伝説のナル | ナノ


27

 那智先輩の謹慎処分が決まった。流石にガーディアンと言えど、ナルの継承式を滅茶苦茶にしたのはマズかったらしい。けど地下に連れて行かれるって言うのに那智先輩は平然と笑ってた。きっと謹慎処分が終わっても、本物のガーディアンとなった今、すぐには学園生活に戻れないかもしれない。また学園側に拘束され、色々聞かれたりするだろうし、きっと家の事でも大変だと思う。何だか心配だ。
 そしてガーディアンが二人となった今、学園はもの物凄くざわついてる。引っ切り無しに学園に車や人が押し掛けてきていて、それは恐らくナルのことを聞き出そうとしているんじゃないかって蓮は言ってた。ナルと言えば耀だけど、その耀に那智先輩は真っ向から対立した。それも今回の混乱の原因でもある。本来仕える筈のガーディアンが、ナルに反する発言をしたのだから、誰だって驚く。耀だって、那智先輩の言葉に愕然としていたし。

『俺に命令していいのは、俺の主だけだから』

 那智先輩の言葉が浮かぶ。あれは、どう言う意味だったのだろう。少し考えてみるがやはり駄目だ。全然分からない。元々持ってる情報量の少ない俺の頭で考えたって無駄なのに、それでも考えてしまう。ナルって、一体何なんだ。悶々とする思考を振り払うように、寝転がるベッドに頭を押し付けゴロゴロ回転する。いや、駄目だ。こんなアホみたいにウダウダするぐらいなら少しでも魔導の勉強をしないと……!
 そう思ってベッドから立ち上がった時だった。

「うぎゃあ!」
「――っ」

 バンッと扉が開け放たれたと同時に飛び込んで来た(と言うか転がり込んで来た)のは、何と那智先輩だった。あまりに突然のことで固まっていると、床に顔面を打ち付けた那智先輩が勢いよく身体を起こした。

「いってぇ…凪の馬鹿!蹴とばす事ないじゃん!」
「えっとー、先輩?」

 扉に向って怒鳴る先輩の背中に、俺は恐る恐る話しかける。すると俺の声に反応した先輩が振り返った。目をまん丸くさせた先輩と目が合う。

「宗介……」
「あの、何で俺の部屋に…あ、いえ。それより、良かったです無事で」

 何だかあの教室以来だから少し緊張してしまう。ギクシャクと当り障りのない言葉を口にする俺を、先輩は何故か呆然と見つめてくる。そう見られると余計に緊張するんだけど。俺、何かしたのかな。

「あはっ、見て来いってそう言うことねー」
「……?」

 すると突然吹き出す先輩。何の事かよく分からない俺はただ首を傾げる。

「良かった宗介、元気そうで。俺が目ェ覚ました時まだ寝てたから、心配した」
「すいません。ご心配をお掛けしました」
「宗介が謝るとこじゃないでしょ。あんなことに巻き込んで…俺の方こそ、ごめん」

 そう言って俺の前に立った先輩が、眉を下げて笑う。しかし俺は、あんなこと…?と首を傾げる。

「でも、宗介が言ってくれた言葉、凄く嬉しかったよ」
「言葉…?俺、が?」
「そーすけ?」

 何のことか分からず先輩の言葉を反復する。そんな俺の様子に先輩は少し驚いたように目を見開く。一瞬、俺達の間に沈黙が流れた。やばい。そう思った俺は思わず顔を俯かせる。ああ、そうだった。俺、あの闇の中でのこと憶えていないんだった。恐らく先輩はあの中でのことを言っているんだろう。だったら俺もそれに合わせるべきだったのに。俺何を言ったんだ?言った事すら忘れてしまったなんて先輩が知ったら、どんな風に思うだろう。少なくともいい気はしない。その言葉は嘘だったのかと思われても可笑しくない。でも本当の事を言えばきっとまた心配させてしまう。ならば、せめて今だけでも先輩の話に合わせれば……そう思い、俺は俯かせた顔を勢いよく上げた。

「あ、あの先ぱ――」

 何でもいいから話を。
 そう思って紡いだ言葉は、先輩が重ねてきた唇によって全部呑み込まれてしまった。お蔭で途中で言葉が切れてしまう。と言うか、これは……。

「っ、那智せ…ッン」

 好きな人するものだよ、そう言った大樹の言葉が浮かんだ。けどこのキスは、先輩と食堂でした時のモノとは大違い。ただ唇を重ねるだけじゃない。何故か先輩の舌まで俺の口の中に入ってる。何だこれ、どういうことだ?そもそもこれはキスなのか?口と口をくっ付けているからやっぱキス?けどこの舌は?俺の舌はどこにいればいい。呼吸は、どうすればいいんだ。
 そんな事を何処か冷静に考えていたが、呼吸さえも奪う先輩の口付けに、俺は段々と頭がクラクラするのを感じた。頬をすっぽりと包み込む両手に己の手を当て、息苦しさを訴える。そして少し視線を上げ先輩の目を見た瞬間、自分を見下ろす金の瞳に、全身の肌がゾクリと粟立った。なんだ今の感じ。味わったことのない感覚に、恐怖すら覚える。

「せ、先輩ッ、ちょ、ま…」

 これ以上はまずい。そう感じた俺は、先輩の顔を片手で少し押す。漸く離れた先輩の顔から、自分の顔を背け、やっとの思いで言葉を紡ぐ。けど思った以上に呼吸が乱れ、ちゃんとした言葉にならない。しかも自分の口の端から唾液が伝い落ちているのが分かり、何だか恥ずかしくなった。羞恥心のあまり顔を俯かせようとしたのだが、それよりも早く、先輩が俺の身体をより一層引き寄せた。至近距離で見つめる先輩の目は、何処か熱を帯び濡れていた。思わず息を呑む。

「宗介――」
「何盛ったんだアホ」
「ギャッ!」

 ゴツンと耳に痛い音が響く。そしてそのままその場に座り込んだ那智先輩は、頭を抱えて痛がっている。そして先輩の後ろに、いつの間に立っていたのだろう、鞘に納めたまま日本刀を持つ凪さんが呆れたように先輩を見下ろしていた。

「行くぞ。グズグズすんな愚図」
「え、まだ十分も経ってな…」
「宗介くん。騒がしてすいませんでした。また今度ゆっくり話しましょう」
「あ、いえ…」
「ちょっ、無視!?」

 何なんだ一体。急な展開に付いていけず目を白黒させる俺に、凪さんは綺麗な笑みを浮かべそう言った。行くぞ、とまた声を掛けられた先輩は不満げな顔をしながらも凪さんに付いていく。え、ホント何しに来たんだ先輩。

「あ、そうだ」

 凪、後三十秒待って。そう言うと先輩はクルリと俺の方へ向き直した。凪さんはやれやれと言わんばかりの顔で、俺の部屋の扉に寄りかかる。そして俺の前に再び立った先輩は、ヘラッと、緊張感のまるでない笑みを浮かべた。

「さっきのチューはね、誓いの口付けです」
「誓いの口付け?」
「そ。俺が誓いを立てた証」

 そうなのか?あの行為に意味があったことに驚き、そして前に騙された記憶がフと甦る。先輩の言ってることは本当なのだろうか。

「あ、信じてないでしょ」
「前にもあったなぁって、思ってるだけです」

 信用無いなーと笑った先輩。しかし、その笑みは何処か優しさを含んでいる。なんか、雰囲気が違う。そう思っていると、先輩は静かに俺の名前を呼んだ。

「嘘だなんて思ってないよ」
「――っ」
「宗介が忘れても、俺が憶えてるから」

 大丈夫だよ。そう言って笑う。俺はそんな先輩を見て思わず息を止めた。先輩は、分かっていたのか。俺の考えていること全部。俺が忘れてしまったと知ってて、そう言ってくれている。思わず目頭が熱くなった。謝罪の言葉さえ出てこない。グッと俺が唇を噛むと、先輩は「噛まない噛まない」と俺の唇を軽く擦り、そして背を向けた。

「お待たせ」
「……行くぞ」

 凪さんがバンッと扉に手をついた。そして開けた扉の奥に消えていく。那智先輩もそれに続くように足を踏み出す。思わずその背中に叫んだ。

「那智先輩!!」
「――宗介」

 ピタリと、途中で足を止めた先輩が俺の方を少し振り返る。そして俺を見て、笑った。その目に、強い意志を宿して。


「護ってくれて、ありがと」


 一言、そう言い残した先輩は、今度は足を止めることなく扉の奥へ消えて行った。





『俺が知ってるのは、この学園に棲む化け物と、それを封じる思念体の事だけだ』
『思念体?』

 成る程ね。

『俺が、ガーディアンとしてアイツを護ることはもうない。俺は、番人としての役割を果たす。ただそれだけだ』
『……でも、それが宗介を護る事に繋がるんだね』

 凪は、何も答えてくれなかった。けど。

『もう、忘れんなよ。護るべき者を』
『うん。忘れないよ』
『オマエはガーディアンとして、宗介を護れ』

 当然。もう、迷わない。何に換えても護ってみせる。だけどさ、ちょっと予想外。

『宗介を、渡すわけにはいかねぇんだ』
『…誰に?』
『思念体――今もなお、学園に留まる亡霊』


『――美月玲一。この学園の創立者。そして、最後に確認されたとされるナルだ』


 俺達が相手する敵が、まさかナルだなんて。
[ prev | index | next ]

bkm