「なーおちか、なおちかー、ちかちかー、ちかちゃーん」
「うっせぇな!なんだよ!きやすくよぶな!」

 後ろからしつこいほど名前を呼ばれ、小学一年の日比谷尚親は自身の後ろを歩く同じく一年の黒岩那智を怒鳴る。何かと絡んでくるこの男を、尚親は正直苦手に思っていた。しかし那智はこの歳で既に黒岩家の次期当主に選ばれているため、周りの評価も高い。クラスでも男女ともに人気があった。
 しかし尚親にとっては、いつもヘラヘラ周りに笑顔を振りまく那智が非常に気に入らなかった。クラスの女達が何故この男に挙って惹かれるのか理解できない。それにクラスに天才が二人もいるせいで、尚親は家からかなりプレッシャーをかけられていた。ああ、煩わしい。ヘラヘラと後ろで笑う那智を睨みつけていると、突如第三者から声がかけられた。噂の、もう一人の天才だ。

「トビラの前にたたないでくれ。はいれない」
「うっせ。指図すんな」
「あ、こーせーオハヨ」
「おはよう。どいてくれ」

 会話になっているのかどうなのか怪しいところだ。それぞれ一年生にして自我が強い。良く言えばマイペース、悪く言えば自己中心的ともとれる。
 この白河晃聖も、尚親は気に入らない。那智とはまた違った才を持っているため一目を置かれている。それに魔力量だけ考えれば那智を上回る。それにあの白河家だ。周りの大人は放っておかなかった。しかし尚親の気に入らない部分はそこではない。如何せんウマが合わないのだ。ある意味正反対の性格をしている二人は、何かと意見が合わない。それによって口論も絶えないのだ。そんな二人のやりとりを那智が楽しそうに眺めているのがこのクラスの日常。周りから見れば、いつも一緒にいて仲の良い三人と思うだろう。
 冗談じゃない、と尚親は思う。しかしそんな願いも虚しく、晃聖と再び口論していたある日、担任の先生が二人に近寄ってきた。

「日比谷君、白河君。お願いがあるの」

 そう言って、先生が人の良い笑みを浮かべながらお願いしてきた内容に、二人は数秒固まった。

「黒岩君、今日休みでしょう?このプリントを届けてくれない?二人とも帰り道に黒岩君の家の前通るでしょ?」

 教師がまだ小さい一年生に頼む内容ではないだろうと、尚親は少し大きくなった時に思った。まあ元はと言えばこんな日に休む那智が悪い。でなければ、こんな頼み事言われなくてもすんだのに。その時は、そう思わずにはいられなかった。
 そして晃聖もまた、厄介事だと分かってはいても断れずにいた。こんな些細なことでも、白河の名に恥じぬ行動をせねばと、幼い身の内に決意を宿していた。
 とは言え、二人とも抱える気持ちは一緒だ。

「俺が一人でいきます」
「俺だけでいく」

 タイミングまで丸かぶり。思わず二人して顔を見合わせる。それを見て先生は、はいはいじゃあ二人でお願いねと二人の申し出をサラリと却下した。
 同行者さえいなければ、そんな二人の思いは神様には届かなかった。





「ついてくんな」
「お前のいい分をきく気はない。イヤなら一人で先に帰ればいいだろう」
「ばーか、ここはどのみち帰りにとおる場所なんだよ」
「ならだまって歩け」
「俺に指図すんな」

 尚親の発言に、晃聖が呆れたような視線を寄越した。馬鹿には付き合いきれない、目だけでそう言われている気がしてならない。尚親はまたそれに腹を立て、晃聖に突っかかる。そんな時だった。ビルとビルの間から、突如「アアアァッ!」と子供の叫び声が響いてきた。態度は非常にデカいとは言え、まだ幼い二人は、そのあまりに悲痛な叫び声に身体を震わす。

「な、なにビビってんだよ」
「…お前こそ」

 お互い見くびられない様、強がっての発言だ。そして収まることのない叫び声…いや、泣き声と言った方がいいか。「イヤだイヤだッ!!」と誰かに訴えかけるその声に、二人はハッとした。

「この声は…」
「黒岩、か?」

 間違いない。この声は、毎日聞くあのあほの声だ。そう確信した二人は、恐る恐るビルの間の細い道に入っていく。確かこの先は少し開けた空き地があった。恐らく那智はそこに居るのだろう。何でこんな危険を冒して那智の所に行こうとしているのか。仲が良い訳でもない。寧ろ煩わしく思っている位だ。それは尚親だけではなく晃聖も同じ思いだ。
 しかし、クラスでも人気の那智は、何故かクラスメイトには一線引いている。それなのに、尚親と晃聖にはその境界線すら存在しておらず、ガンガン踏み込んでくる。何でも那智曰く、二人は自分と似ているから…だから仲良くなりたいと言っていた。勿論、その言葉に二人が頷くことはなかったが。
 それでもこの時、二人は進まずには居られなかった。それは、今となってみれば、必然だったのかもしれない。

「――やれ。出来ないとは言わせない」
「できないッ、イヤだよお兄ちゃん…!!」
「やれ。お前がやるんだ」
「イヤだぁぁッ!だっ、て…この人、すごく痛がって、るよぉ…!」

 酷く冷めたその声色に、那智でなくとも泣きたくなる。尚親と晃聖の見た光景は、二人が想像していたものよりずっと重く、そしてゾッとするものだった。頬や手が血塗れになった那智が、呻きながら倒れている男の傍で泣き喚いていた。その様子を、金髪の男が無表情に見つめている。
 その金髪の男が握っている刀から、倒れている男のものであろう血が滴り落ちて、地面に赤い水たまりを作る。ウッ!と二人は口元を手で押さえた。離れたこの場所にまで、血の匂いが漂ってきて吐きそうだ。

「この男から情報を吐かせる。それが今日与えられた任務だ」
「でもッ…」
「吐かないなら、無理やり吐かせる。お前にだって出来るだろう。早くしろ」

 その言葉に那智がまた泣き出す。しかしそう指示をする男は、まだ二人の目から見ても幼さの残る子供だ。制服を着ていることから小学生ではないとは分かる。しかもあの制服は、かの有名な冥無学園の物。つまりあの男は魔導士。でも、冥無は此処から遠い所にあるはず。それなのに、どうして生徒がこんな所にいるのか。まだ小さい二人にはそこまでは分からなかった。
 けれど、那智が時々学校を休むのは、家の用事だからと言うのは知っていた。それは晃聖にも言える事なので、あまり晃聖自身気にしたことはなかった。だが那智はああ見えても黒岩家の次期当主。雇い主の命なら何でもする、特に裏社会で名を馳せている名家だ。そして晃聖の家、白河は表舞台で活躍する大企業。故に、黒岩家の力を借りることもよくあった。だがその内容が、こんなものだとは思いもしなかった。しかも那智がその仕事を行っているだなんて。

「チッ。なら退け、仕事の邪魔だ」
「ぅ、ああああッ!兄ちゃあああん!」
「うるさい。泣くな」

 泣き喚く那智を引っ張り立たせ、今度は自分が男の傍に座ると、容赦なく握っていた刀の柄で男の身体を打ち付ける。口から血を吐き、何かを叫ぶ男の悲痛な声。それを聞いてまた那智が泣く。その異様な光景に、二人は逃げる様にその場を後にした。





 あの後、あの場から逃げ去った尚親と晃聖だったが、そのままお互いが口を開くことはなく、その場で別れ家に帰った。プリントを渡された尚親は、そこで自分の失態に気付く。しまった、プリントがない。それに気付いたのが家に帰ってから。今から探しに行けば見つかるかもしれない。しかし、あの光景が頭からこびり付いて消えない。血と那智と金髪の男。正直、怖い。明日、先生に頼んでもう一度プリントを印刷してもらおう。そして出来る事なら、那智にそのまま渡して欲しいと願った。

「なーおちか、なおちかー、ちかちかー、ちかちゃーん」

 翌日、那智がいつも通り尚親へ声を掛ける。昨日の号泣が嘘のように、笑顔を張り付けヘラヘラと笑う。尚親は戸惑った。どうして、こいつは笑っていられるんだろう。あの金髪の男、あれは恐らく兄弟のはずだ。それなのにあんな事を強要されて、何で今日もいつも通りなんだ。イライラが募る。しかし一方で那智への目が変わった。
 那智の笑顔の下には、他の人には分からない苦労がある。尚親は昨日のアレを見て、少なからず尊敬の念を抱く。そして同時にほんの少しの恐怖も。

「もー、また無視ー?」
「……なんだよ」
「え?」
「用があるんならさっさといえ」

 しかし、昨日の那智は思っていたよりも好印象を受けた。それはどうやら晃聖も一緒で、那智に挨拶されると、扉の前に立っていたにも関わらず、おはようとだけ返した。二人の変化に、那智が少し不思議そうにする。だが用を思い出したのか、あ!と声を上げ、二人の前に何かを突きつけた。
 それを見て、尚親と晃聖は顔を引きつらせる。

「のぞき見なんてしちゃだめだよー?危ないからね」

 でもありがと。尚親が落としたであろうプリントを翳しながら笑う那智に、少しでも気を許す相手を間違えたかと後悔する二人。しかしそれから十年以上経った今も、こうやって同じ学園で過ごす事になるなどと、当時の三人は思ってもみなかっただろう。
 そして、己の命を懸けても守りたい人が出来ることも。



prev next