16
信じがたい光景に思わず呆然とする。何で那智先輩にラグーンの紋様が?
「お兄ちゃん!」
「那智。それ隠せって言ってんだろ。誰かに見られたらどうする」
「平気だよ!ちゃんと暑いけどマフラーしてるし」
へへっと笑う那智先輩に、凪さんが困ったように笑っている。そうだ、凪さんは知っているのかこの事を。なら何で誰にも話していないんだ?ガーディアンは大樹が一人目だと学園で聞いた。けど、それ以前に先輩は既にガーディアンとして存在している。しかし周知はされていない。当事者である那智先輩でさえも。どうして隠す必要があったんだ?
そうだ、それに何で先輩は知らないんだ?自分のことなのに、なんで……。
『そう、彼が記憶と共に失くしたのはガーディアンとしての力だ』
「っ、記憶?先輩、記憶がないんですか?」
『あれ、知らなかったのかい?』
レイさんはさっき失くしたのは絆とか何とか言ってたから、まさか記憶だとは思っていなかった。そうか、だから先輩は自分の事なのに覚えていないのか。
俺と、同じなのか。
『まあ、宗介のはまた違うんだけどね』
「え……?」
『何でもない。ああほら、あれだよ』
「ッ、え!な、那智先輩っ!」
そう言って指し示す方を見ると、どこかの建物の中の様子が映される。けど、その建物は燃えており、床には血塗れになって倒れている人がたくさんいた。そしてその中にひときわ目立つ銀色の髪が。目を凝らしそちらを見た俺は、思わず先輩の名前を叫んだ。
『行っても無駄だよ。これはもう起こった事だ』
レイさんは冷静に見ているけど、俺は思わず駆け出したくなる。燃え盛る炎の中、瓦礫の下に血だらけの那智先輩が下敷きになっていた。ああ、どうしよう。このままだと先輩が死んでしまう。余程青褪めた顔でもしていたのか、レイさんがそっと俺の頭に身体を寄せる。それと同時に、また風景が掠れていく。「あ…っ」と思わず手を伸ばした。
「まっ、待ってくれ。まだ先輩が…!」
『大丈夫だよ宗介』
「でもッ!」
レイさんの言葉通り、次の場面に移るとそこは病院だった。伸ばしたままの手が少し間抜けに見えてゆっくり下ろす。ピッピッピッと規則正しい電子音に、様々な管がベッドに寝ている人を囲っている。窓の傍で、静かに凪さんが外を見ていた。
ベッドの上に寝ているのは、包帯に巻かれた痛々しい姿の那智先輩だった。あの後の事なのだろう。しかし、先輩が起きる様子は全くない。微動だにせず、静かに管に繋がれ寝ている。
「でも、助かったんですね。良かった…」
『そうだね。しかしこのまま彼は半年眠ったままになる』
「半年っ!?」
そんなに眠り続けるのか?ベッドの傍で、眠る先輩から離れない凪さんは、時折先輩を心配そうな目で見ている。あれ、でもどうして先輩は寝ているのに…。
「レイさん。これって、先輩の記憶…何ですよね」
『ああ、気付いた?』
レイさんが少し意外そうに言う。俺はそこまで鈍そうに見えるのだろうか。
「何で先輩は寝ているのに、寝ている時のことまで流されてるんですか?」
『それはこれが彼が脳に記憶している思い出ではなく、彼の力が記憶している思い出だからだよ』
「力…?闇の、ですか?」
『そう。しかもガーディアンとしての力だ』
それはかなり強大な力だ。自分の意識とは関係なしに意志を持つほど。
そう言って静かに見守るレイさんは、ゆっくりと俺を見る。
『しかし彼は忘れてしまった。ガーディアンとしての自分を。守るべき主君を』
だから――そこで言葉を切ったレイさんが、俺の肩から飛び立ち、そして俺の前に立つ。
『取り戻しておいで。彼はキミに必要な存在だから』
「……」
『きっと今も苦しんでる。今と昔の違いに』
病院の風景から、また風景が変わっていく。
そこには凪さんと那智先輩が二人一緒に映っていた。最初に見た時と同じ、鍛錬の途中のようだ。だが、そこで見た那智先輩の首には、紋様が刻まれてはいなかった。何でだ。
『彼が漸く目覚めた時、彼は記憶の一部を欠いていた。そしてそれと同時にガーディアンとしての資格を失った。失った記憶の中に、守るべき主君の存在があったから』
「守るべき主君…それはつまりナルを、と言うことですか?」
『そう。ガーディアンに必要なのは、資質は勿論だけど、一番はナルを守りたいと思う心なんだよ』
ナルを、守りたい心?先輩は守りたかったのか、その誰かを。
『だが一度選ばれたガーディアンが他に代わる事はない。ナルか、自身が死なない限り』
「え、じゃあ、先輩はまたガーディアンに…」
『なれるよ。キミ次第、だけどね』
「それは一体どう言う…ッ!」
そう尋ねる前に、俺の足元に光が溢れだす。その光がどんどん溢れ出し、道の様に奥へと続いていく。俺の前から。
『時間がない。さあ、行っておいで』
「え?」
『私の案内は此処まで。後は、キミたちの力を信じているよ』
彼は、この先に居る。
そう言って俺の前に立っていたレイさんが横にずれる。俺に道をあけてくれる。
「……正直、どうすればいいのか分かりません。けど、行ってきます」
『うん。それでいいんだ。宗介は』
「此処まで来てくれてありがとうございました」
レイさんにぺこりと頭を下げ、俺は目の前に出来た光の道をゆっくり辿り始める。時間がないと言っていた。急がないと。
「先輩。今、行きます」
ポツリ、自分の足元の光以外真っ暗な空間に向って呟いた。