられていた俺は、岩槻の視線の先に居る人物に気付かなかった。こんな背後に立たれて腕を掴まれるまで全然。今まさに、俺が一番会いたくない人物。

「藤島くん、なんで此処に…」
「あんま目ぇ離すなよ。また襲われんぞ」
「言われなくてもそうする」

 俺の質問に答えない藤島くんは、岩槻と睨み合う。その顔はいつのも笑っている顔からは想像もつかない位、怒っている。一触即発な雰囲気に、俺は息を呑んだ。


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