伝説のナル | ナノ


19

 朝起きると、そこには那智先輩の姿も凪さんの姿も無くて、俺は慌てて部屋を飛び出した。勢いよく扉を開けたせいか、リビングでパンを齧っていた那智先輩が目を真ん丸くさせて俺を見た。

「そーすけ?どしたの?そんな慌てて。まだ六時過ぎだよ?」
「え、あ、いえ。起きたらお二人ともいなかったので、つい…」
「何だか早く寝たから早く目ぇ覚めちゃって。凪はもう出てったし」
「え?凪さん大丈夫なんですか?」
「……大丈夫だよ。今日も元気に出て行きましたー」

 そう言って笑う那智先輩だけど、何処となく違和感がある気がする。そう、何と言うか元気がないと言うか……けど、俺がそれを指摘してはいけない気がした。那智先輩が大丈夫と言うなら、俺はそれを信じる事にする。そうですか、と小さく呟いた俺に、那智先輩が少し嬉しそうに笑った。

「それはそうと、宗介も食べなよ。今パン焼いてあげる」
「あ、すいません」
「いえいえー。てか凪のパンだからお礼は凪に言ってあげて」
「はい」

 テキパキと食卓に俺の分の食事を用意する那智先輩。凄いなぁ、などと先輩を眺めていると、あっと言う間に俺の前にはサラダ、スープ、パン、目玉焼きが置かれた。と言うか先輩が食べているご飯よりも豪華なんだが。

「ありがとうございます。先輩はそれだけでいいんですか?」
「ん?ああ、俺は平気。もう食べたから。これは五枚目のパン」
「五枚目!?」

 驚く俺を余所に、先輩がむしゃむしゃと何もつけていない食パンに齧り付く。朝からそんなに食べられるなんて、見た目からでは想像できない。やっぱ一流の魔導士ともなれば違うのだろうと思いながら、俺は手を合わせ先輩に頭を下げる。

「いただきます」
「召し上がれー」

 のどかな朝だった。昨日あんな事があったとは思えない位。





 だが、学校へ行ってからは再び現実をつきつけられた。掲示板には『白河会長辞任!?』と大きな見出しで張り出されている。昨日の今日で、一体どこから情報を聞きつけたんだろう。不思議で仕方ない。
 裏庭でご飯を食べる最中、俺は蓮と大樹に少しだけあの部屋での出来事を話した。会長の父親が来たこと、家に戻される事、そしてお兄さんの事。お兄さんの話題になった時、蓮がああ…と声を漏らした。

「蓮は会長のお兄さんを知っているのか?」
「うん。だって、白河の人だからね……色々噂は出回るよね」
「噂って、どんな?」
「うーん、あの人も光魔導が使えるらしいんだけど、魔力は月並み。仕事面でも粗雑さが目立って、彼に任せた会社は一気に傾くとか何とか」
「……それまずくね?」
「加えて会長とは似ても似つかないあの容姿で、結構周りの期待を裏切るらしいんだよね。それにさ、会長が完璧すぎてそれと比べられるってのもあるかな」

 ああ、成る程。それであんな目の敵と言わんばかりの食いつかれ様なのか。でも会長は、顔色一つ変えずにあくまであの人を兄として見ている。けどあの人は、違う。俺には分かる。あの人が会長を見る目は、とても家族に向けるものではない。
 『妾の子』――那智先輩が教えてくれた、会長の家の事。俺が知ってどうこう出来る訳ではないのは分かってる。けど、それでも俺は、会長に此処を辞めて欲しくないと思ってる。何でかな。会長が、あの会長が、此処で答えを見つけようとしていると聞いて、一段とその想いが強くなったんだ。

「けど、今回の事とはそいつ何も関係ないんだろ?」
「たぶんね。どうして会長がいきなり家に戻されるのかは俺にも分からないや」

 大樹の質問ももっともだ。那智先輩によると、会長のお父さんは元々魔導士になるのに反対だった。もしかしたら、それと何か関係があるのかもしれない。あくまで推測しか出来ないけど。

「ま、俺達が考えても仕方ないし。いこーか」
「そうだな。行こう、宗介」
「あ、ああ」

 先に歩く蓮の後ろを、俺と大樹がついていく。未だ悶々と色々考える俺の横で、大樹が少し浮かない顔をしていた。思わず考えるのをやめて大樹に声を掛ける。

「大樹?大丈夫か?」
「……宗介さ。昨日、他に何かあった?」
「え?」

 大樹が真剣な目で俺を見る。昨日?昨日あったことはあれが全部なはず。そう思ったが、パッと皆が床に這い蹲る光景が浮かんだ。ああ、そうだ。俺は確かにあの時、何かをしていた。俺が、みんなをああして、苦しめていた。それだけ、微かに覚えている。

「昨日、突然此処が熱くなった」

 そう言って大樹が右手の甲を見せる。ラグーンの紋様がそこには刻まれていた。

「だから宗介に何かあったのかと思って、昨日部屋に行ったんだけど…」
「え、そうだったのか?」
「うん。でも居なくて」
「悪い。俺、昨日ちょっと他の部屋に泊まったんだ」

 と言うか目が覚めたら凪さんの部屋で、そして夜中と言う感じだったから、部屋に戻ることが出来なかった。

「あれ、でも、よく開けてもらえたな」
「ああ…」

 俺の言いたいことが分かったのか、大樹が少し顔を顰めた。

「いねぇ。それだけ言われて閉められた」
「そ、そっか」
「でも、そっか。何もないなら、いいんだ」

 俺の方を見て、安心したように笑う大樹に、何処かムズムズするものを感じる。嬉しいけど、やっぱり少し気恥ずかしい。俺も、少し照れたように笑い返すしか出来なかった。だがフと思う。思わず足を止めた。それに気付いた大樹も、足を止める。

「けど、何で俺に聞くんだ?」
「え?」

 昨日の事を知っている訳ではない大樹が、どうして俺に何かあったのかなんて聞くんだ?しかも紋様が熱くなったと言うことで。俺の問い掛けに、大樹が困ったように口を噤んだ。これは、聞いちゃいけないようなことなのか?

「大樹?」
「あ、その…」
「宗介?大樹?何やってんの?」

 遅い俺達を不審に思ったのか、蓮が戻って来た。正直変な空気になりかけていたから良かったのかもしれない。俺も、あんまり込み入った事を聞くのはやめておこう。決して大樹を困らせたい訳じゃないのだから。

「ごめん、何でもない。大樹もごめん、ズカズカ聞き過ぎた」
「っ、そんな事…!」
「…?まあいいや。あ、そうだ宗介」

 そこで言葉を切った大樹を不思議そうに見ながら、蓮は突然何かを思い出したのか、ポンッと手を叩いた。そして徐にポケットから携帯を取り出す。それを見て、俺はああ!と理解する。

「番号とアドレス教えてよ」
「ああ。ちょっと待ってくれ」
「……え?ええええ!?」

 いそいそと交換を始めた俺達を見て、先程までドギマギしていた大樹が叫んだ。

「え、ちょっ、ま」
「どうした大樹」
「よっし。これで登録完了ー。どう宗介、人増えた?」
「いや、全然」

 などと蓮と暢気に話していると、大樹が突然詰め寄って来た。

「宗介スマホ持ってんの!?」
「え、ああ、うん。貰ったんだ、此処に来た時に…」
「誰から!?」
「え?あ、その…凪さん、から」

 此処でもやはり剛さんの名前は伏せておいた。だが凪さんからと言った俺を、大樹が信じられないと言う目で見て、そしてそのまま項垂れた。「また、あの人か…」そう、小さく呟いたのが聞こえた。そして突然大樹が俺の両肩を掴み、真っ直ぐに見据えてくる。

「どうして、早く教えてくんないの…しかも、俺より蓮との交換が先とか…」
「え…あ、ごめっ」
「それは自分で聞かない大樹も悪いと思うけどな。俺自分から聞いたし」

 蓮の言葉に、大樹がうっと声を詰まらせた。そしてより落ち込んだ雰囲気を背負った。ああ、マズった。これは完全に俺のせいだ。まさかこんなことで落ち込むなんて思わなかったから。

「あ、あのさ大樹」

 俺はポケットで小さく折りたたまれた紙を引っ張り出し、項垂れる大樹の胸に押し当てた。ドンッと強く当てすぎたせいか大樹が「ぐふっ」と声を漏らす。 

「あ、悪い」
「…これは?」

 大樹が押し当てられた紙を受け取り、そして徐に開く。俺はあまりの恥ずかしさから顔を思い切り逸らし、大樹の反応を待つ。

「え、これって…」
「っ、初めてだったから。自分から登録しておいて、なんて言うの…。恥ずかしくて、少し怖くて…中々渡せなかった」

 俺がずっと隠し持ってたメモ。それは俺が大樹にずっと渡したかった俺のアドレスと番号。要らない、なんて言われたどうしようかなんて馬鹿な事考えて結局渡せなくて、そして大樹に嫌な思いさせた。一カ月過ぎて、漸く渡せた。

「初めて俺がアドレスとか番号を知って欲しいと思ったのは、大樹だよ」
「――ッ」
「遅くなってゴメン」

 俺がそう言って笑うと、大樹が目を潤ませながら顔を赤くし、グッと唇を噛んだ。

「宗介…ずるいよ…。これじゃあ俺、何も言えない…っ」
「ホントごめん。もっと早く教えておけば、昨日も態々俺の部屋に出向かせることもなかったのに」
「いいよ、もう。それより」

 大樹が怒っているんじゃないかと不安になっていた俺に、大樹が少し顔を赤くしながら笑いかけて来た。

「後で連絡するから、ちゃんと返信してよ!」
「ああ。勿論」

 すっかりさっきまで纏っていた負のオーラがなくなった大樹を見て嬉しくなった。二人で少し照れたように笑い合っていると、横からコホンと咳ばらいが。蓮が、呆れた様な目をしながら立っていた。

「あのさ、いちゃこらすんのは構わないんだけど」
「い、いちゃこらって…!!」

 蓮の言葉に大樹が大きな声で反応した瞬間、キーンコーンカーンコーンとベルが鳴り響いた。

「あ」
「だから言ったじゃん!」
「急ごう!」

 予鈴のベルが鳴り、俺達は一斉に走り出した。ああ、そう言えば今日の午後はまた導具の精製があったな。蓮と大樹のお蔭で少し気が紛れたけど、やはり片隅には会長の顔が浮かんでいた。魔導操作が大事なあの授業。上手く乗り切れるといいな。
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bkm