伝説のナル | ナノ


9

 でも、いいのだろか。生徒会長にこんな事させて。勿論俺としては有難いけど…そんな疑問を抱く俺を余所に、会長が俺のネクタイに手をかけ、それをスルリと抜き取る。

「余計な事は考えず、今は俺の手と唇だけを感じていればいい」

 そう低く囁いた会長が、俺のシャツのボタンを一つ二つ外していく。

「し、白河会長…ッ」

 首元に、会長の顔が近付き、そこに会長の息がかかる。その感覚に思わず声が上擦る。そしていつの間にこんな後退っていたのか、ピタリと壁に背が付き、それ以上身動きがとれなくなってしまった。
 ベロッと、首筋を会長が舌で撫でる。それに身体が大袈裟に跳ねた。何だ今の……何か凄くゾワッと来た。今のをもう一度やられるの嫌だな。そう思った俺が会長の胸に手を置いた瞬間、今度は耳朶を噛まれ、思わず息を呑む。そして、中に直接言葉を吹き込んでくる。

「どうだ?分かるか?」
「っ……ちょ、待っ…」

 頼むからそこで喋らないでくれ。その意を込めて胸に置いた手で少し身体を押し返す。しかし俺の腰を直に撫でた冷たい手によって、その力は弱まった。擽る様な、撫でる様なその動きに今度こそ声が上がる。

「ん……ッ」

 その手が、腰から背中に這い上がって、俺の身体を撫でる。その手を意識し過ぎた俺は、いつの間にか目の前に迫っていた会長の顔に気付かなかった。息の掛かる位の近い距離。俺を見る紅の混じる瞳に、俺は何も言葉が出なかった。
 そして会長との距離がゼロになる。そう思った時だった。コンコンと、扉の方からノックが聞こえた。え?と驚く俺よりも早く、会長が扉へと目を向ける。だって、此処の扉は最初に閉めてたはず。なのに、誰がどうやって――。


「――何か用か、那智」
「用と言うか、何してんのかなぁーって」


 会長の身体が俺から離れ、真っ直ぐ扉の所に寄りかかっている那智先輩を見据えた。え、どうして那智先輩が此処に。呆ける俺を余所に、那智先輩が一歩前に踏み出す。

「鍵はどうした…なんて、お前に聞くだけ無駄か」
「俺の質問に答えてよー」

 ヘラリと笑っている先輩。だけど纏う雰囲気が怖い。そう思っているのは俺だけではない様で、目の前にいる会長も警戒しているようだった。

「宗介に何してんだよ」

 先程までの笑顔を引っ込め、那智先輩が低く唸る。瞬間、俺の左の首筋が熱くなる。思わず「うっ…」とその熱さに顔を歪め、首元を押さえる。

「――ッ!」
「…?どうした?」

 那智先輩は俺の様子に少し目を見開き、会長は不思議そうに首を傾げる。な、何だ急に。何でこんな熱いんだ。

「……まだ不安定なのか、俺の感情にリンクしてる…」

 那智先輩が、そう言って何かを呟いた。小さすぎるその呟きを聞き取る事は出来なかったけど、徐々に首元の熱さが引いていく。何だよ一体。

「ハァー……もう一度聞くけど、何してたの」
「演劇の練習だが?」
「劇ぃ?」

 大きなため息を吐きながら、那智先輩が俺の傍に寄って来た。そして会長からネクタイを取ると、俺の乱れた服を直し、ネクタイを締め直し始める。俺のネクタイを締め直すと同時に冷たい視線を会長に送った那智先輩が先程と同じ質問をすると、会長は少し煩わしそうに答えた。

「あの、俺の演技の出来が悪くて…会長がその、指導してくれていたんです。実演の方が早いからって」
「実演て……」

 何だか凄く呆れた様な那智先輩は、そのまま会長をジッと見る。そして数秒後、再び重たい溜息を吐いた。

「まあ、晃聖の事だから、本当の事なんだろうけど……下心なくて、よくそこまで出来んね」
「いつまで経っても進行しないのは、此方の意に沿わない。早く何とかしようとするのは、相手役を務める俺の義務でもある」
「そこまで考えるのは晃聖位だよ」
「…そうか?」
「真面目な晃聖らしいよ…」

 でも、と続けた那智先輩は、また先程同じようにヘラリとした笑みを浮かべていた。

「相手は選びなよ。そーゆー経験が必要なら俺が教えるから」
「……」
「宗介もさ。いくらなんでも無防備すぎ。もう少し警戒心持って接しないと」

 そればっかりは、すいませんと言うしかない。その通り、俺は警戒心が足りなすぎる。色々流されてるし。ちゃんと意見しないと、結局は今みたいに会長と先輩が睨み合うような展開になってしまう。けどまさか、俺を心配してくれて此処に来てくれたんだろうけど、あんな風に先輩が怒るところ初めて見た。まだ、ほんの少しだけ心臓がバクバクしてる。

「あー、そうだ」

 扉の方まで歩いていった先輩が、クルリと俺達の方を振り返る。そして、少し意地悪そうな顔で笑った。

「キスシーンだったら、俺とのキスを思い出してね」

 じゃあ、頑張って。それだけ言って、先輩は静かに部屋を出て行った。

「俺とのキス…?何だそれは。安河内くん…?」
「――ッ、な、何でもないです」

 突然顔を俯かせた俺を、会長が訝しげに見たが、俺は顔を上げられずにいた。何でだ、何でこんな顔まで熱くなるんだ。先輩とのあのキスを思い出しただけで、顔から火が出そうだ。何でだろう、最初に先輩としたキスはこんな思いをしなかったのに、どうしてあの夜のキスだけ――。
 ああ、駄目だ。何か調子狂うな、もう。
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bkm