伝説のナル | ナノ


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『お前さえいなければ――!!』

 そう吐き捨てて俺を睨む、憎悪に塗れた目を、未だに覚えている。





「会長」
「……なんだ」
「大丈夫ですか?何処か上の空に見えます」

 庶務の後輩が、心配そうに俺を覗き込む。問題ないと、それだけ返し、再び机に向かう。新学期が始まってから早一カ月。五月に入ったばかりで、外の気候も穏やかだ。しかし、そうも言ってられない。五月、それは冥無にとって新学期最初の大きな行事が控えている時期だ。とは言え、今年はナルの継承式など、既に異例の行事が済んだばかりだが。

「今年は何にするんですか?」

 副会長の井上が、他の書類に目を通しながら聞いてきた。

「今年は気合入れないとねぇ。何たってナルに見てもらう大事な学園祭なんだし」

 いつもはあまり真面目に仕事をしない会計の日村でさえ、耀にいい学園祭を見せようと意気込んでいる。そう、通称『無月祭』。それが冥無の学園祭だ。

「でも会長は大変だねぇ。物語によっては相手を勘違いさせちゃうかもよぉ」
「……だとしても、それは俺の責務だ。最後までやり通す」
「さすが会長!それで、決まったんですか?」

 ああ、と短く返事をし、先程届いた書類を皆に見せる。

「え、これ、オリジナルじゃん!」
「本当ですね。しかも、キスシーンまで……誰が書いたんです?」
「さあな。けど、俺が主役を演じるとは限らない」
「確かに。結構役多そうですしね」

 毎年、無月祭の最後は必ず演劇で幕を閉じる。その演劇の中に、生徒の代表である生徒会長が出演するのが冥無の伝統だ。去年の学園祭も、俺の前の会長が堂々と舞台に上がっていた。村人Bとして。そして、全校生徒にくじ引きを引かせ、役柄を引いたものがその演劇に出演する仕組みとなっている。そして俺自身も、最後の一人として、未だ引かれていない役を演じる事となる。だから今回のようなオリジナルの演劇は、役も多い分、俺が主役を当てる確率はかなり低い。正直、その方が助かるな。

「っ、あ。メール……耀からだぁ!」
「私にも。大変だ。今すぐ行かないと」

 その時、井上と日村、そして俺の携帯が鳴る。そして内容は皆同じ。耀からの、ナルからの呼び出しだ。

「さあ会長。行きましょう」
「今日は行けない。まだ仕事が終わっていないからな。お前たちは行って来ていい」
「……アナタもガーディアンでしょう」
「ガーディアンである前に俺は生徒会長だ。耀にも、それについては了承を得ている」

 俺と井上の間に少し不穏な空気が流れる。それに気付いた庶務の後輩が、オロオロと慌てる。日村は我関せずだ。俺は一つ溜息をつき、静かに井上を見据える。

「お前と日村、それに南井が付いている。俺が居なくても十分だろう」
「……」

 俺はそれなりに信頼している。生徒会のメンバーを。それを分かったのか、今度は井上が溜息をつき、そして苦笑する。

「会長には敵いませんね。では、行ってまいります」
「何かあったら連絡してねー」

 そう言って、二人は生徒会室を出て行く。残されたのは俺と庶務だけ。

「……残りの仕事をしよう」
「はい。会長」

 静かになった生徒会室で、俺はただ只管に書類と向き合う。
 学園祭、か。

 ――父は、見に来るのだろうか。

 そんな有り得ない事を考えた自分に、思わず自嘲する。
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bkm