伝説のナル | ナノ


26

 今にして思えば、あの出会いは必然だったのかもしれない。まあそう思いたいだけと言われたらそれまでだけど。でも、あの日凪に連れられて行った場所、今ならハッキリ思い出せる。あの時の言葉の続きが、聞こえてくるんだ。


『俺の主のとこ』


 そう言って、俺の手を引いてくれたよね、凪。





 屋敷から連れ出してもらった後、着いた先は普通の一軒家。何処にでも立っていそうな、ホント普通の家。屋敷から大分離れたこの場所に、最初何があるのか不安だったのを覚えてる。俺をおぶったままの凪は、一度チャイムを鳴らし、そのまま玄関の扉を開けた。足を踏み入れた玄関先、そこに茶髪の男が立っていた。

「遅かったなぁ凪……って、後ろの誰だ?」
「うるさい」
「あん?テメェほんと可愛くねぇな。アイツに媚びる百倍の可愛さで俺に接しろ」
「オマエに売る媚びはない」

 テメーこの!と凪に掴みかかろうとしているのは俺よりずっと大人で、大きい。そんな相手に全く物怖じない、寧ろ上から目線で接している凪に、その時凄く衝撃を受けた。

「――凪?来たのか。って、何してるの兄さん」

 そして奥からまた一人、今度はスーツを身に纏った男がやって来た。黒い髪に、左目の下に泣きボクロがある、この目の前の男とよく似た人物。ああ、うん。そうだよ。良かった。また、アナタの顔を思い出せて。

「……こんにちは」
「うん、こんにちは。後ろの子は……凪の弟かな?」
「――ッ!」

 何で分かったのだろうか。肩越しに覗いていたら目が合って微笑まれた。驚いてまた凪の後ろに隠れ強くその背中にしがみつく。気配で、その人が近付いてくるのが分かった。思わず目を瞑る。

「いらっしゃい。名前は?何て言うのかな?」
「……っ」
「マジで凪の弟かこいつ。凪の百倍可愛げあるぞ。間違いじゃねぇのか?」
「ぶっ飛ばすぞ」

 両サイドから覗かれ、俺はただ恐くて凪にしがみついた。しかし凪は、その場にしゃがむと、俺をその場に下ろそうとする。何で!?と涙目になって凪を見れば、ただ静かに俺を見据える翡翠の目とかち合う。何でかそれを見ただけで分かった。凪が言いたいことが。

「あはは。ごめんね、無理に言って貰いたい訳じゃなくて……」
「――ち」
「え?」
「那智……です」

 目の前に立つ男たちが怖い。けど、凪は確かに自分で言えと目で訴えてきた。もう、この時から凪は凪なんだなぁって、今になって思える。自分にも他人にも厳しいけど、その分誰よりも優しい、俺の兄。だから俺は、頑張って自分を出したかった。初めての大人、屋敷の大人以外に会ったことのない俺にとっては、自己紹介でもかなりの勇気がいった。けど、小さな俺の声はちゃんと相手に届いた。そして返って来たのは言葉ではなく、優しく頭を撫でる手だった。

「傷だらけだね。手当てしよう。痛いだろ?」
「……痛い」
「うん」
「痛いっ、う、あぁぁ…ッ」

 何かさ、よく分からないけど、安心しちゃったんだ。俺の頭を撫でる手があまりにも優しくて。産まれてこの方、頭を撫でてもらったことなんかない。

「あー泣くな泣くな」

 乱暴だけど、頬を濡らす涙を拭ってもらったことなんかない。

「膝も擦りむいただろ。出せ」

 おぶってもらったことだってなかった。
 でも、どれも温かかった。涙が出そうなほど。そう、痛かったよ。ずっと、心が。だからね、あの時は言えなかったけど、これは嬉し涙なんだ。俺の欲しかったものが一挙に押し寄せて来て、嬉しさが相俟って出た涙。けど中々止まらなかったんだよねこれ。そして、ワンワン泣く俺に、男二人が苦笑した時だった。


「――どうしたの?」


 ああ。懐かしい声。懐かしい顔。けど、もう二度と会う事の出来ない人。今なら分かる。凪が言ってた約束は、この人との約束だったんだ。何で忘れてたんだろう。この人たちとの思い出を。彼への、想いも。思い出してしまえばこんなに簡単なのに。やっぱり、まだまだだね、俺は。ああ、何だか思い出に耽ってたら無性に会いたくなってきた。早く会いたいな。
 ねえ、宗介。





「三日間此処で謹慎だ。よかったな」
「えー良くないよ!だって此処魔力封じられてるから傷の治りも遅いし」
「知るか」

 継承式をぶち壊した罰で、俺の身柄は地下へと移された。俺は地下の部屋で、扉越しに立つ凪に不満をぶつける。知るかって、これ凪が付けた傷だからね。確かに手加減なしで相手してくれって吹っかけたの俺だけど。「宗介くんを巻き込んだ罰」と言わんばかりの顔で病院で目覚めた俺を殴り飛ばしたのも、まあ確かに原因は俺ですけど。あれ、じゃあやっぱり俺がいけないのか?何だか腑に落ちないとこもあるけど、仕方ない。相手凪だし。それに――。

「次は負けないよ」
「ハッ、十年早い」

 そう鼻で笑う凪だけど、その声が何処か嬉しそうに聞こえるのはきっと、俺の気のせいではないだろう。思わず俺も笑う。

「さっきさ、昔を思い出してた」
「昔?」
「凪に初めて会って連れて行かれた、安河内の家でのこと」

 ポツリポツリと話し出す俺に、凪は何も言わなかった。

「家入って、まだ若々しい学園長に会って…その後、浩幸さんに会った」

 確か俺が浩幸さんに会ったのはまだ浩幸さんが大学生の頃。学園長が教員になりたて位の時だった。そして、その頃。もう彼は結婚していた。家族が居たんだ。

「そんで……」

 そしてこの出会いこそが、俺を、俺達を変えた。
 そう。全てのハジマリは、あそこだ。

「……ねえ。凪」
「なんだ」
「俺は、何から護ればいい?」

 恐らく、今凪は驚いている。なんとなく、気配でだけだけど。

「気付いてたのか」
「んー、何となくね。見られてんなぁ位」

 時折、宗介と一緒に居ると感じる視線があった。でもどこからか全く掴めない。敵なのか味方なのか、それすらも覚らせない何も感じない視線。けど、分かった事は一つだけ。これは俺じゃなくて、宗介を見ているんだと言う事。前はさほど脅威を感じなかったけど、今は違う。俺の立場もだけど、宗介が『ナル』である以上、降りかかる火の粉は全て払う。それが俺のガーディアンとしての覚悟だ。
 そして、そう思っているのは俺だけではない。

「凪はさ、俺とは違う所から宗介を護ろうとしてるんだよね?」
「……オマエ、何処まで思い出したんだ」
「全部。けど、凪が知ってる事は俺には全部分からないと思う」

 凪は何から宗介を護っているんだろう。

「自分が“雷のガーディアン”だって誰にも告げず、その番人の腕輪の下に印を隠してまで、凪は何から宗介を護ってるの?」

 俺の問い掛けに、凪からは何も返ってこない。此処まで来てまさか返答を貰えないのかと焦れた俺が、扉を叩こうとした瞬間、振り下ろした拳が空を切る。あれ、扉がない。

「って、凪!?何してんの!?」
「その前に、数十分だけ時間をやる」
「え、は?」

 俺の混乱を余所に、何故か謹慎中の俺の部屋の扉を開けた凪が、俺を部屋から引っ張り出し、再び扉を閉める。

「凪、ちょっと何を……」
「――オマエが護るべき者の姿、もう一回ちゃんと見て来い」

 話はそれからだ。
 そう言って、閉めた扉に強く両手を押し当てた凪の目が光った。
 これは、この魔導は…テレポートか。
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bkm