伝説のナル | ナノ


8

「カットカット!王子はそこもっとグイッと来ないと!」
「すいません!」

 ああ、これで何度目だ。リテイクの嵐に溜息を吐きたくなるが、それはきっと周りもそうだ。俺に付き合わせて何度も同じことをしないといけないんだから本当に申し訳ない。あれからまた三日ぐらい過ぎた。そして割と順調に下手なりに演技を続けて来た俺は、どうしてもこの場面で躓いてしまう。
 この、ローゼ姫に愛を囁くシーンで。

「姫、愛しています」
「ワイズ様…」
「だから今だけは、私の手を、唇を、それだけを感じていて……」

 そう口にしてズイッと会長に近付くのだが、最初の衣装合わせ以来女の姿で演技していない会長を前にすると、どうにもやり辛さを感じて台詞がどんどん尻すぼみになっていく。けど会長はいつもの姿でも変わらず、ちゃんと役を演じている。それはもう、何か違和感がないくらい。声とか姿とか男だけど、ちゃんとローゼ姫を演じてるんだ。演劇に詳しくない俺でさえ、上手いと思うほどに。
 『包み込むように抱き締める』とか書いてあるけど、会長の方が大きくてこれじゃあ抱きつくになってしまう。しかも抱き付くたびに悲鳴が起きるからもう余計にやり辛くて。案の定、またリテイクをもらう。

「だめだめ!もっとこー、姫の髪を、腰を、唇を艶めかしく手で触り、唇で優しく囁きかけるんだよ!吐息だよ吐息!」

 吐息、ですか。うーん、分からん。はい…と曖昧に頷いて、休憩に入った教室から出た俺は、少し静かな場所で練習してみようと思い、少し先の自習室を覗いた。良かった、誰も居ない。そう思い、扉を開けた瞬間、後ろから肩を叩かれ、声にならない悲鳴を上げる。慌てて振り返ると、そこにはまたもや予想外の人が立っていた。

「白河、会長…」
「練習するんだろう。付き合おう」
「え、あ。ありがとうございます…」

 まさか会長がそんな事を言ってくるなんて思ってなかった俺は、素っ頓狂な声でそう返事した。確かに相手役の人が居ればやりやすいけど、でも会長が態々練習に付き合ってくれるなんて。嫌いな相手にそこまでのことをしてくれるとは、優しいな会長。

「いつまでもNGが続くようじゃ先に進まない。次で終わらせよう」
「は、はい。すいません」

 成る程、そのためか。そうだよな、いい加減会長も同じ場面はうんざりだろうし、何度も抱き付かれるのも疲れるだろう。ホント、どうにかしてこの場面を乗り切らないと…余計嫌われる。

「まずは、そうだな。今の俺のままじゃやり辛いだろうが、そもそもキミはちゃんとイメージしているのか?」
「何を、ですか?」
「自分が王子であると言うイメージだ。台詞は後からいくらでも覚えられる。今は王子がどんな人物か、何を思い何をするのか、自分の中のワイズを固めなければ、ただ台本の台詞を読んでいるだけになる。それじゃあ朗読と変わらない」

 自分の中の、王子。確かに、俺にはワイズ王子がどんなかと言うイメージはしてこなかった。会長はきっと、自分の演じる姫の事を一番理解しているんだと思う。だからあんなにも感情の籠った台詞を言えるんだと思う。王子と自分を別に考えちゃ駄目だ。俺が王子と考えなくちゃ駄目なんだ。

「まあ、いきなりで難しいかもしれないな。あくまで俺はそうしていると言う話だし」
「けどやってみます。俺も、会長みたいに演じたいですから」
「……そうか」
「じゃあ早速台本をもう一回…」
「ああ、それと後もう一つ。キミは経験がないのか?」

 もう一度台本を見ようと思った俺に、会長が首を傾げながら聞いてきた。経験って、何のだ?

「演劇の、ですか?それでしたらないですけど…」
「そうじゃない。女、まあ男でもいいが、身体の関係をもったことはないのか?」

 真顔で聞かれた。あまりに普通に聞くから何の事か一瞬分からなかった。ま、まさか会長からそんな話が出るなんて、思いもしなかった。目をパチクリさせ、俺は数秒固まった後、ないですと何とか口にした。俺頑張った。

「キミから全くそう言う色気と言うか、慣れが感じられない」
「な、慣れって…」
「艶めかしく手を動かし、唇で囁きかける。そう言われただろう。まあ、経験がないなら言われてる事が理解できなくても当然だな。しかし、それではいくらやっても進歩しない」

 此処に来てまさかの経験値不足。しかもその物言い、会長はかなり手馴れていらっしゃる。まあ、そうだよな。何か信者とか、そう言うのが出来るぐらい凄い人だもんな(此処に居るの皆男だけど)。しかも家の仕事で外に出るみたいだし、きっと女の人も相手にしているんだろう。それに比べ、まともな接触をしてこなかった俺。駄目だ、今更経験を埋めるなんて出来ない。思わず項垂れる。

「ど、どうすれば……」
「この先も、いくつもこう言うシーンが用意されている。なら、やることは決まってる」
「え?」

 デモンストレーション、そう言って会長が俺の前に立ち、スルリと冷たい手で俺の頬を撫でる。そのくすぐったさに身を捩ると、少し会長が笑った。

「実演で教えた方が早い」

 直接耳に囁き掛ける声に、思わず背筋がピンと伸びる。
 ああ、成る程。実演って、そう言うことね。
 身をもって、会長が王子のやることを教えてくれるようだ。
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bkm