伝説のナル | ナノ


19

 俺はゆっくり先輩の背に手を当て、その身体を起こすように力を入れる。

「先輩、身体起こせますか?俺支えるんでそのままゆっくり……」
「……いい」
「え?」
「俺、のことは放って、はやく、行け…」

 ポツリと呟かれた声があまりにも小さくて、先輩の口元に耳を近付ける。すると弱々しい力で身体を押され、俺は少し先輩から離された。けど、言われた言葉が理解できず、は…?と間抜けな声だけが漏れる。なに、なんだよ行けって。

「何言ってるんですか先輩…そんな事、出来るわけないじゃないですか!」
「……」
「先輩っ」

 俺の言葉にも無言の那智先輩。何でそんな……どうしてそんな諦めたような顔してるんだよ。怪我が酷いからとか、恐らくそう言う理由ではないだろう。先輩はもう諦めてる。此処から、生きて出ることを。

「先輩、話は後にしましょう。早くしないとあいつが…」
「……俺は、もう、分からない」
「え?」
「分から、ないんだぁ…」

 そう言って悲しげな声を出しながらヘラッと笑う先輩を、俺は何も言えずただ見つめるしか出来なかった。

「もう、疲れた」
「……」
「考えるのも、何もかも、疲れちゃった…」

 ググッと、先輩が重たそうに自分の腕を持ち上げる。そのまま手を俺の顔までもってくると、頬を優しく包まれる。

「ごめん…ね、そーすけ」
「な、にが…」
「俺のせいで…こんなことに、巻き込んで…」

 そんな事ない、俺が勝手に飛び込んだだけだ。先輩の事情に勝手に踏み込んだのは俺。先輩が謝る事はない。なのに、先輩は悲しげに笑いながら俺にごめんと言い続ける。それは恐らく、先輩はこれが俺との最後の会話になると思っているからなのかもしれない。

「俺の弱さが招いたこと、だから…そーすけが気に病む、ことはないよ?」
「っ…」
「だからそんな顔、しないで?」

 俺は今、どんな顔をしてる?分からないけど、たぶんすげー情けない顔をしてるんだと思う。

「それと…」

 そこで言葉を切った先輩は、身体中痛くて仕方がないはずなのに、それを一切感じさせない笑顔で言った。


「最後まで守れなくて、ごめんね」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がカアッと熱くなった。怒ってる時や、悲しい時とも違う。もっと別の感情。それが俺の中から湧き上がってくる。

「だから早く…」
「――もう遅いって」
「ッ…!」
「ずいぶんと手間をかけてくれるよね、オレの主君は」

 先輩の声を遮ったそいつは、周囲に闇を漂わせ、残忍な笑みを浮かべながら突き出た岩の間を縫って顔を出した。少しずつ、俺達の所へ歩み寄ってくる。そいつと俺達の距離は、もうあまりない。

「宗介、早くっ」
「――」
「そう、すけ?」

 困惑する先輩の声が聞こえる。
 俺は先輩を見て、笑う。なるべく、安心してほしいと思ったから。

「先輩。先輩は自分の事を弱いと言いますが、俺はやっぱり先輩は強いと思ってます」
「……」
「俺には剣の心得も、魔導の心得もありません。だから、余計その強さに憧れます」

 けど、それは先輩の努力があったからこその結果だ。俺がさっきみた記憶のようなことを出来るかと言ったら、俺には無理だ。

「そんなの、凪だって…出来るし…俺より、ずっと…」
「その凪さんが、一切の迷いなく言う言葉があるんです」

 ずっと、先輩に言いたかったことがある。俺がこの学園に来た時にも、さっき会った時にも聞いた言葉。凪さんが、絶対の自信を持って言う言葉。

「――アイツは強い」

 その力強い言葉を、先輩は凪さんから聞いたことがないのかもしれない。驚いたように目を見開き、うそだ…と小さく呟いている。そんな先輩に俺は、嘘じゃないときっぱり返す。

「少なくとも、凪さんは先輩の事を認めてる」
「うそだ、そんなの…」

 頑なに俺の言葉を信じようとしない那智先輩に、俺は苦笑した。

「俺は、先輩がどんな強さを求めているのかは分かりません」

 ゆっくり、俺を茫然と見る先輩から手を離し、立ち上がる。視線だけはずっと、俺達に近付いてくるそいつから外さずに。

「だから俺なんかが言ったところで、きっとそうは思ってくれないのは分かってます」

 けど、先輩には分かってもらいたい。

「先輩は自分を心配する人が居ない、そう言ってましたよね」

 どれほどの人が、先輩を見ているのか。

「居ない訳、ないじゃないですか。俺なんか、心配で飛び込んできちゃいましたし」

 きっと、知ったら驚く。自分を見てくれている人の多さに、きっと。

「だから、俺と帰りましょう。先輩」

 ニッとこの場に不釣り合いな笑みを浮かべ、俺は先輩へ顔を向けた。

「凪さんが待ってます」
「そーすけ…」
「もう、俺を放っていけなんて言わないで下さいよ」

 俺は、先輩を背に隠すようにそいつと対峙する。先輩の姿をしているのに、その印象は随分と対照的だ。先輩よりもずっと鋭くて、恐い……それをヒシヒシと肌に感じる。

「そこを退いて。早くゴミは始末しないと」
「イヤだ」
「全く、オレの主君は我儘でいらっしゃる」
「宗介…っ」
「大丈夫です」

 グググッと、血が流れるのにも関わらず立ち上がろうとする先輩を手だけで制した。

「先輩を連れていく為なら何でもやる」
「――!…ハハッ、そう来なくっちゃ!」

 俺を見た瞬間、そいつは驚いたように目を見開くが、すぐにまた笑みを浮かべると、その目に闘志を宿したまま笑った。こんなヤツを相手に俺が出来る事は何だろう。けどそれ以上に今は、湧き上がるこの感情を抑えられないんだ。


「だから、今度は俺が先輩を護ります」


 その湧き上がる感情を俺が口にした瞬間、俺と先輩を囲むように周囲を闇が覆う。

「死にたいなんて、主君は変わり者だなぁ」
「死ぬ気なんてない」
「なっ…!」

 そいつの言葉をきっぱり否定した。そして闇に覆われようとしていた俺達を、辺りの闇を蹴散らす様に今度は雷が囲む。雷の強い光に闇は耐え切れずに消えてしまった。突然の雷に、那智先輩が「凪…?」と呟くが、これは凪さんの魔導ではない。
 俺の、魔導だ。

「やっぱ相性悪いねぇ雷属性は。光よりはマシだけど」
「……」
「けど驚いたなぁ。魔導をまだよく知りもしないのにそこまで使いこなしちゃうんだ。さすがさすが」

 でも、と言って笑うそいつは、こうなる事が分かっていたのか、楽しげに手を叩き、再び周囲を闇で染め上げ、そして先程よりもずっと禍々しい闇を漂わせる。

「どこにある」
「は?」
「出口は、どこにある」

 俺の問い掛けに、そいつは首を傾げ、そしてニヤリと笑う。

「知りたきゃ、無理やりにでも吐かせてみなよ」
「…そうする」

 教えてくれるとは思ってなかったけど、一応聞いておこうと思ったんだ。俺は呆れ気味にため息を吐き、そして構える。
 俺に出来る事をやろう。
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bkm