伝説のナル | ナノ


6

 視線が痛いとはまさにこの事なのかと、何処か他人事のように思いながら教室に向かう。こそこそ、遠くから色んな人の声が聞こえてくる。内容までは聞き取れないが、俺を見て言っているあたり、きっと俺の事について話しているのだろう。ああ、何だか今日が始まったばかりなのに凄く疲れた。それに涙が出そう。
 いや、しかしこれが普通なんだ。堂々としていないと。心の中で一人気合を入れ、漸く辿り着いた教室の扉を開けた。後ろで他のクラスの人達が「え!?Kクラス!?」と驚いている声が聞こえたが、構わずそのまま教室に入った。
 まだ学校が始まってそんな経っていないが、学園内で一番ここがホームな感覚がする。凄く安心すると言うか。ホッと一息つき、自分の席に行こうとした俺は、教室中の視線が集まっているのに気付きギョッとする。此処もか…安息の地での落ち着かない状況に思わずため息をつく。暫くの我慢かな、そう考えることにして俺は視線と共に自分の席を目指す。そして同じく俺を凝視していたお隣に、挨拶をした。しかし、返事がない。

「蓮?どうした?大丈夫か?」
「……えええええ!?」

 ガタガタっと大きな音を立てながら蓮が後退る。その反応は流石に傷つくな。

「そ、そそそそ宗介!?」
「俺はそんなに「そ」はついてない」
「どもっただけだから!え、つか本当に宗介なの?」

 疑いの眼差しを向けつつ俺に近寄った蓮は、至近距離で俺を見つめ、うーんと唸りながら眺める。居心地が悪くて目を逸らすと、蓮が「うわっ、流し目とか使ってきた」と訳のわからないことを言い始めた。ただ視線を逸らしただけだっての。でも、先程の様な混乱した様子もなく、いつもの蓮らしく戻ったようで良かった。

「へぇー…て言うか、なんでそんなイケメンなのにあんな髪型してたわけ?勿体無いじゃん」
「まあ、色々あってな。いずれ話すよ」
「それにしても垢抜けたと言うか…その藍色のカーディガンとか今の宗介にピッタリだし」
「ああ、これは昨日那智先輩に貰ったんだ」
「――さすが俺の審美眼に狂いはないねー」

 首元に回ってきた腕と耳元で囁かれた声に、思わず固まる。目の前の蓮もポカンと口を開け俺の後ろを見ていた。教室に居る他の生徒も、突然の来訪者に騒然とする。

「おはよー宗介」
「お、はようございます那智先輩。と言うか、どうして此処に…?しかもどうやって俺の後ろに回ったんですか?」

 未だに状況がつかめず、俺の後ろにいる那智先輩に問い掛ける。だって俺は窓に背を向けていたんだ。だから人が後ろに回るには無理がある。俺達にだって見られるし。なのに本当に突然現れたんだ。驚かない訳ない。

「そんなの窓からに決まってるじゃん」
「此処三階ですよ?」
「知ってるよー。俺は二階だから」

 いや、そんな事を聞きたいんじゃないだが…まあ、確かに閉まっていた筈の窓が開いているし嘘ではないんだろう。どうやって登って来たのか知らないが、もう凄いとしか言えない。しかし、何で此処に来たのかが不明だ。

「後ねー灰色と白とベージュも買ったんだ。着てね」
「あ、はい。ありがとうございます」

 もしかしてその話をする為に此処へ来たのだろうか。嬉しそうに話す那智先輩に俺も頷いて相槌をしていると、目の前の蓮が酷く青褪めた顔をしているのに気付き、目を見開く。ガタガタと小さく震え、いつも真っ直ぐで純粋な瞳は不安げに揺れ、俺の後ろを見ている。俺の、後ろ?

「那智先輩…!」
「――ッ」

 弾かれる様に俺は那智先輩の名前を呼ぶ。首元に回される腕の力が思ったよりも強くて振りほどけそうにないから、声だけで彼を呼んだ。それに反応した那智先輩は、スルッと俺の首元から離れた。後ろを向くと、嬉しそうな声を上げていたとは思えない程無表情の那智先輩が立っていた。そして、昨日も見た、淡く光る瞳。そのまま那智先輩は目を隠すように片手で覆った。

「何、してるんですか」
「別に。何も」
「今蓮に何していたんですかっ」
「何もしてないってばー」

 あくまでもしらを切る那智先輩に俺は詰め寄る。嘘だ、それだけは嘘だとハッキリ言える。今確かに那智先輩は蓮に何かをしていた。蓮は那智先輩と目が逸れたことで解放されたのか、荒くなった息を整えていた。しかしその瞳にはまだ那智先輩への恐怖がありありと残っていた。

「いきなり教室に来て、なんでこんな事…」
「俺が何処で何を思って何をするのか、一々宗介に言わないといけないわけー?」
「そうじゃなくてッ…!」

 顔を隠す指の隙間から覗く瞳はイヤに冷たい。しかしいつもの琥珀色の瞳に戻っている。もう魔導の発動は解いたのだろう。けど、俺は納得出来ない。突然友達がこんなことされて黙っている訳にはいかない。しかし俺が怒っているのが理解できないのか、那智先輩はくいっと首を傾げる。

「何で怒るのー?これは宗介のためだよ?」
「俺はそんなこと望んでいません…」
「怒らないでよ。俺は宗介を守るためにやってるんだからさ」

 那智先輩が顔を覆っていた手をどけ、両手を大きく広げ主張する。だが、急激に心が冷めていくのを感じた俺は、その姿を冷たく見据えるだけ。これでは話にならないと思い、小さく頭を振ると那智先輩は慌てて俺の肩を掴む。

「宗介ごめんて。怒らないで」
「謝る相手が違いますし、それに――」

 何だろうこのドロドロした感情。まるで自分が自分でなくなるような、内側から沸き上がってくる黒い感情。違う、この先は口にしてはいけない。俺は那智先輩を傷つけたいわけじゃないんだ。ただ、分かってもらいたいだけなんだ。俺の友達をちゃんと見てもらいたい、ただそれだけなのに。

「本当は、守る気なんてないくせに」

 なのに、何してるんだ俺は。

「――何してんだお前ら。チャイム鳴ったぞ。とっとと教室に帰れ」

 教壇の方から声が掛かった。その声に弾かれる様に前を向くといつの間にか志筑先生が立っていた。チャイム鳴っていたのか、気付かなかった。そして再び窓の方へ顔を向けると、そこには誰も立っていなかった。慌てて窓縁に手を掛け外を見渡すが人の気配はなかった。この一瞬で外に出てしまったのか、那智先輩は。

「あ、あの宗介。席座ろ?」

 蓮が俺の背を叩き、席に戻るよう促した。俺はそれに首を振ると、ドスンとイスに腰掛ける。よほど情けない顔でもしているのか、蓮が気遣うように俺を見る。けど蓮の方が顔色も悪い。なのに申し訳ないことをしているな。
 どうしてこうなってしまったんだ。いや、俺のせいだ。蓮に何をしたのか、もっと聞き方があったのに詰め寄ったのは俺だ。そして、傷つけたのも俺。何でか分からない、けど先輩を見ていて、そう言ったら彼は傷つくと分かってしまったんだ。だから、那智先輩は泣きそうな顔をしていた。本当に最低だ。

 誇れる自分になりたい。そう思って踏み出した新たなスタート。どうやら最悪の滑り出しとなってしまったようだ。
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bkm