伝説のナル | ナノ


15

 見えない力で押し潰され、俺はとうとう床に叩き付けられた。凄い力だ。しかし、魔導警報機がピクリとも作動しない。では一体この力は何なんだろう。考えようにもこの圧力の中ではまともな思考にはならない。
 俺は視線だけを何とか彼――安河内宗介へと向ける。この位置から彼の表情までは窺えない。しかし、彼の口元が微かに上がっているのだけは見えた。

「あが、ない…くん…」

 何故彼だけが、立っていられるのか。他の者はみんな地に伏しているから、その事実に気付いていない。兄さんに至っては恐らく気絶しているのだろう。この状況で恐ろしい人だ。いや、兄さんだけじゃないか。もう何人かは気を失っているだろう。
 彼に何とか呼び掛けてみる。しかし、返答はない。それでも呼び掛ける以外の方法が思いつかず、再び口を動かそうとする。だが、その瞬間凪が突然苦しみだした。

「ぐッ…ぁ」
「な、ぎ?」
「ダメだ、宗介、くん…っ、今、力を、使っては……ッ」

 今度は凪へと視線を移すと、番人の腕輪が光っているのが見えた。
 そして突然、安河内くんが宙へ顔を上げる。

「――イ、さん」
「そう、す…け…くん…っ」
「呼ばれてる。行かないと」

 ポツリと、静かにそう呟いた彼が、クルリと部屋の壁の方へ足を向ける。その瞬間、チラリとだけ見えた彼の瞳。

「キミは…っ」

 思わず言葉を失う。今のは俺の見間違いか?それとも――。


「――那智ッ!!!」


 凪が叫んだ。それと同時に、彼の上がボウッと光る。これは、凪の魔導――テレポートか。そしてその光の中から、那智が飛び出してきた。

「ごめん、宗介。少し寝てて」
「…っ」

 そのまま彼の元に降り立った那智が後ろから彼を抱き留め、その視界を塞ぐ。何かの導具を使ったのだろう。安河内くんはそのまま那智の言う通り眠りについたらしく、那智にダランと身体を預けている。
 そして彼が気を失うのと同時に、上からの圧力が嘘のように消えた。

「……ハァ〜、えー、もう何?何なの突然」
「……」
「まあいつでも警戒はしてたけど、こうもいきなりだと心臓に悪いって」

 そう言って那智がその場でゴロンと寝転がる。そうだろうな、テレポートで突然この状況で呼び出されたんだから。しかし警戒していたと言うだけあって、対応も早かった。

「警戒していたと言うことは…いずれはこうなるって、知っていたのか」
「ん?あれー、晃聖じゃん。何してんのこんな所で」
「彼の瞳が真紅だったのと、関係あるのか?」

 普通に聞いてもきっとはぐらかされる。そう分かって、俺は確信の持てない判断材料を持ち出した。だが相手は那智だ。アナライズで調べられれば一発で俺の発言が自信のないものか分かってしまうだろう。
 那智は、静かに何を言う訳でもなく俺をジッと見ていた。だが、聞こえて来た苦しげな咳に、俺も那智もハッとして顔をそちらに向ける。

「凪ッ…!」
「大丈夫か!?」

 二人で咳き込む凪に駆け寄る。凪の身体を抱き起した那智が、凪の顔を見て息を呑む。こんなに真っ青な凪の表情を、俺は見たことがない。恐らくそれは那智もなのだろう。酷く狼狽えていた。

「凪、ねえ凪ってば…!しっかりしてよ!」
「っ、どういう事だ…」

 凪の額に手を当て、凪の状態を診てみる。驚くことに、凪から殆ど魔力を感じない。

「今日は新月でもないのに、何故こんなに消耗しているんだっ」

 魔導士の魔力は、月の満ち欠けにも影響がある。特に月が見えない新月は魔力が弱まり、月が満ちる満月は魔力が強まるのはもう常識だが、これはそんな生易しいものではない。命に係わる魔力の減り方だ。テレポートの魔導だけではこうは絶対ならない。なら、何でこんなことに?

「う、るせぇ…」
「凪!」
「寝てりゃ、そのうち回復する…それよりも、宗介を…早く…」

 薄らと開いていた瞼が、パタリと閉じられる。一瞬嫌な予感がして凪の口元に耳を寄せたが、聞こえて来た寝息にホッと息を吐いた。だが、那智は少し不満そうな顔を凪に向けながらも、グッと何かを抑える様に唇を噛んでいた。

「那智?」
「…こーせー。お願いしていいかな」

 凪を背負う形にまでもっていくと、那智が俺に何かを手渡してきた。所謂煙玉のような玉だ。だがそれがどう言うモノなのか、すぐに察しがついた。俺に玉を渡した那智は、そのまま安河内くんの傍により、そして片手で彼の身体を抱き起すとそのまま片手で彼を横抱きにする。

「さすがに、二人は重いなぁ」
「俺の記憶は消さないでいいのか?」

 そう、この玉は忘却の玉。オブリビオンの球状とも呼ばれる導具だ。その人が消したい記憶だけを忘却する。あまり入手できない貴重な導具。流石は黒岩家と言ったところか。

「一緒に忘れたきゃ忘れればいいよ」
「大体、何に関する記憶を消せばいいのか、まだ聞いていない」
「アハハ。分かってるくせに」

 那智が凪を背負いなおしながら、俺に背を向け出て行こうとする。

「……」
「俺はさ、晃聖。似てると思ってるんだ」
「何がだ」
「だから、さっきの晃聖の言葉がはったりだって言うのも分かってる」

 やはり、ばれていたのか。力を使っていた訳でもないのに、やはり侮れないヤツだ。

「本当はこれ以上ライバル増えるの嫌なんだけどね」
「……?」
「でも、それでも晃聖が見つける答えの先が、俺の行く道に繋がるって、予感がするわけよ」

 だから、俺からは何も言わない。そう言って俺の方を見てヘラリと那智が笑った。どうするかは俺が決めろと?何も知らない俺に?

「勝手なヤツ…」
「へへ、今に始まった事じゃないでしょー」

 那智から、自分の手にある忘却の玉へ視線を移す。これを兄たちに使えば、少しは俺の学園生活を延ばすことが出来るかもしれない。問題は父だが、それでも此処で連れ帰されるよりは、可能性が見える。けれど――。


「かい、ちょう…」
「――っ!」
「宗介…?」


 弱々しい声が俺に耳に届く。再び那智の方へ視線を向けると、那智の腕の中で眠っていた彼と目が合った。その瞳は黒い。
 那智は彼が起きたことに驚いているようで、目を丸くしていた。

「…ごめん、なさい……」
「キミに謝るようなことはされていない」
「で、も…」
「寧ろ、謝るのは俺の方だ。家の事で、キミ達を巻き込んだ」

 なのに、何を謝る事があるんだ。

「それに、兄から庇ってくれたろ。ありがとう」
「……ばり、ましょう、ね」
「え?」
「演劇、頑張り、ましょう?そうしたら、きっと、会長の家族だって…」

 そう言って苦しげに笑う彼に、俺は返す言葉が無かった。そんなことを考えていたのか。全く、馬鹿だな。

「安河内くん」

 でも、馬鹿なのは俺も一緒なのかもしれない。もう、これの使い道が決まってしまったのだから。手にもつ球状を見つめ、俺は安河内くんに視線を移した。
 きっと、彼を見るのは、これが最後だろう。





 薄れゆく意識の中、俺が最後に目にしたのは、会長の笑顔。
 俺がもう一度見たいなと心の中で思っていた、あの年相応の笑い方。


「すまない」


 謝る必要なんてない。俺はただ一緒に――。


「お前の事が少しでも知れて、良かった」


 会長の笑う顔だけが、最後、俺の瞳に焼きついた。
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bkm