伝説のナル | ナノ


14

 何で凪さんが此処に?
 そう思うのは俺だけではない様で、みんな凪さんの登場に騒然としている。しかしそんな中、凪さんはゆっくりその場で膝をつき、頭を下げた。会長のお兄さんに向って。

「お久し振りです。白河さん」

 そう声を掛けるってことは、凪さんと会長のお兄さんは知り合いなのか?と思ったが、この前の会長の話をふと思い出した。白河家と黒岩家は友好関係を築いているって。だとしたら、凪さんとお兄さんが知り合いなのは当然か。

「……いきなり現れて、無礼だとは思わないのかね黒岩くん」
「申し訳ございません」

 凪さんの登場に少し気が逸れたのか、会長のお兄さんは先程の様な凄い剣幕ではなくなった。しかし不満げな表情を隠そうともせず、膝をつき頭を下げる凪さんを見下ろしている。

「キミはいつもそうだ。父さんの言うことは聞く癖に、俺の言うことは全く聞かない。ハハッ、媚を売る相手をよく見極めている」
「……」

 そう言って凪さんを嘲るように笑ったお兄さんは、凪さんが何も言い返してこないのが癪に障ったのか、一つ舌を打つと、徐に足を上げ、そのまま頭を下げる凪さんの後頭部を踏みつけた。

「凪さんッ」
「そうやってお前も晃聖も……俺を馬鹿にしているのか!?えぇ!?」

 ガツッと硬そうな革靴で凪さんの頭を踏みつけるお兄さんを、周りが止めようとするも、お兄さんのSPなのだろうか、凪さんとはまた違う黒服の人達がそれを阻止する。しかし凪さんは、何も言わず、ただ顔を俯かせているだけ。何でだ、何で凪さんは何も言わないんだ。思わず握りしめた拳から血が滲み出るのを感じる。

「フン。まあいい、所詮は廃れた家の生まれだ。本来なら俺のような崇高なる存在の視界に入る事さえ許されはしないのだが、俺は理解のある男だから。此処は大目に見よう」
「……」
「…ああ、そう言えば、キミには一族の再起となるとも言われる天才の弟がいたな」
「――!」
「とは言え、あまりいい噂を聞かない。何でも役に立たないとかなんとか。おっとこれは失礼。キミ程度の弟なんだ、高が知れていたな」

 頭を踏みつける姿勢をそのままに、その人が突然話し出したのは何故か那智先輩の事。しかも、態々凪さんの前で嫌味たらしく。たぶん何も言い返さない凪さんに、何か言わないと気が済まないのだろう。子供じみた考えだ。それで崇高なる存在とか、笑わせる。

「お言葉ですが――」
「何だ…ッひ!」

 ハッとした。沸々と湧き上がってくる感情を感じ取っていたら、今までダンマリだった凪さんが声を発したからだ。冷めた声色で、はっきりと。そして自分の頭に乗せられているお兄さんの足を右手でがっしりと掴む。突然足首を掴まれたその人は、小さく悲鳴を上げた。

「私はこの学園を護る身。故にここから永くは離れられない。今は、白河家の依頼の殆どは那智に任せてあります」
「へ…?」

 顔を俯かせているから表情までは分からない。しかし、凪さんの冷めた声色に滲み出る怒りは、俺にも分かった。

「それでも、家の評価が上がる事はあっても下がる事はありません」
「っ…」
「それともう一つ」

 ギラリと光った瞳に、俺だけじゃない、部屋に居た全ての者が息を呑んだ。お兄さんの足をとったまま、顔を上げた凪さんの瞳は、人を怯ませるほど眼光鋭い。

「此処は貴方の家ではない。冥無学園だ。此処の生徒に手を出すのであれば、私は全力でその者を排除します」

 それも、仕事の内なので。そう言って凪さんが足を離すと、凪さんの迫力に気圧されたのか、お兄さんがその場で尻もちをついた。その様を凪さんは徐に立ち上がりながら、興味無さそうに見下ろしていた。

「英光様!!」
「き、貴様ッ…!」

 しかしSPの人達が、主に危害ありと判断したのだろう。凪さんに向って一斉に向かった。いつもなら、きっと大丈夫だろうと思っていた筈だ。しかし、一瞬垣間見えた凪さんの顔。それがいつもとは違っていた。
 凪さん、顔が真っ青だ。

「取り押さえろ!」
「――っ」

 有り得ない。凪さんが、あの凪さんが何も出来ずに後ろからの攻撃で倒された。反応はしていた、しかし俺には身体がついていかなかった様に見えた。そして倒れた凪さんの身体に、SPの人達が何度も警棒を打ち付ける。その様子に、周りは悲鳴を上げ動けず、会長のお兄さんはザマアミロと言わんばかりに尻もちをつきながらも手を叩いて笑っていた。

「凪っ」

 ただ一人、会長だけは飛び出そうとしていた。しかし、会長が前に出た瞬間、窓ガラスにピシリとヒビが入る。

「な、なんだ?」
「なにが…ぐぁッ!」
「どうしッが…!」

 パシッ、パリンッ。
 窓ガラスが、部屋を照らしていた蛍光灯が、次々に割れていく。その様子に、SPの人達の手が止まった。そして、凪さんを囲んでいたうちの一人が、何かに押し潰される様に床に叩き付けられた。そして次々と、大の大人たちが床に叩き付けられていく。

「何が起こって……ッぐえ!」

 会長のお兄さんもその圧力に潰されたのか、仰向けで苦しんでいる。会長のお兄さんだけじゃない。周りで見ていた他の生徒もSPも、みんなその圧力に潰されて床に伏していた。そして俺の横で、会長も膝をつく。

「ぐっ…なんだ、この力……は…!」

 今にも伏してしまいそうな身体を懸命に支え、会長が俺を見た。

「あ、がないくん…っ」

 そして驚いている。すいません、会長やみんなを苦しませたい訳じゃないんだ。

「なんで、キミだけ、立っている……んだッ」

 でも、この湧き上がる感情を、力を、何でか抑えられないんだ。


「宗、介くん…!」


 凪さん、すいません。助けたかったのに、苦しませて。ああ、何でかな。凪さんの声が、遠い。
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bkm